ウクライナ戦争とマフノ運動
止まらない民間人の犠牲に耳を塞ぎたくなるような報道が続くウクライナの戦争に微かな既視感を抱き、本棚の奥に眠っていた『知られざる革命~クロンシュタット反乱とマフノ運動』(現代思潮社1966)を50年ぶりに読み返してみました。そもそもこのシリーズには『カタロニア賛歌』『ハンガリア1956』『報復~サヴィンコフ、その反逆と死』といった著作が並び、出版側の立ち位置は明確です。
さて、舞台はウクライナ東部、今まさにロシア軍との激しい攻防戦が行われている地域です(現在の地名で言えばザポリージャ、マリウポリ、ドニプロペトロフスク、等々)。指導者のネストル・マフノはロシア革命直後の1918年から1921年にかけて農民軍を組織し、この地域一帯でアナキズム運動を展開しました。デニーキン、ウランゲリらに率いられた白軍、モスクワのボリシェヴィキに率いられた赤軍、そして土着のマフノ農民軍が三つ巴の激しい戦いを繰り広げ、ついには規律と戦闘力に勝るボリシェヴィキが最終的な勝利を収めます。何よりも自治を尊重し、支配権力や権威という概念そのものを否定するアナキズム運動の脆弱さが、最終的に権力の奪取を最優先課題としたボリシェヴィズムに敗北したものです。
今回のウクライナ東部での戦いにマフノ軍を重ね合わすことはさておき、同じモスクワの支配下にある今のロシア軍とかつてのボリシェヴィキ軍とを重ね合わせことにそれほど無理はありません。そもそも赤軍というルーツが同じです。但し、今回の侵攻の切っ掛けがNATOの東方拡大に迫られたプーチンの反撃であり、一方、レーニンらかつてのモスクワ指導部の目論見は革命領域の積極拡大であったという基本的な違いがあります(プーチンが求めるロシアの安全保障は領土的な「野心」とは無縁と考えます)。しかし、戦いの終盤に陥ったマフノ軍の絶望的な状況と、現在の東部戦線の状況を重ね合わせると暗澹たる気持ちにならざるを得ません。マフノの闘いにおいては、権力や権威を否定するアナキズム運動が権力志向のボリシェヴィズムに敗れました。ウクライナ戦争では米国とNATO側の武器が流れ込むことで、ますます代理戦争化しています。勝者はなく、焦土化した土地、数えきれない墓標と疲弊した人々だけが残ってしまうのでしょうか?
著者のヴォーリンはマフノの幕僚を務めていただけに立場は鮮明です。アナキスト運動による自治を過分に評価し、一方で、白軍やボリシェヴィキによる暴力や残虐性は強調され過ぎているきらいはあります。その辺りは割り引いて読む必要もあるでしょう。しかしながら、今回のウクライナ戦争を通じて、かつてこの地で確かに存在した歴史のひとコマとその意義を思い起こすことも無駄ではないように感じました。
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