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2014年3月26日 (水)

コルンゴルド『死の都』 @新国立劇場

05_aek7368 この作品については、以前に映像盤を紹介しています。それ以来、いつかはと心待ちにしていた実演での鑑賞がやっと果たされました(324日の最終公演日)。期待通り、音楽と舞台の美しさにたっぷりと浸ることができ、深い感動を味わうことができました。まさに至福のひと時でした。

この作品が甘美な旋律と豊かな音量に溢れていることはすでに周知の通りですが、一方で、20世紀オペラ作品としては、後期ロマン派音楽の残り香があまりにも強いゆえに一部のクラシックファンからは低い評価も受けていたようです。実際に、作曲者コルンゴルド自身の米国亡命後は、長い期間にわたって忘れ去られていました。しかしながら、最近のヨーロッパや日本における上演頻度の多さや複数映像盤の入手が可能になったことなどで、コルンゴルド本人の業績とともに改めてこの作品の素晴らしさが見直され、すっかり復権を果たしたようです。

私がこの作品に入れ込むきっかけとなったのは、ストラスブール劇場による舞台映像盤によってです。以来、CD全曲盤(E・ラインスドルフ指揮、ミュンヘン・フィル)を何度も聴き込み、他の映像盤(下述)を視聴し、さらには下敷きとなったローテンバックの「死都ブリュージュ」(岩波文庫)も取り寄せました。小説も実に面白く、オペラ台本用にコルンゴルド親子が書いた、いわゆる「夢オチ」の結末ではなく、亡き妻にそっくりの奔放な踊り子に身を滅ぼす主人公の一直線の破滅物語です。この小説の書かれた世紀末の匂いが濃厚で、趣のある多くの挿絵(写真)により、物語のもう一つの主人公ともいえるブリュージュの街のイメージが深まります。

舞台の感想に戻ります。カスパー・ホルテンによる演出は、亡き妻マリーを実際に登場させることによって心理的な効果を高めています。亡き妻マリーを視認できるのはパウロと観客(そして最終幕でのマリエッタ)だけです。そのことによって観客は、踊り子マリエッタと亡妻マリー、すなわち、生きる者と死者、現実と幻影、奔放と貞淑、肉体と精神の間で揺れ動く主人公パウロの内側から物語の進行を眺めることが出来るのです。

パウル役のT・ケール(T)はストラスブール盤での印象が強く、今回の演出でも、マリーとマリエッタとの間で、ますます精神を病んでいく主人公の脆さと弱さが強調されます。

M・ミラー(S)は、いかにもアメリカンテイストなソプラノで、勝気と奔放さが勝るマリエッタ役にピッタリです(マリーとの体型の違いは無視(^^;))。第三幕でマリエッタが、どん底の社会から這い上がってきて今を生きていることを朗々と歌い上げる場面は、私の大好きなハイライト場面のひとつです。

賑やかな劇団仲間たちも、歌唱のみならず、その衣装も含めて楽しませてくれます。「ピエロの歌」で女声のヴォーカリーズが入る箇所は、度々現れる「リュートの歌」のメロディと共に、その甘美な旋律に心を奪われます。

続けて何度でも見たい!聴きたい!と思わせるオペラ作品は数多くありますが、私の中で、この「死の都」はそれらの中でも、R・シュトラウスの諸作品と共に筆頭にくる作品のひとつなのです。

さて、現在、市販されているDVDは以下の3本です。オーケストラの鳴り具合、出演者の歌唱・演技共に申し分なく、いずれもこの作品の素晴らしさと面白さを教えてくれます。

ストラスブール・ライン国立歌劇場(2002年)、T・ケール、A・デノケ

パウルを演じるのは、今回の新国立劇場と同じ、T・ケールです。とても伸びのあるヘルデンテノールです。主人公の精神的に行き詰った狂気ぶりが強調されていますが、舞台演出の斬新さと相俟って、強烈な印象を与えてくれます。

ドイツベルリンオペラ(1983年)、J・キング、K・アームストロング

オーソドックスな演出なので、物語を容易に理解することが出来ます。原作(ローデンバック)の雰囲気も良く残しています。マリエッタ役のK・アームストロングの優れた容姿と演技により、物語そのものへの感情移入も容易です。

フィンランド・国立オペラ(2010年)、KF・フォークト、K・ニールンド

今回の新国立と同一の演出です。上述したように、亡くなったマリーを常に舞台上に登場させることで物語性を強めています。パウル役のKF・フォークトは人気急上昇中の新進テノールです。狂気にまで至ることはなく、夢から覚めた後は、むしろ爽やかともいえる印象を残します。

ということで、演出によって三者三様のラストを迎えます。今回の新国立もカメラが回っていました。BS放送で放映される日も近いでしょう。お見逃しなく!

