浅田次郎・『終わらざる夏』
丁度、65年前の夏、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏を宣言した時にカムチャッカ半島から僅か13キロの距離にある最北端の占守島(シュムシュ島)と隣の幌筵島には満州から移動した無傷の機甲師団約2万3千名が滞陣しており(輸送手段がなくなりそのまま動けなくなっていた)、連合軍(米軍)による武装解除を待っていました。
ところが3日後の8月18日未明に突如にソ連軍が襲いかかってきて激しい戦闘状態に陥り、日本軍に約600名、ソ連軍に約3,000名の死傷者が出たのです。スターリンの目的は犠牲の発生による千島列島の奪取でした。そもそも無謀な攻撃であり、ソ連側に多数の死傷者が出ています。但し、生き残った日本軍の兵士たちにはシベリア抑留という更に過酷な運命が待ち構えていました。
この物語は、その占守島の戦いに直接的あるいは間接的に関わっていくことになる普通の将校、兵士、軍属やその家族たちを描きます。戦争も末期となり「根こそぎ動員」によって年配者や傷病者、不適格者たちまでが一片の徴兵通知によって戦地に送られていく姿が普通の人々の目線で語られていきます。
全900ページに及ぶ大作ですが、占守島における戦闘場面は僅か10数ページに留まります。読売新聞へのインタビューで浅田次郎氏は「 僕は占守島の戦いを素材に、その時代、社会の背景とそれに翻弄される一人一人の思いを書きたかった。そのことが戦争を理解することになる」との趣旨を述べています。
暗い時代と愚かな戦争を背景としていますが、いかにもこの作者らしく、登場人物たちに未来を託す明るさと逞しさを持たせていることも忘れてはなりません。信州の疎開先から脱走する二人の子供、占守島の缶詰工場で働く挺身隊として動員された女学生たち、彼らを陰に日向に助ける大人たちなどのエピソードは国家が狂気の時代にあっても人間としての当たり前の感性を持ち続けている普通の市民たちの姿を描きます。彼らの存在があったからこそ、戦争によって国家は破綻しても社会は生き残ったのでしょう。
尚、占守島の戦いそのものについて大野芳著「8月17日、ソ連軍上陸す・占守島攻防記」(新潮文庫)を続けて読んでいます。ソ連軍侵攻部隊と戦い、その後シベリアに抑留された将兵たちからの聞きとり調査を基にしたドキュメントです。
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