2014年5月 5日 (月)

「ビュフェ美術館」と「ヴァンジ彫刻庭園美術館」 @クレマチスの丘

20050414_02_2  例年、この季節恒例のお墓参り(御殿場の富士霊園)から少しだけ足を延ばし、富士の裾野に位置する「クレマチスの丘」を訪ねました。主目的は広大な施設の一角に佇む「ベルナール・ビュフェ美術館」です。約2000点にのぼる所蔵も見事ですが、開館が1973年(ビュフェ45才)というから、いくらビュフェが若くして成功を収めたとはいえ、その先見の明に驚かされます。昨年(2013年)は開館40周年ということで、館内は大きくリニューアルされました。1945年から1999年までの作品群を時代ごとに区切り、とても見易くなっています。2回目の訪問となりましたが、作品の量、質ともに圧倒されます。家にもどってからも、館内で購入した画集をめくりながら、ゆっくりと余韻に浸ることにします。

ビュフェ作品については改めて語ることもないでしょう。独特の細見姿、輪郭線、ひっかき傷のような黒い線、モノトーンの色調、劇画調の表情、等々の与える印象は強烈です。画家としての大成功と人気の一方で、ビュフェは71才で死を選びました。作品群からは不条理さや疎外感、虚無感、不安感がひしひしと伝わってきます。

 ビュフェ美術館の隣には伊豆にゆかりの深い「井上靖文学館」が併設されています。前回訪れた時は「氷壁」の特集で、物語の素材となった1955年のザイル切断事件の裁判経過や実験結果などが展示されていました。旭川の井上靖記念館とともに、井上ファンにとっては、一度は訪れてみたい聖地のひとつだと思います。

この季節、「クレマチスの丘」にはその名前の通り、さまざまなタイプのクレマチスが咲いています(パンフレットによると200種、2000株と)。加えて、ライラック、藤、紫陽花、パンジーなど、この季節の花々が園内に咲き誇っています。そして、それらの木々や草花と見事に調和しているのが、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」の屋外彫刻群です。彫刻芸術というものにはいま一つ共感を得ることが出来ないでいたのですが、ここに置かれている彫刻群はきわめて具象的であり、人間臭く、何とも心和むユーモアを感じさせてくれます。この美しい庭のベンチで、これらの彫刻群に囲まれながら一日中を過ごせたらとても豊かな気持ちになれそうです。

お奨めの場所です。

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2012年8月24日 (金)

ドビュッシー・音楽と美術展 @ブリヂストン美術館

Debussy_005 実に長い間、ブログをサボっていました。単なる、多忙と猛暑、気力の欠如が理由です。秋の気配と共に少しは更新頻度が上がればと思いますが・・・(他人事)。

さて、「ドビュッシー音楽と美術 - 印象派と象徴派のあいだで」という企画展を観てきました(ブリヂストン美術館)。この猛暑日にドビュッシーはミスマッチだよなぁと思いながらも、たまには気分転換をと気力を奮い立たせて出かけました。生誕150年を迎えるドビュッシー(1862 - 1918)と、同時代の芸術家たちとの交流をテーマにしたものです。最近は、ありきたりの画家展や美術館展に捉われない、斬新な企画展が増えているように思えます。ましてや、このような絵画と音楽のコラボとはとてもユニークです。

ドビュッシーは、多くの印象派の画家たちの中でも、特にモーリス・ドニとは意気投合していたようで、ドニを知る展覧会としても面白いものでした。確かにドニの「木々の下の行列」(右上の写真)や「ミューズたち」からはドビュッシーの音楽が聴こえてくるようです。とりわけ、この二つの絵に共通する樹木の縦の線がドビュッシーの凛とした響きを連想させるのかもしれません。

