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2020年5月 7日 (木)

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読んでみた

Photo_20200507180501 新型コロナウィルスのまん延にはさすがに危機感を抱かざるをえず、世の中に合わせて巣ごもり状態となっています。外界との接触はもっぱら毎日1時間ほどの近所ウォーキングとZOOMを使った会合(いわゆる「ZOOM飲み」も含め)に限られています。いまだに無能・無策ぶりを発揮している安倍政権には怒りと情けなさがこみあげてくるばかりで、TVのニュースからもつい顔をそむけたくなる毎日が続いています。

  ということで(?)手に取ったのが『カラマーゾフの兄弟(光文社文庫、亀山郁夫訳)』です。学生時代以来、実に50数年ぶりの再会です。『カラマーゾフの兄弟』といえば、多感な青年時代のいわば通過儀礼のひとつとして読まれた方も多かったのではないでしょうか。私もそのひとりで、気儘でたっぷりと時間のあった下宿生活だったということもあり、思い切り没頭したものでした。

  さて、50数年前と比べるならば、読み手として観念的な場面への集中力の欠如や想像力の著しい劣化を自覚せざるをえませんでした(泣)。かつては何とか理解を深めようと、例えば「大審問官」の章は何度か繰り返して読みこんだものです(だからこそ、50年を経ても幾つかの場面を断片的に記憶していた)。しかし、今では、この難解な章は読み通すのはかなり辛い作業になっており、推敲への忍耐が続くことはありませんでした。

  登場人物への思い入れにしても、かつては偽悪的かつ自己満足的に自分の姿を重ね合わせていた次男イワンから、今回はむしろ裏がなく、素朴で単純、放縦、直情的で破滅型の長兄ドミトリーの姿により強い共感を覚えるように変わりました。脳内の劣化が観念的な思考を受け付けなくなったということだけではなく、世の中、観念や抽象的思考では動かないということを人生訓的に積み重ねてきたことの結果かなとも思います。

  一読者としてのこの期間中の大きな経験はロシアでの生活でした。西シベリアのトボルスクでの長期滞在に加えて各地を訪れることで、ロシアの大地、生活、人々に直接触れてきました。帝政時代にドストエフスキー家の領地があり、この小説の原点となる父親の殺人事件の現場ともなったモスクワ南部のトゥーラ県にも足を運んだことがありました。この地域、時代のロシア農村の風景を想像したり、また共に仕事をすることを通じて、ロシア人たちの様々な気質もある程度は理解できるようになりました。そのことが、観念で物事を考えてきた学生時代のイワンへの共感から、よりリアルな人間像としてのドミトリーへの乗り換えが起こったのかもしれません。

  亀山郁夫氏の翻訳は実に読み易く、このシリーズが新訳と銘打って発刊された時は大きな話題となりました、この難解な作品を広める新たなかつ大きな契機になったことと思います。ところで、訳者の亀山氏には『カラマーゾフの兄弟の続編を空想する 』というとても興味深い著作があります(2007.9光文社新書)。ドストエフスキーにより続編が計画されていたことは周知の事実ですが(そもそも本編小説の前書きに明記されている)、その内容についての推理と想像が大いに語られています。首題はどうやら第二の父親(皇帝)殺しで、アリョーシャが実行犯となるコーリャ(少年たちの一人でした)を示唆するというものらしいです。第一の殺人でイワンがスメルジャコフを示唆した構図の繰り返しになるのでしょうか?その後の主人公たちの往き末と共に永遠に読むことの出来ない物語に興味が尽きません。

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