ヒロシマと東海村
66年前の今日はヒロシマに原爆を落とされた日です。以来、核廃絶は、国籍やその所有の有無を超えて、地球上の全ての人類にとっての悲願だと思います。
ところで・・・・、
“Nuclear Weapon”といえば「核兵器」ですが、”Nuclear Power Plant”といえば「原子力発電所」・・・・。これって、同じ”Nuclear”なのに、意図的に使い分けられていませんか?日本で原子力発電所を導入する際に「核発電所」では抵抗が大きいことが予想され、見事な「意訳」が行われました。しかし、実際に核分裂反応を利用する原理は全く同じです。元はといえば発電目的ではなく、原爆材料を作り出すために核開発は始まりました。米国のオークリッジ(テネシー州)のウラン濃縮工場で大量の濃縮ウランが製造されてヒロシマ型原爆が製造され、ハンフォード(ワシントン州)の原子炉と再処理工場では大量のプルトニウム型原爆が製造されてナガサキに落とされました。一方、世界で初の実用原子力発電所は1954年にソ連で完成されたと言われています(米国では1957年)。
肥田舜太郎/鎌仲ひとみ両氏の共著による「内部被曝の脅威」(ちくま新書)によると、ハンフォード(現在は閉鎖)では25,000発分の核弾頭をまかなえるプルトニウムが生産され、周辺に放出された放射性物質の総量はスリーマイル事故の一万倍に相当するとのことです(1987年米国政府報告書)。またアリゾナ州で行われた大気圏内核実験は1945年以降、実に1,200回に及び、広範囲の放射能汚染を引き起こしました。広瀬隆氏の名著「ジョン・ウェインはなぜ死んだか?」(1982年)という本には当時の多くの西部劇映画の撮影がネヴァダやユタの汚染地域で行われていたこととの因果関係が語られています。
こうして、米国はすでに核開発を進めた時から世界で最初の被曝大国となっていたのです。1945年以降、1989年までの世界での核関連の研究者や労働者、周辺住民の被曝死亡者はICRPでは117万人、ECRRでは内部被曝を考慮して実に6,160万人と算出しています。その後も米国は、イラク住民や米国兵士に劣化ウラン弾での被曝犠牲者を続出させています。このことに米国民はもっと気付くべきです。また、原発と核問題の関連性がもっと語られて良いと思います。
ところで、先週の日曜日に茨城県東海村に出かけ、「アトムワールド」、「東海テラパーク」、「原子力科学館」の3つのPR館を巡ってきました。やはり「百聞は一見にしかず」ですね。基本的には子供だまし的な施設群ですが、実寸の燃料棒、キャスクやガラス固化模型、JCO事故の装置、放射線医療原理などを興味深く眺め、分かり易い解説が掲載されている無料配布の各種パンフレットはそれなりに勉強になりました。相手の懐に飛び込み、安全神話の虚構を内側から観察することも無駄ではありませんでした。
上の写真は敷地に隣接しているテラパークから撮った東海第一、第二発電所です。向こう側の第一は1998年に運転が終了し廃炉手続き中です。燃料棒は搬出したものの、2013年度まで監視管理(要は作業が可能になるまでの放射能減衰期間)を続けてから解体作業に入るとのことです。運転終了後20年間をかけた長期工事となるのです。正常に終焉した原発でさえ20年間ですからフクシマ解体にはどの位の期間がかかるのでしょうか?50年?100年?その間、周辺汚染と被曝労働が継続するということです。事故の後遺症の重みを改めて感じさせます。
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