私にとって、決して分かり易いとはいえないドビュッシーの作品は積極的には、特にそれ単独では聴きたい音楽ではありません。しかし、ニジンスキー振り付けによる「牧神の午後への前奏曲」(パリオペラ座「ディアギレフの夕べ」)の映像盤は衝撃的でした。音楽と振り付けが相俟って、とてつもなく美しく官能的な世界が現出していたのです。踊り手(ニンフ)たちは単純な横移動のみ、観客側には常に横顔を晒すことによって平面的な絵画の世界をそこに現出させようとしたのでしょうか?アドルフ・メイヤーの作なる初演当時のスケッチ(下)が展示されていました。

オペラ「ペレアスとメリザンド」も実に象徴性に富んだ作品です。手元にある1992年のウェールズ・ナショナルオペラ盤(ブーレーズ指揮)は舞台の美しさで際立っています。ソプラノのA・ハグリーがメリザンドの美貌、神秘性、無邪気さ、哀しさを見事に表現しています。残念ながら、他の舞台映像で満足できるものにはまだ出会っていません。この対話形式で進む叙事音楽劇はアリアとレチタティーボの区別が殆どなく、すなわち、旋律というよりは殆ど「語り」に近いものなので映像なしでは辛いものがあります。ただ、各幕間の間奏曲の美しさは比類のないものです。

ということで、ドビュッシーの音楽作品は、交響詩やピアノ曲がそうであるように、それ自体が絵画的であること以上に、舞台芸術と相俟ってこそ人々に鮮烈な印象を残すものといえるのでしょう。この展示会で紹介されているような、多くの芸術家たちとの交流がもたらした近代芸術の果実を優雅な気分で味わいたいものです。

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2011年6月25日 (土)

『六月大歌舞伎』 @新橋演舞場

110625 この齢になって初めて「歌舞伎」を観ました。新橋演舞場での六月公演「夜の部」は『吹雪峠』、『夏祭浪速鑑』、『色彩間苅豆・かさね』の3本立てです。幕開けと同時、効果音と共にいきなり現れた吹雪場面にまず驚かされました。背景は宵闇とはいえ鮮やかな色彩をもった舞台美術です。そこで繰り広げられた愛憎劇は台詞も含めて現代劇と変わりません。歌舞伎というものが、こんなにもモダンな装いであるとは知りませんでした。

二つ目の『夏祭浪速鑑』は約2時間にわたる人情劇でしたが全く退屈することはありませんでした。物語の展開が一方通行(初体験者にとっては起承転結が理解できない)であることと、台詞が聞き取りにくいことに若干の難点はありましたが、明るい舞台色彩と衣装、コミカルな振り付け、簾の奥の雅楽などを楽しみました。そして何よりもあちこちで切られる見得への客席からの合いの手に、延亨2年(1745)と言われる初演以来、受け継がれてきた伝統というものを感じました。子役(市川染五郎の長男、松本金太郎)の「あい~」という台詞には会場から暖かいどよめきが伝わってきました。客席との一体感が歌舞伎の魅力の一つなのですね。TVに頻繁に登場する市川染五郎だけではなく、中村吉右衛門や片岡仁左衛門、中村歌六といった出演者たちへの予備知識や事前体験があればもっと楽しめるのでしょうね。

三つ目の『色彩間苅豆・かさね』は利根川沿い(我が家からも遠くない下総の木下)を舞台にした男女間のどろどろとした怨念と殺人劇を描きます。ここでも利根川流域の寂れた雰囲気を舞台美術が見事に醸し出します。市川染五郎と中村時蔵による艶麗な身のこなしがこの劇の怪奇性を一層増します。歌舞伎というのはあくまでも市井の、そして生身の人間たちを描くのですね。

三つの作品とも、この季節に実に相応しい作品でした。客席はほとんど常連で埋まっているような雰囲気で、幕間にはあちこちで弁当を広げる姿が見られました。私たちは2階の食堂で前もって予約した豪華な深川弁当とちらし弁当を美味しく戴きました。

なお、この場をお借りして、こうして思わぬ初体験の機会を提供してくれた友人のMさんに改めてお礼を申し上げます。

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2011年6月 5日 (日)