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2014年3月 8日 (土)

映画『シェーナウの想い』

6871335744_d6e8738105 遅れ馳せながら、映画『シェーナウの想い』を観る機会がありました(「生活クラブ虹の街」主催)。人口たった2500人の小さな村の脱原発運動からから始まった市民電力事業が、ついには全国規模の自然エネルギー電力供給会社へと発展していく様子を描いた60分ほどのドキュメンタリー映画です。ドイツ南西部の「黒い森」地方の自然は美しく、人々は優しく穏やかです。この平和な村の人々が1986年のチェルノブイリ事故をきっかけに、原発に頼らない市民電力運動を開始し、真っ二つに割れた住民投票、電力独占企業(KWR)との交渉、資金不足といった多くの困難と闘いながらも1997年に独自の電力供給会社(EWS)を設立します。

ドイツでは翌年の1998年に電力事業の全面自由化が達成されます。ドイツ国民は、どこに住んでいても電力会社を自由に選択できるようになりました。全ての市民は、その電気の「素性(原子力、火力、水力、風力、太陽光などによる発電比率)」を比較しながら、電力会社を選ぶことが出来るのです。このことが、ドイツにおける再生可能エネルギー比率の押し上げと、2022年までの原発廃止決定に大きく寄与しています。

一方、日本における電力事業の完全自由化はまだまだ途上です(早ければ、2018年度より発送電の法的分離?)。ドイツよりも20年は遅れていることになります。独占による電力支配が多くの利権構造や腐敗、安全神話を産み、ひいては、フクシマ原発震災事故の背景となったことは否めません。私たちは、私たち自身の安全と利益のために、もっともっと賢くなる必要がありますね。

私もドイツのヴィスバーデンに1年半ほど滞在しました。週末毎に訪れた小さくて美しい村々の風景が甦ってきます。丘陵地帯のあちこちに建つ巨大風車の姿が印象的でした。堅実な国民性にもたびたび感銘を受けました。省エネ・電力事業の先進国であり、何よりも「エネルギー供給に関する倫理委員会」の提言によって原発ゼロの方向性が決めたこの国の叡智には多くのことが学べそうです。この映画もその一端を私たちに教えてくれます。お奨めです。

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2014年3月 2日 (日)

今年もJ1開幕!

気が付いたら、1年以上も更新を怠っていました。公私ともにかなり多忙であったとはいえ、あまりにも手抜きの放置プレイもほどほどにせねばと、たまには気楽に書き込んでみますか・・・。

異常な寒さと降雪に見舞われた今冬も急に温(ぬる)くなってきました。季節は必ず巡ってくるものなのですね。情緒的には不思議と言えば不思議、科学的には当たり前といえば当たり前です。

で、春といえばJ1の開幕です。アントラーズは開幕戦で甲府に4-0で勝利しました。FW大迫のドイツ移籍、補強の失敗、若手の伸び悩み、プレシーズンマッチでの不調、等々により今シーズンの前評価は低く、サッカー誌エル・ゴラッソの各チーム番記者たち(18名)による平均評価は11位です(しかも降格候補に挙げていた記者が3名!)。確かに、広島、浦和、柏、C大阪などの優勝候補に比べれば特に期待できるようなインパクトがありませんね。

さて、そんな低評価のアントラーズが開幕戦に勝利しました。録画観戦でしたが、まだまだ選手間の連携は悪く、ミスが目立ち、押し込まれることも多く、流れからの得点チャンスは少なかったですが、それでも、若手主体で臨んでの勝利の意義は大きいです。先発のMF土井(21)、MF豊川(19)、DF昌子(21)、DF伊東(20)、途中出場のDF植田(19)らにとっては大きな実践経験と勝利体験となったことでしょう。更にベンチにはFW赤崎(22)、MF梅鉢(21)が控えます。DF西や今シーズンの活躍が期待されているDF前野、MF中村(充)らさえもベンチ外に追いやってしまう若手選手層の厚みは大きな潜在力であり、競争原理が働くことで、今後、いっそうの強さと活気をチームにもたらすことでしょう。

まだ一試合終わっただけですが、前評判を覆す勝利の積み重ねを期待しています。

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