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2009年3月30日 (月)

山本廣子・『狂歌百人一首泥亀の月を読む』

90331_2 中学高校時代の昔から最も苦手としていたのが「古典」です。漢文、古文から能楽、狂言といった芸能、仏教芸術に至るまでおよそ「和漢文化の世界」は遠いものでした。ましてや、和歌ともなれば、教科書で辛うじてうろ覚えの作品が幾つかあるだけです。大学の入試問題のひとつに「いろはにほへと・・・」を全文書けというのがあり一瞬真っ青になりました。当時はそれを和歌の一つとは知らなかったために回答欄は空白でした(今でも書けない(^^;))。

そんな自分が表題の本を面白く読んだ(拾い読みですが)というのですから我ながら驚きです。実は著者の山本廣子は従姉です。だからという訳でもありませんが・・・、いや、だからこそ読み始めてみたのですが、これが何となかなか面白い!

そもそも狂歌というのは江戸時代に流行った和歌をもじった戯れ歌です。和歌が平安貴族たちの雅(みやび)の世界を詠ったのに対して、狂歌はどこまでも庶民的であり、皮肉や諧謔に満ちています。いかにパロディに組み替えるかという知的遊戯でもありました。この「狂歌百人一首泥亀(すっぽん)の月」という作品集は越谷山人という狂歌人により文化文政期(1804-1830)に発表されたもので、小倉百人一首の下の句はそのままに、上の句のみを読み換えています。

例えば、小野小町による有名な

「花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」

という歌は、

「玉手箱あけてくやしき百とせの我が身よにふるながめせしまに」

と浦島太郎のお伽話に変わります。

平安の優雅に対して、庶民の生活、風俗、季節感、遊廓などを詠ったものが多いですね。

尚、全百首のそれぞれに原文ならびに読み替えについての簡潔な説明がなされており、パロディの面白さが解説されています。加えて、全作品について戯画(改作版である「闇夜礫」との2種類)が付属しており、これらのほのぼのとした画作品を同時に眺めると狂歌の意味がより分かり易くなり、かつ笑えます。戯画は当時の江戸庶民の様子を人間臭さとユーモアをもって描いており、これらを眺めるだけでも楽しくなります。

著者は長らく司法の世界で仕事をしてきました。定年退職を機に近世文学研究の道に入り、その数年後の成果としてこの本を出版しています。「古典」世界は別としてもあやかりたい人生です。

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2009年3月28日 (土)

『平和のための戦争展』@八千代

90327 表題の小さな展示会が地元の八千代市で開催されていました(無料、329日まで)。村上地区に新設されたアース・メイトという温浴施設の入り口脇にある小部屋です。

「八千代市にとっての戦争」を主題にした遺品、記録、写真、調査データ等の資料が壁やテープルの上に展示されています。規模は小さいものの、まるで高校の文化祭のように手造りの温もりが伝わってきます。特に興味を惹かれた展示には以下のものがありました。

「陸軍習志野学校と毒ガス実験施設」

今の習志野自衛隊駐屯地には毒ガス設備が存在していました。施設の一部や実験に使われた動物慰霊塔が写真に残っています。2007年には千葉市稲毛地区で4発の遺棄毒ガス弾(イペリット)が新たに発見されており、また習志野地域での毒ガス遺棄、汚染問題は未解決のままです。

「関東大震災で軍隊は何をしたか?」

戦争以前の出来事ですが(1923年)、内務省による意図的な発令と自然発生的なデマにより多くの朝鮮人が自警団や陸軍憲兵隊等によって殺害されました。船橋地区では50名以上が犠牲になったとの記録がありますが、八千代市内の大和田新田でも自警団に「わたされた」3名が殺され、その地に無縁仏が残っているとのことです。また「保護」と称して多くの朝鮮人を習志野の施設に「収容」し、憲兵による選別と殺害が行われたとのことです。