プーシキン美術館 @MOSCOW

110604matisse_2 モスクワの休日、前回のトレチャコフ美術館に続いて今回再訪したのはプーシキン美術館です。トレチャコフがロシア絵画を中心としている一方で、プーシキンは中世から近代にかけてのヨーロッパ絵画を大量に収蔵しています。とりわけ私たちに馴染み深い印象派を中心とした近代ヨーロッパの絵画は別館に「19-20世紀ヨーロッパとアメリカ作品展」として纏められていてとても見やすくなっています。

展示は階ごとに大きく3つに分けられています。1階がコローやミレー、クールベらの自然を中心に描いた19世紀のフランス写実絵画群、2階がドガ、モネ、ロートレック、ピサロ、シスレー、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンといったパリのオルセー美術館も顔負けの印象派ならびに後期印象派の作品群、そして3階がマチス、ドランらのフォービズム、ピカソ、ブラックらのキュピズム、更にデュフィ、カンディンスキー、シャガール、アンリ・ルソーといった鮮やかできらびやかな20世紀絵画作品群が展示されています。それぞれに色彩、光、形などが実に個性的、かつ概して明るい絵が多く、観る者を幸福な気分にしてくれます。前回のトレチャコフでは「座るデーモン」の絶望感に気持ちが寄せられましたが、今回はルノアールの描くふくよかな少女たちやマチスの金魚のとぼけた表情などに思わず笑みがこぼれます。向き合うことによって想像力と好奇心の発揮を刺激される、そんな絵画とこれからも出会えていけたらと思います。

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2011年5月25日 (水)

「成川美術館」 @元箱根

110525 御殿場方面へ出かけた帰路、芦ノ湖畔に建つ「成川美術館」に寄ってきました。天気にも恵まれ、展望ラウンジから眼下に広がる芦ノ湖、周りの新緑、右手の駒ケ岳、真正面にそびえる富士山の眺めは素晴らしいものでした。

展示物は主に現代日本画です。コレクションは4000点を越えると言われていますが、実際に展示されているのはスペースの関係でしょうか、残念ながらほんの一部です。例えば、平山郁夫画伯の作品は素描も含めて40点ほど所蔵しているとのことですが、展示されているのは1点だけでした。

それでも、日本画独特の岩絵具の醸し出す柔らかさ、花鳥風月を主題材としながらも、そこから発展させた現代的な斬新さ等々を十分に楽しむことが出来ます。例えば右上の絵、企画展示中の堀文子女史の描いた「トスカーナのひまわり畑」(1990年)はこれまでの日本画のイメージを大きく変える大胆な構図と色彩で観る者の目を引きつけます。

その他にも、それぞれが伝統工芸である鋳金と漆芸を融合した小杉拓也氏による作品群、様々の画家たちによる柔らかいタッチの風景画群などが印象に残りました。

この地域には個性的で洒落た美術館が多くありますね。前回は「ガラスの森美術館」、今回は「成川美術館」を訪れました。さて次回は印象派を中心とした「ポーラ美術館」あるいはアール・ヌーヴォー工芸の「ラリック美術館」のどちらにしようかな?

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2011年4月16日 (土)

「座る悪魔」 @MOSCOWトレチャコフ美術館

110416demon 再びモスクワに来ています。十数年ぶりに訪れたトレチャコフ美術館は外観も諸設備も展示室もひと回り広くかつ明るく、近代的な装いに変わっていました。かつてはこじんまりとしていて、いかにも個人収蔵館の雰囲気を漂わせていたような記憶があります。土曜日だけに内外から多くの人々が訪れていました。

トレチャコフといえば、丁度2年前に「忘れえぬロシア展」と題したトレチャコフ展が渋谷の東急Bunkamuraで開催され、いそいそと出かけたものでした。レーピンやクズネツォフといった所謂移動展派の明るい色調の写実画がとても好印象でした。今回はそのときの目玉作品、クラムスコイの「忘れえぬ人」やセロフの「桃と少女」などとは再び向き合うことが出来たものの、感銘を受けた移動展派の明るい作品群はどこかに貸出中のようで残念ながら再会を果たすことが出来ませんでした。それでも、シシュキン(1832-1898)やクイニジ(1842-1910)といった19世紀末の写実画家たちの描いた森や田園風景は観る者をとても穏やかな気持ちにさせてくれます。

