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2010年10月28日 (木)

『武士とはなにか』 @佐倉歴博

101028_2 佐倉の国立歴史民族博物館(通称「レキハク」)に出かけたのは1月に続いて今年2回目となります。目的は、一つは今月26日より開催されている特別展示『武士とはなにか』、もう一つは3月から新たに第6展示室として常設展示が始まった『現代』の部屋を覗いてくることです。

『武士とはなにか』は概ね10世紀から19世紀に至る武士の時代を年代順に辿るというのではなく(それはむしろ常設展示の役割)、具体的な史料を提示しながら、その時々の武士の存在というものを幾つかの側面から認識していこうというものでした。構成は大きく6セクションに分かれています。

1.武士を描く・武士が書く」でまず、武士へのイメージを相対化し、「2.戦いの形」で戦闘形体や武器の紹介を行いそのイメージの具体化が図られます。戦国時代に記された実際の戦功認定書などの史料には興味を惹かれました。当時から査定と昇給の世界が厳然として存在していたのですね。

3.武家のひろがり」、「4.軍学者と武士のイメージ」では多様な視点から武士の世界が語られ、「5.文武両道」では平和な時代が続くことでの武士の役割やイメージの変遷、「6.武士が消える」では、幕末以降の再軍備過程での武士身分の拡大とその一方での消滅が提示されています。歴史としては大雑把ですが、絵巻や書付類といった展示史料が豊富でなかなか面白く閲覧出来ました。

新たな常設展示『現代』は戦争の時代と戦後復興の中に生きる人々の姿を中心に取り扱っています。沖縄、広島、長崎といった今なお直接、身に迫ってくる展示資料にも目を奪われますが、一方で戦後生活事情を色濃く反映した展示物には、自分が歩んできた年月がすでに歴史の一部になっていることを実感させられます。

この『現代』には期間限定(201143日まで)の、「アメリカに渡った日本人と戦争の時代」という特別企画展示が付随していました。これがなかなか興味深く、日系移民たちが辿った苦労と数奇な運命が多くの写真や資料で紹介されています。これまで、強制収容所を巡る記事や山崎豊子著「二つの祖国」などでしか知らなかった日系アメリカ人の歴史の一端を知ることができたことは収穫でした。

歴博が開館した1983年以来、常設展示も6室を数え、内容もますます充実してきました。この歴博は古代を中心とした研究活動にも定評があり、この数年間に、旧石器・縄文・弥生時代が従来の年代観よりもそれぞれ早く始まっていることを明らかにしています。展示室ではジオラマや模型で視覚化することによって各時代の人々の生活を身近に感じさせてくれます。年代記や政治史、人物史などとは一線を画す一方で、その館名の通り「民俗史」に徹したレキハクの存在は世代を越えてすっかり定着したようです。

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2010年10月12日 (火)

浅田次郎・『マンチュリアン・リポート』

101010 「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」、「中原の虹」に続く、中国近代史を舞台にした浅田次郎の書き下ろしの新作を読みました。この作品は「蒼穹の昴」という大河小説に対する「珍妃の井戸」のように、「中原の虹」に対するサイドストーリー的な要素の強い作品です。「珍妃の井戸」では皇帝の愛妃殺害の瞬間に居合わせた多くの人物たちの証言集という多面的なミステリー手法を採ったように、この「マンチュリアン・リポート」でも張作霖爆殺の瞬間に向かう関係者たちの行動を解き明かすというミステリー色の濃い方法を採用しています。張作霖を乗せた機関車を擬人化して喋らせる場面では「トーマスか?」と思わずツッコミを入れたくなりますが、この御料列車の独白によって小説のロマン性が高まると共に、西太后時代から連なる歴史の一貫性がよく見えてきます。

プロローグでいきなり「人間」天皇を登場させます。躊躇さえ感じさせないそのくだけた口調によって天皇をいとも簡単にミステリー小説の一キャストとして扱ったことはちょっと驚きでした。このような、畏敬や、その一方での否定や批判の対象ではない天皇の描き方はこれまで読んだことがありません。