ごく普通の市民たちが大災害というパニック状態の中で、排外主義と民族差別を背景とした扇動によって分別を失ってしまったことの恐ろしさを大きな教訓として学ばなくてはならないと思います。とりわけ今、北朝鮮のミサイル問題を契機として扇情的なナショナリズムと排外主義がいっそう高まろうとしていることを深く憂慮します。

他には八千代出身者の戦没地別、年度別統計や八千代九条の会の活動等が展示されていました。年を経る毎に風化していく戦争体験をこうして語り継ごうとする小さな努力に敬意を表すると共に、私たちと以降の世代が更にそれを引き継ぐことの大事さを思います。

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2009年3月24日 (火)

小池真理子『望みは何と訊かれたら』

90324_2 再び「あの時代」を背景とした小池真理子の作品です(200710月、新潮社)。僕にとっては「無伴奏」「水の翼」と同様、1968-9年頃の仙台の「あの空間」への共感が読み始めの切っ掛けでしたが、物語はそんな小さな感傷を超えて、「あの時代」そのものの空気を映し出しています。

ネタバレにならない程度の粗筋は以下です。仙台や東京での「健全」な運動を通じてその時代に参加していた主人公が、ふとした切っ掛けで非合法活動へと関わっていきます。やがてそこから脱走した彼女を待っていたものは退廃と甘美に満ちた罠、そして、二度目の脱出・・・。物語は30数年前の「あの時代」と2006年の今とを繋ぎます。

背景となっている出来事に連合赤軍事件と連続企業爆破事件があります。追い詰められた党派の一部の暴走というよりは、もともと社会性の欠如している特異な個人に率いられたグループです。「思想」の外衣を纏ってはいるもののカルト集団と変わりません。この物語に登場するグループは1974年に三菱重工ビル爆破事件(死者8名)を引き起こした「反日アジア武装戦線(狼)」をモデルにしているようです。架空の指導者「大場」と(狼)の「大道寺」のイメージが重なります。

約半年間にわたる、閉ざされた空間の中での男女の睦合いを描く第2の監禁状態については小池真理子の作品世界そのものです。社会の空気と対比することで、いっそう閉ざされた空間や関係を引き立たせる手法はこれまでの小池作品と同様です。

「あの時代」への郷愁は別としても、一気に読ませてしまう実に面白いエンターテイメント作品でしたが、ラストに主人公が再びあの閉ざされた世界へ戻っていくことに共感は出来ませんでした。男と女の情念の違い?それとも小説家と凡人の発想の違いでしょうか?

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2009年3月21日 (土)

『山形 vs FC東京』@味スタ

90321m 帰国早々、親族筋の強制動員により「モンテディオ山形」のサポーター席に座らされてきました。モンテは今年からJ1に昇格し、第1節は何とジュビロ磐田を6-2と粉砕、第2節は優勝候補の一角、名古屋グランパスを相手に0-0のドローと、降格候補No.1の前評価を覆す滑り出しを見せています。

さて、本日は相手ホーム「味スタ」に乗り込み、FC東京に挑戦でした。地方からの昇格チームにとって首都東京での、それも5万人収容の大スタジアムでの初戦という記念すべき一戦です。ホームチームに比べて決して多くはないサポーター席ですが応援に盛り上がっていました。

結果は1-0FC東京の勝利。日本A代表の長友 が持ち上がり、カボレを経てオシムチルドレン羽生による流れるようなシュートが見事に決まりました。FC東京は、他にも今野、石川(直)、平山、茂庭といったA代表クラスが先発し選手の知名度では圧倒します。プレーを見ていてもついつい追ってしまうのは彼らの動きです。モンテディオ側は堅実な守備力が目立ちましたが攻撃スピードと攻守の切り替え、そして人とボールが同時に動く、いわゆるムービングサッカーではやはり従来からのJ1チームに一日の長があるようです。