今回驚いたのは、恐らく日本での知名度は相当に低いと思われるミハイル・ヴルーベリ1856-1910)の作品群が大部屋の一つを占有していたことです。その代表作ともいえる「Seated Demon」(邦題「座っている堕天使」)は約1x2メートルという想像以上の大きさでした。実は、個人的この作品を知ったのは革命前夜のロシアを舞台にした皆川博子氏の小説「冬の旅人」の隠れたモチーフとされている絵だったからです。小説の内容も凄まじいものでしたが、この絵自身も相当に激しい印象を観るものに与えます。夕暮れ時、座りながら佇む悪魔の目は夕陽に反射して鋭く光っています。いったい何を考えているのでしょうか?たくましい筋肉とまるでジーンズのような下半身のカジュアルさが現代的です。表情がどことなくマイケル・ジャクソン似です。まわりの花はゴツゴツとしていてまるで岩のようです。殺伐とした背景の中で悪魔の孤独を同時に感じ取ることが出来ます。叙事詩を題材にしているとのことですが、不思議な魅力を持った絵です。

モスクワも1-10度の間と短い春が訪れようとしています。5月に入ると公園や郊外はあっという間に新緑で覆われることになります。鮮やかな季節の転換がそこまで来ています。

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2011年1月 7日 (金)

ホキ美術館・写実絵画の殿堂

110107 昨年11月に開館したばかりのホキ美術館(千葉市緑区土気)に行ってきました。日本でも初めての試みという、約165点(所蔵は40作家、300点とのこと)の写実絵画ばかりを展示した専門美術館です。

いやぁ、実に面白くユニークな美術館です。まず。長く、ゆるやかな曲線を描いた5層、8区画の展示空間の斬新さと柔らかな採光に驚かされます。作品によって外光、LEDあるいはハロゲン照明を使い分けているとのことです。最終の第8ギャラリーでの鮮やかな趣の転換にも驚かされます。箱形の展示室のそのものが強度を持った構造躯体となっており、それが3段に積み重ねられています。外観も内側からの眺めも独特で、隣接した昭和の森公園の緑も借景として採り入れられています。

さて、展示品についても精緻さとその微細な仕上がりぶりに驚かされます。人物画、風景画、静物画に拘わらず、数メートル離れたところからの眺めはまるで写真のようです。いや、平面的、単眼的な写真よりも、作者の視点や心象を加えて更に多面的、複合的と言えるかもしれません。一方、数十センチの近接地点から観察するとそこにはまた別の様々の表情があります。髪の毛やほつれた糸の一本一本や布地の細かい目に至るまでの精緻さを極めたものや、一方で計算されつくした点描、あるいは遠景での柔らかさを発揮するための微妙なグラデーションなど、様々なマジックが仕掛けられているようです。写実の美を堪能すると共に、驚きと発見の連続に思わず「やられた」と苦笑することしきりでした。

写実画の世界でも、これほどまでに作者の思い入れと、圧倒的な職人芸を反映した作品群を目の前にすると、もはや驚きを越えて感動になります。それらの極めて効果的な展示を可能とした当美術館には今後も更に所蔵品の展示や海外作品の紹介にも努めてもらいたいと思います。

新聞や雑誌、TVでも採り上げられているので(今夜の日経夕刊にも大きく広告が掲載されていました)興味を持たれた方も多いでしょう。是非お出かけ下さい。お薦めです!

