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2011年11月28日 (月)

『ドン・ジョヴァンニ』@METライブビューイング

111123 2011-2012シーズンのMETライブビューイングが始まっています。2作目の「ドン・ジョヴァンニ」を見てきました(@東劇、先週)。さすがMETということで、実に立派で重量級のオケ、舞台、そして配役陣です。時代設定に忠実なオーソドックスな演出で、この作品に真正面から向き合っています。

この作品の持つ数々の美しいアリアを味わうには余計な装飾や奇をてらう演出が邪魔になることは、すでに多くの読み替え演出や現代演出で実証済みです(例えば、2006年のザルツブルグ音楽祭)。今回のようなオーソドックスな演出は作品そのものを味わうのにはとても相応しいものと言えるでしょう。

しかし、一方で新鮮味に欠けることも事実です。現代の聴衆や視聴者にとっての「ドン・ジョヴァンニ」は、物語そのものや登場人物たちの生き方などを正面から受け止めるためのものではなく、あくまでもモーツァルトの音楽を聴くための台本であり、舞台であると思います。そこで欲しいのが、読み替えや別解釈などには至らない、モーツァルトの音楽を損なわない程度の小さな洒落や遊び心なのです。例えば、2008年の新国立劇場での、背景をベネチアに移した演出、思わず笑みがこぼれるコミカルなエルヴィラ次女の登場、2001年チューリッヒ歌劇場映像盤でのそこここに見られる洒落た味付けとスピーディな展開、などが音楽の洒脱さを一層引き立ててくれました。

出演者たちに不満は全くありません特にBフリットーリ(S)をはじめ女声陣は、自分の役割を熟知しながら各人に与えられたアリアを堂々とかつ美しく、丁寧に歌いこんでいました。ドナ・アンナ役のM・レベッカ(S)の声の美しさ、ツェルリーナ役のM・エルドマンの初々しさも印象的でした。

男声陣とオーケストラには迫力を感じます。とにかく、真正面から挑んでくるようなで立派過ぎるドン・ジョヴァンニに、満足よりも満腹感を感じてしまった私は若干疲れ気味?

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2011年11月25日 (金)

映画 『ミツバチの羽音と地球の回転』

111122 全国各地で自主上映会が開催されている鎌仲ひとみ監督の作品を見てきました。瀬戸内海に浮かぶ小さな島、山口県、祝島の住民たちの日常と上関原発に対する闘い、そしてスウェーデンの小さな村における持続可能エネルギー自給への取り組みが淡々と描かれます。

最初は起伏の感じられない映像に若干の苛立ちを感じましたが、次第に、その感じ方って逆に僕らの生活の異常さの投影であることに気付かされます。

祝島の人々は、この上関原発の話が持ち上がった時から、すでに28年間にわたって反対と抗議活動を続けています。この映画は、ついに対岸での造成工事や海上ブイの設置が始まったにも拘わらず、これまでと変わらずに続けられていく人々の暮らしと、その一部となった抗議活動の記録映像です。島の作物、農業、漁業、生物の多様性などの様子が語られ、映像化されています。気負いや押しつけがましさを感じさせない、しかし紛れもない反原発映画です。

上関原発は311日の福島事故を受けて、は事実上の凍結状態に入っています。山口県知事は埋立て許可申請の延長は認めない方針ですが、しかし、中国電力はまだ建設を断念していません。フクシマ以降、これだけ原発に対する不信と不安が増長されているなかで、また、国全体で持続可能エネルギーへの転換が図られようとしている時に、今さら原発の新規建設というのは時代錯誤もいいところです。

この映画の姉妹編として「ぶんぶん通信」というビデオレターが市販されていて、これも各地で小さな上映会が開催されています。以前にNo.2No.3が地元で上映されていたので、すでに上関や祝島の風景はお馴染みのものとなっていました。併せてご覧になることをお勧めします。

フクシマ以後、多くのことを学ぶにつけ、核の危険とゴミを遠くの人々に押し付けながら、便利さのために電気を使い放題という私たち都会人の無責任さを改めて痛感します。

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