ロシア軍のウクライナ侵攻に想う
2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻から4日が経ちました。ロシア軍は圧倒的な軍事力とNATO側の直接介入を受けないという地政学的な有利さにより早くもウクライナ全土を席巻しようとしています。全土を支配下に治め、ゼレンスキー政権を放逐するのも時間の問題のようです。しかしながら、すでに多くの識者が言われているように、この侵攻はプーチン政権にとっては「終わりの始まり」となるであろうという予感を強くしています。
ロシアとは長らく仕事上の付き合いを重ねてきました。1976年の最初の訪ソ以来、2018年までの間に数多くの訪問と通算数年間にわたる滞在を通じて、ブレジネフ時代に始まり、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチン政権時代と変遷を重ねてきたこの国とそこに住む人々を間近に眺めてきました。
私が接してきた多くのロシア人たちは素朴さと善良さ、そして優しさと親切さに溢れた人々です。仕事相手とは交渉中に対立・激論することもしばしばありましたが、妥協を知り、双方の面子を尊重し、常に友好を心掛ける人々でした。
今回の出来事にあたっても、プーチン支持層と一部保守派を除いて、圧倒的大多数のロシア人たちが本気で平和を願っていることには疑いの余地はありません。
今、ロシア国内の侵攻反対デモは押しつぶされていますが、これからウクライナ支配が長期化や暴力の応酬といった泥沼に陥った場合のロシア市民の厭戦気分の矛先は必ず政権に向かうはずです。ましてや、今は、ネットとSNSにより即座に情報や主張が広がります。
アフガン戦争がソ連の崩壊を早めたように、ウクライナ侵攻は結局プーチン政権の崩壊を早めるであろうことを確信しています。侵攻は愚かな選択であった言うほかありません。
ひとつ思い出すのは、1993年10月の政変時にロシア連邦軍が保守派ではなく市民をバックにしたエリツィン側につき、保守派が立てこもる最高会議ビルを戦車で砲撃した事件です。この衝突を通じてエリツインは権力を握りました。ロシアにあっても、軍が必ずしも保守側につくとは限らないという事例です。ましてや、プーチンはKGB出身であり、軍に基盤は持っていない筈です。
ウクライナの支配を通じて多数の犠牲者が出た場合、いっそうの泥沼に陥った場合、軍は果たしてプーチンに忠実であり続けるでしょうか?現実は極めて危ういバランスの上にあり、プーチンの権力は必ずしも盤石であるとは思えません。
独裁者による弾圧が過ぎる場合には哀れな末路も想像できます。ルーマニアのチャウシェスク元大統領の最後も思い起こされます。
なお、西側各国はエネルギー供給のひっ迫や価格高騰といった返り血を覚悟しての金融制裁に踏み込もうとしています。加えて、世界各国では自然発生的な抗議デモに加えて、スポーツや文化のあらゆる分野で抗議の声が上がっています。サッカーワールドカップ予選でのロシアとの試合拒否などはロシア国民にとって世界からの孤立を際立たせるものであり、その不満の矛先はプーチンに向かう筈です(たかがサッカーと言うなかれ)。
ロシアの同盟国カザフスタンがウクライナへの軍派遣を断っていたとの報道が入ってきました。カザフスタンではつい先日、ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)に部隊派遣を要請して治安を回復したばかりで、ロシアとの関係を強めたとみられていました。「終わりの始まり」が加速しているのでしょう
欧米による武器供与のニュースも聞こえてきます。しかしながら抗戦の煽りは犠牲者を増やすだけです。ウクライナでの犠牲者出さない抵抗と、ロシア国内と国際世論、さらには自らの身も切る経済制裁によってプーチン政権が一日も早く自壊することを望んでいます。
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