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2010年10月28日 (木)

『武士とはなにか』 @佐倉歴博

101028_2 佐倉の国立歴史民族博物館(通称「レキハク」)に出かけたのは1月に続いて今年2回目となります。目的は、一つは今月26日より開催されている特別展示『武士とはなにか』、もう一つは3月から新たに第6展示室として常設展示が始まった『現代』の部屋を覗いてくることです。

『武士とはなにか』は概ね10世紀から19世紀に至る武士の時代を年代順に辿るというのではなく(それはむしろ常設展示の役割)、具体的な史料を提示しながら、その時々の武士の存在というものを幾つかの側面から認識していこうというものでした。構成は大きく6セクションに分かれています。

1.武士を描く・武士が書く」でまず、武士へのイメージを相対化し、「2.戦いの形」で戦闘形体や武器の紹介を行いそのイメージの具体化が図られます。戦国時代に記された実際の戦功認定書などの史料には興味を惹かれました。当時から査定と昇給の世界が厳然として存在していたのですね。

3.武家のひろがり」、「4.軍学者と武士のイメージ」では多様な視点から武士の世界が語られ、「5.文武両道」では平和な時代が続くことでの武士の役割やイメージの変遷、「6.武士が消える」では、幕末以降の再軍備過程での武士身分の拡大とその一方での消滅が提示されています。歴史としては大雑把ですが、絵巻や書付類といった展示史料が豊富でなかなか面白く閲覧出来ました。

新たな常設展示『現代』は戦争の時代と戦後復興の中に生きる人々の姿を中心に取り扱っています。沖縄、広島、長崎といった今なお直接、身に迫ってくる展示資料にも目を奪われますが、一方で戦後生活事情を色濃く反映した展示物には、自分が歩んできた年月がすでに歴史の一部になっていることを実感させられます。

この『現代』には期間限定(201143日まで)の、「アメリカに渡った日本人と戦争の時代」という特別企画展示が付随していました。これがなかなか興味深く、日系移民たちが辿った苦労と数奇な運命が多くの写真や資料で紹介されています。これまで、強制収容所を巡る記事や山崎豊子著「二つの祖国」などでしか知らなかった日系アメリカ人の歴史の一端を知ることができたことは収穫でした。

歴博が開館した1983年以来、常設展示も6室を数え、内容もますます充実してきました。この歴博は古代を中心とした研究活動にも定評があり、この数年間に、旧石器・縄文・弥生時代が従来の年代観よりもそれぞれ早く始まっていることを明らかにしています。展示室ではジオラマや模型で視覚化することによって各時代の人々の生活を身近に感じさせてくれます。年代記や政治史、人物史などとは一線を画す一方で、その館名の通り「民俗史」に徹したレキハクの存在は世代を越えてすっかり定着したようです。

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2010年8月12日 (木)

『ブリューゲル版画展』 @東急Bunkamura

100812brugelten 渋谷の東急Bunkamuraミュージアムで開催中のブリューゲル版画展829日まで開催)に出掛けてきました。油彩画と並ぶブリューゲルのもう一つの世界です。

今回はベルギー王立図書館所蔵のブリューゲルと彼を取り巻く同時代の画家の版画作品計150点が展示されていますが、やはりブリューゲルの作品(半数を占める)は訴える力において群を抜いています。

ブリューゲルの版画というとまず怪物たちの登場する諺、寓話などをモチーフとした幻想的、怪奇的な作品が目に浮かびますが、今回はそれにもまして山岳や田園風景を描いた作品の雄大さと精緻さに目を奪われました。その描写(特に遠景)の精緻さについては現物に目を近づけることで改めて実感することが出来ます。遠くの教会の尖塔やねぐらに戻る鳥の群れなどが細かく描かれています。物語性のある作品では、主人公が例によって画面の隅で目立たぬように何らかの動作をしています。

宗教的な主題では「7つの罪源」というシリーズ作品がとりわけ面白く、人間を罪に導くとされる欲望や感情を大胆かつコミカルに描いています。次から次へと登場するパロディ化された人間たちと、周囲に群がる怪物たちがこれら止められない欲望の行く末を痛烈に皮肉っています。他の寓話作品と同様に、当時は啓蒙行為の一環であったかもしれませんが、結果としてこれらの作品は当時も今も変わらぬ人間の性(さが)を強烈な風刺するものとなりました。