この小説で、すでに張作霖の爆殺が関東軍の陰謀行為であることは明白にしており、ミステリー色が濃いといっても、謎解きや犯人探しの物語ではありません。作者は張作霖という稀有の英傑(真偽は別として)の最後をロマンと覚悟と共に散った姿として描きたかったのでしょう。それにしても「中原の虹」での肩入れぶりに始まる張作霖への強い思い入れはどこからくるのでしょう?別途、その時代の歴史を紐解きたくなってきました。

小説の主人公である志津中尉、張作霖、トーマス、いや「鋼鉄の侯爵」に加えて、吉永中佐、岡圭之介、李春雷、李春雲といった懐かしい人物たちが登場します。やはり本篇の前には「蒼穹の昴」、と「中原の虹」を読んでおいた方が良さそうです。とりわけ最終章の紫禁城でのエピソードは前作を読んでいないと違和感があるでしょう。

さて、次は大河作品としての続編が楽しみになってきました。主人公は国共合作の立役者、張学良?あるいは「蒼穹の昴」でほんの数行だけしか登場しませんでしたが、野に逃れた王逸を師としたあの少年?

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2010年10月 7日 (木)

R・シュトラウス 『アラベラ』 @新国立劇場

101007 新国立劇場の『アラベラ』を観てきました。全編を通した、めくるめくような音の洪水に浸り、それをたっぷりと堪能することが出来ました。同じ、R・シュトラウスでも、上演頻度やCDDVD作品の多さといった人気指数では『ばらの騎士』が一歩勝るでしょうが、音楽の美しさ、豊かさ、思い切りの良さという点ではこの『アラベラ』の方が上回るような気がします。それほどに、この作品の音楽は魅力に溢れているのです。

今回の新国立劇場における『アラベラ』も大満足でした。まず何よりもタイトルロールを演じたミヒャエラ・カウネ(S)の声質、声量、情感、さらに舞台上での立ち姿が素晴らしかったのです。初めて聞く名前でしたが期待を遥かに超える美しい歌唱を聴かせてくれました。とりわけ、第1幕のソプラノ二重唱、第2幕のバリトンとの二重唱、第3幕のグラスの水を運ぶシーンでの独唱などは、まるでこのまま時間が止まってくれたらと思わせるような至福のひと時でした。

マンドリカ役のヨハネス・マイヤー(Br)は豊かな低音の響きが魅力的でした。ズデンカ役のラスムッセン(S)は最初、声量の少なさが若干気になりましたが、美しい声を持っています。天羽明恵(S)を始めとする日本人歌手たちも健闘していて全く違和感はありません。新国立劇場のキャスティングの良さに改めて感じ行った次第です。

フィリップ・アルローによる演出は光の効果を多用した美しい舞台を創り上げています。ホテルの壁に掲げられたクリムトの絵画と森英恵の衣装が原作を数十年ずらした20世紀初頭の時代設定であることを示しています。むしろ作曲年代との一致が好ましく感じられます。窓の外に降り続ける雪が室内劇の効果を高めていました。

ウルフ・シルマー指揮によるオーケストラ(東フィル)は正味2時間半にわたって全く弛緩することなく豊かな音量を響かせながら、技巧的かつ職人芸的なR・シュトラウス音楽をたっぷりと聞かせてくれました。

ちなみに、20076月に同じ新国立劇場の『ばらの騎士』を観ています。この時も演出、キャストを含めた新国立のレベルの高さにとても感心しました(過去記事参照)。今回はそのことを踏まえた上で、いっそう音楽に集中して楽しめたように思います。生でR・シュトラウスのオペラを聴くことの何という贅沢さ!

手元には2枚の『アラベラ』映像盤があります。

G・ショルティ指揮/VPO/ヤノヴィッツ/ヴァイクル(映画版)

・ウェルザーメスト指揮/チューリッヒ歌劇場/フレミング/ラーセン(2007年ライブ)

演奏の完璧性ではスタジオ録音の前者に軍配が挙がりますが、面白さではやはり舞台映像の後者が勝ります。青色系の舞台が今回の新国立劇場と似ていますが新国立の方が遥かに豪華でかつ細部も凝っていました。チューリッヒ盤は今やシュトラウス・ヒロインの第一人者ともいえるルネ・フレミングの奔放で現代的なアラベラがとても魅力的です。

私にとって『アラベラ』は『ばらの騎士』や『サロメ』と共に、あるいはそれ以上にこれからも折に触れて聴き続けてゆく作品です。

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