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2009年6月18日 (木)

大岡昇平・『俘虜記』

90617 もはや日本文学の古典作品のひとつともなっている大岡昇平の『俘虜記』(新潮文庫)を読みました。若干唐突さも感じられるかもしれませんが、この時代と年齢に至って改めて読んでみたいと思わせる作品だったのです。作者の経験した戦闘と捕虜生活体験が綴られていくのですが、「反戦」を声高に叫ぶのではなく、あるところでは淡々と事実や心の動きの描写を、あるところは自らの立場も含めてシニカルな人物の描写を行っています。この作品は記録文学としての統一性は保っていますが、大まかに三つの部分に分かれていて、各々で描写の対象や筆致が微妙に異なります(段階的な執筆と出版という事情もあったようです)。

最初の部分はフィリッピン、ミンドロ島での絶望的な戦闘と負傷を経て捕虜となるまでの経過を主に心の動きを中心として詳細に描きます。30歳を超えた補充兵としていきなり最前線に送られた作者はこの戦争の愚劣さを感じながらも、「私は祖国をこんな絶望的な戦に引きずりこんだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼等を阻止すべく何事もなさなかった以上、今更彼等に与えられた運命に抗議する権利はないと思われた」と、確実に訪れるであろう死を覚悟します。

第二の部分は傷病捕虜として米軍野戦病院で次第に心身が回復していく期間を描きます。生還したことへの悦びと羞恥が入り混じった複雑な感情と共に個々の米軍兵や他の捕虜たちへの観察を怠たりません。異様な状況下での一種の文化比較論に興味が惹かれます。

第三の部分はレイテ島の大収容所で過ごす復員するまでの約半年間の集団生活です。日本軍人としての尊厳を失った捕虜たち一人一人の行状をシニカルな目で描きます。侮蔑と冷笑の対象は自分にも向けられます。ジュネーブ協定に従い、一日2700キロカロリーの食事と月3ドル相当の嗜好品、更に形だけの軽労働へ対価が支払われるという、生命の安全と衣食住を保証された環境下で一度は死を覚悟したはずの捕虜たちは次第に飽食し、堕落していきます。

作者、大岡昇平は文壇にあっても論争家として知られ、多くの敵をつくっていたようですが、この『俘虜記』においても描写の対象となった出来事や人々への筆致は批判精神とブラックユーモアに満ちています(思わず苦笑いする場面が多い)。功罪は別としても、異常状況下におけるインテリとしての面目躍如です。

尚、類似作品として横田正平著『玉砕しなかった兵士の手記』(1988年草思社)というものがあり、本棚に眠っていたものをこの機会に読みなおしてみました。新聞記者であった作者は招集兵として中国、サイパンと転戦し、グアム攻防戦最後の段階で投降する道を選び、ハワイの捕虜収容所で終戦を迎えます。圧倒的な物量を誇る米軍を前に精神論だけに頼る絶望的な戦いを継続する軍隊という組織の愚劣さと脆さが描かれています。

他にも戦後戦争文学としては野間宏『真空地帯』や梅崎春夫『桜島』、『日の果て』などが思い浮かびます。野間宏作品については他の作品も含めていつかじっくりと読みなおしたいと思っています。

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