フクシマ・原発被災地を訪れる
地元のグループ(脱原発八千代ネットワーク)でフクシマの原発震災被災地を訪れてきました。事故後3年を経て、いまだに13万人以上の人々が避難を余儀なくされている現状を自分たちの目と耳で直接確かめてくるのが目的です。総勢23名の参加で、現地を案内していただく「原発事故の完全賠償をさせる会(原発事故被害いわき訴訟原告団)」の佐藤三男さんといわき市の四倉PAで落ち合い、市内久之浜の津波被災地、広野町、楢葉町、富岡町をめぐりました。
ちなみに現在、福島第一原発周辺の被災地域は次の3つのカテゴリーに分かれています。
(1)避難指示解除準備区域(年間20mSv以下)
(2)居住制限地域(年間20-50mSv)
(3)帰還困難地域(年間50mSv以上)
このうち、(3)の帰還困難地域は道路封鎖されており入ることは出来ません。(2)は通過は自由ですが、居住は不可です。また、放射線量も高く、長時間の滞在には注意が必要です。(1)は宿泊は禁止されていますが、昼間の滞在は可能となっています。
さて、(2)に属する富岡駅周辺で目にしたのは、3年以上にわたって時間が止まったままの凄まじい光景でした。これらの写真は3年前の津波の直後ではなく、「今」です。これまで、女川、石巻、宮古などの三陸の津波被災地も訪れてきましたが、想像を絶する破壊の爪痕は残るものの、一方で復興の槌音が響き渡り、人々の営みもありました。しかし、ここにはそれがないのです。街や住宅地は文字通りのゴーストタウンです。津波が運んだ軽トラックが屋内に乗り上がったまま放置されています。高放射線量ゆえに撤去作業も出来ず、除染活動もこの地までは及ばず、例え、ガレキ類の撤去が行われたとしても人々は戻れません。
(3)との境界線で車は止められます。周囲の住宅地には人っ子一人見えません。通りも、家屋も、田畑も不気味に静まり返っているだけです。ちなみに付近の空間線量は1 - 2 μSv/h、地上での最大測定値は8.0μSv/hでした。
楢葉町に建つ宝鏡寺の早川住職のお話を伺いました。ここは(1)に属し、早川住職は通常は圏外の仮設住宅に住みながら、必要時に寺に戻ってきます。「現在、政府は(1)の地区の住民の帰還作業を進めようとしているが、戻る予定のあるのは約15%で、それも高齢者のみ。近いうちに町は消滅する」と仰っていました。
周囲の畑や空き地のあちこちには除染作業で生じた廃棄物(表土、枯葉等)がフレコンに詰められ、プラスチックシートに覆われたまま仮・仮保管されています。耐候性の弱いこうしたプラスチック類の寿命はせいぜい5-10年程度でしょう。こうした低レベル放射性廃棄物があちこちに放置されたままの土地に強引に帰還を促進しようという政府の政策は明らかに間違っています。「フクシマは収束しつつある」という虚偽のキャンペーンを推し進めようという思惑だけが見えます。
結局、数百年、あるいは地域によっては数千年、この町や村々が人々の元に戻ることはありません。原発事故を起こすということは、こういうことなのです。先日の福井地裁による大飯3,4号機差し止め判決の中で述べられていた「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」という言葉が改めて甦ってきます。
私たちは事故前、数十年間にわたってこの東電福島原発で発電された電気を享受しながら生活してきました。そして、その代償がこれらの光景なのです。申し訳のない気持ちでいっぱいになります。今は車で「帰還困難区域」の境界線まで行くことが出来ます。皆さんにもぜひ、フクシマの今を直接目にしていただきたいと思います。
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