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2009年11月30日 (月)

北方謙三・『楊令伝』第11巻

9113011 北方「楊令伝」が11巻まで発刊されています。金の侵攻を受けた北宋の滅亡(1126年)と、南宋という形での存続、岳飛、張俊、劉光世ら軍閥の台頭、西に逃れた耶律大石による西遼の成立といった史実を背景にして、虚実織り交ぜたスケールの大きい北方ワールドが展開します。

童貫戦の勝利以降、梁山泊は一方的に戦いの矛を収め、日本や西域との交易を通じた領内の発展を模索します。「帝」を否定する梁山泊の在り方にはどこかに「12世紀の中国に共和国」ともいえる著者の意図的な実験的試みを感じます。租税率が10%(今の日本より遥かに安いぞ)という交易立国への道はユートピア思想のひとつと言えるのかもしれません。

しかし、所詮はユートピア、歴史に実現はしなかった梁山泊、ましてや北方ワールドの小説ですから、これからは北方「水滸伝」と同様、壮大な滅びに向かって突き進んで行くのでしょう。

この「楊令伝」が全何巻になるのかは分かりませんが(小説「すばる」でまだ連載中)、いまだに新しい登場人物も現れていて、一体どこで収拾するのかと心配にさえなります。一方、世代交代とはいえ、武松や燕青といった水滸伝以来、活躍していた主役たちの出番が減ってしまうのも残念ですね。

それにしても、かつてのハードボイルド作家、北方謙三はこの「水滸伝」シリーズや「三国志」だけではなく、今、同時並行的に「史記」にまで手を広げています。再構成力を武器にした中国歴史娯楽小説をこれからも楽しませてもらいましょう。

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2009年11月19日 (木)

野間宏・『暗い絵』とブリューゲル

91119 先日の朝刊(1115日日経新聞)に、「作家を魅了した絵①」という特集記事で野間宏の『暗い絵』とブリューゲルが大きく採り上げられていました。曰く、「野間宏がブリューゲルの画集と出会ったのは1935年、京大1年の時だった。絵の中の化け物のような暗い闇に取りつかれてしまう。戦争中、この画集を脇において小説『暗い絵』を構想する。」とあります。

私がブリューゲルの存在を知ったのも『暗い絵』によってでした(HPにも紹介しているように)。最も感受性の強かった学生時代にこの作品に出合い大きな衝撃を受けたのです。今回、本棚に長い間眠っていた「暗い絵」を再読してみて、改めてこの作品の持つ独自性と深さ、誠実さに感銘を受けました。

「草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ嵐が荒涼として吹きすぎる。」という出だしに始まるブリューゲルの画集の描写は、更に主人公の内面の言葉を通して数ページにわたって延々と続きます。まず、この長く、濃密で粘着質な描写に度肝を抜かれます。文体も独特で、その画集が大阪空襲で焼失する場面では一つの文章が600字にも及びます。それでも息が切れることなく、緊張感をもって一気に読ませてしまうのです。野間宏は『文章入門』という小冊子で、例えば、ある物体の描写をする際には四方向からだけではなく、色彩、匂い、時間軸、それを見る人物の精神状態、等々、あらゆる視点からの想像力を駆使し、それを文章化する訓練をアドバイスしています。この作家独特の文体と表現の緻密さの原点はここにあるようです。尤も、そのあまりの長さや時としての冗長さに一般読者としては辟易とすることもしばしばです。野間宏の長編作品(「真空地帯」、「わが塔はそこに立つ」、「さいころの空」、「青年の輪」)には時として忍耐も必要でが、それでも、それら作品の持つ、社会性と誠実さ、そして力は不変です。

野間宏は戦後文学を代表する作家というだけでなく、「狭山差別裁判」に関する著作も含めて多くの社会的発言も行っています。この作品は現代の読者にとっては若干「重い」のかもしれませんが、またぞろ、世の中がキナ臭くなりつつある時、かつての戦争前夜に若者たちが向き合った反戦へ正義感、絶望、挫折、更に、「しかたのない正しさ」に殉じて獄死していった仲間たちの運命への慟哭の思い、そして主人公の自我と自己の確立への決意には大いに共感するものです。この時代にあってこそ読み継がれることを願ってやみません。

  

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2009年11月12日 (木)

加治将一著・『竜馬の黒幕』

91028 来る、1115日は1867年のその日に京都河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺された坂本竜馬の142年目の命日です。竜馬暗殺の下手人とその黒幕については多くの説があり、今でも歴史ミステリーの一つとして多くの人たちによって採り上げられています。

一応、通説となっているのは会津藩の傘下で新撰組と共に京都の治安維持にあたっていた幕府見廻組による襲撃です。明治政府による取り調べで、見廻組員の一人、今井信郎が襲撃を自供していることからも最も有力な犯人説となっています。司馬遼太郎の「竜馬がいく」での暗殺場面の描写もこの自供がベースとなっているようです。

他にも現場に残された刀の鞘と下駄という物証を根拠とした新撰組説、「いろは丸事件」で竜馬に恨みを持つ紀州藩説(事件後、海援隊の陸奥陽之助たちが復讐を目的として紀州藩士たちを襲撃している)などがあります。更に黒幕にいたっては、幕府側のみならず、土佐藩説(大政奉還の功績を守ろうとした後藤象二郎)、武力倒幕派説(特に薩摩藩にとっては内戦回避路線の竜馬は邪魔となっていた)といった説が根強く残ります

この加治将一著『竜馬の黒幕』(祥伝社文庫)は副題が「明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン」となっているように、長崎の武器商人、グラバーとアーネスト・サトウ、パークス公使といった英国人たちの動きを追いながら、竜馬、伊藤博文(長州藩より英国へ密航留学)、五代友厚と寺島宗則(共に薩摩藩より英国へ密航留学)たちの英国との関係を解明しています。竜馬がまとめたといわれる「船中八策」にしてもその原型はサトウによる「英国策論」であり、また、英国や武器商人グラバーの後ろ盾なしに脱藩浪人の一人でしかない竜馬が薩長同盟をまとめきることは出来なかったであろうと述べています。こうして著者は明快な「竜馬=英国エージェント」説に立ち、やがて、竜馬は何故消される運命になったのかという推論へと導かれます。

著者の真犯人説は推論が多く、決して一概に賛同できるものではありませんが、歴史ミステリーの一面に光を当てているという面ではとても興味を惹かれました。秋の夜長、竜馬の命日を前にして142年前の殺人事件を巡るミステリーにクビを突っ込んでみては如何ですか?

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