一方で「7つの徳」というシリーズ作品もありますが、ここでも、「剛毅」は残酷な攻撃を、「正義」は審判と処刑を描くなど、結果として、人間行為の愚かさを強烈なアイロニーとなって表現しています。

他にも民衆の生活や諺、仕草などを描いた人間臭い作品、油彩作品の版画化されたもの、どういく訳か帆船を主題とした作品群などが展示されています。これまで、ブリューゲルといえば、もっぱら油彩作品に親しんできましたが、今回改めて版画作品の魅力と威力を知った次第です。帰宅してからも大判のブリューゲル絵画・版画集を眺めながらたっぷりと余韻に浸りました。ブリューゲルの作品というのは見るたびに新しい発見があり、飽きることがありませんね。

尚、ブリューゲルに関する過去記事は以下です。

ブリューゲル・『怠け者の天国』

野間宏・『暗い絵』とブリューゲル

 

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2010年7月 6日 (火)

オルセー美術館展 @国立新美術館

100629_2 平日の午前中だというのに六本木の国立新美術館内は大勢の訪問者で大混雑していました。日本人の絵画好き、それもフランス印象派関連作品への信仰に近いような憧れ故でしょうか?しかし、W杯狂騒や韓流ブームに見られる付和雷同的な国民資質というだけには留まらない、良く言えば本物への希求があるような気もします。TVやネット、ゲームといったバーチャル世界への反撃がここでも始まっているのでしょうか?混雑は快くはありませんが、悪くない雰囲気だなと感じました。来訪者はそれぞれの目論見やら視点から作品を楽しんでいるように見受けられました。

さて、展示されているのはパリのオルセー美術館から選りすぐりのポスト印象派作品115点です。創造的でまばゆいばかりの色彩と個性的な構図に溢れたお馴染みの作品群が並びます。これだけ密度の濃い絵画展というのも珍しいでしょう。勿論、ポスト印象派の作品群を一堂に会しているため、特定の作家をとことん探求出来るという展示ではありません。

例えば、セザンヌの作品は8点で、2008年に横浜で開催された「セザンヌ主義展」の40点には及びませんが、数ある中でも最もそれらしい「サント・ヴィクトワール山」が展示されているなど、全作品がいわゆる傑作と呼ばれているものです。

他にもモネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ベルナール、ボナールといった教科書や雑誌、画集でお馴染みの絵画が並びます。ゴッホの「星降る夜」の何と幻想的で美しいこと!ちょっと毛色は異なりますが、最後の部屋にはアンリ・ルソーの「戦争」がピカソの「ゲルニカ」に劣らない力をもって観る者の感性に迫ってきます。

さて、私が最初に印象派(あるいはポスト印象派)の作品に接したのは30年以上前になります。当時はチュイルリー公園の一角にある「ジュ・ド・ポーム美術館」(印象派美術館とも呼ばれていました)にそれらの作品群が収められていました。最初の部屋にドガの踊り子作品がずらりと並べられていた記憶があります。当時からモネの作品はその殆んどが公園の向かい側に対象形に建てられたオランジェリー美術館に集められていました。地下の「睡蓮の部屋」が有名ですね。

その後、印象派関連作品はル-ブルの近代作品群と共にオルセー美術館に移設されて、「ジュ・ド・ポーム」の持っていた小じんまりとした落ち着きは永久に失われてしまいました。残念な気もします。一方、アンリ・ルソーなどはポンピドー美術館にあったような記憶が・・・。

以来、あちこちで印象派とポスト印象派の作品に接する機会はありましたが、今回の展示はそれらに全く劣らない素晴らしいものといえます。遠く離れた日本でこれだけの「名画」に一挙に向き合えるだけでも幸せといえるでしょう。混雑さえ我慢すれば、入場料1,500円は断然お得です。

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