実は自分にとってJリーグの試合に直接足を運ぶのは初めての経験でした。セリエAやブンデスリーガのスタジアムでは試合中にも発煙筒が焚かれるなど、時としてかなり激しい応援になりますが、日本のサポーターは行儀が良いことこの上ありませんね。たまにはTV観戦から抜け出して広々としたスタジアムの雰囲気に浸るのも良いものです。

今後もしばしば強制動員がかかりそうです。でも鹿島アントラーズ戦では密かに相手側を応援するぞ・・・。

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2009年3月15日 (日)

ロシア正教会@タシケント

90315 日曜日の午前中、ふと思い立って市内のロシア正教会に出かけてみました。イスラム国にも拘らず多くの信者が訪れています。ロシア系のみならず、タタール系、ウズベク系と思われる人々も少なくありません。教会を維持するにあたってソ連邦国家との、そしてイスラムとの軋轢は決して小さなものではなかったと想像しますが、今、ここで目にするのはとてものどかで平和な光景です。

ミサの間は全く出入りが自由です。好きな時に来て祈り、好きな時に帰るというのがロシア正教の(あるいはここの)流儀なのでしょうか? 礼拝は立ったまま行います。この点がプロテスタントやカトリックと異なります。女性たちはスカーフで髪を覆っています。東方教会とイスラムとの共通点が何かあるのでしょうか? 賛美歌は祭壇脇の合唱団によってアカペラで歌われます。教会独特の残響が荘厳な音響効果を与えます。祭壇や側壁には多くのイコンや宗教画が架けられており、それらに向かって信者たちが十字を切りながら敬虔な祈りを奉げています。

屋外ではベンチの周りで人々が歓談したり、早春の柔らかい風に吹かれながら思い思いに寛いでいます。子供連れの家族も多く賑やかです。恐らく日曜日毎の交流が楽しみなのでしょう。かつてソ連時代にモスクワやシベリア地区で幾つかの教会を訪れたことがありますが、辛うじて年配者たちによって教会が守られているという印象でした。時代が異なるとはいえ、ここタシケントではとても開放的な雰囲気を感じました。教会を一歩出ると、そこはイスラム色に満ちた大通りです。この平和的な調和がいつまでも続くことを願うばかりです。

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2009年3月 9日 (月)

タシケントの桜

90308tashkent 再びウズベキスタンに来ています。タシケントの大通り沿いの桜が7分咲きとなりました。東京より2週間くらい早いでしょうか。こちらの桜は形と色はソメイヨシノに似ていますがちょっと小ぶりです。今年は花見が2回出来るぞ。

(3/15追記)

こちらの人によると、この木は桜ではなく李(スモモ)だ、杏(あんず)だ、いやサクランボだといろいろな説が出ます。確かに、満開になってみると、花びらの密集具合がモモに近いような感じも受けます。でも、何の実もなる気配がありません。やっぱり桜?

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2009年3月 2日 (月)

『いのちの戦場・アルジェリア1959』

90301 前日に公開されたばかりの映画を渋谷の「シアターTSUTAYA」で観てきました。アルジェリアの植民地独立戦争のさ中、山岳地帯に展開したフランス軍中隊を描いた作品です。「L’ENNEMI INTIME(そこにいる敵)」という原題が示すように対ゲリラ戦争と暴力の応酬の中で敵と味方の区別がつかず、残虐行為と村民への無差別殺人を重ねる植民地支配軍の姿を描きます。兵士たちは次第に追い詰められ、いっそうの狂気へと向かいます。(作品のHPはここ)

「プラトーン」や「74日に生まれて」などがベトナム戦争を描いたように、アルジェリア戦争を描きたかったというのが製作者側の意図とのことです。確かに戦争の悲惨さ、恐怖、暴力と憎悪の連鎖、そして、あまりの愚かさをこれでもかという位に映像化しています。ベトナムやアルジェリアに留まらず、今なお、イラクで、アフガンで、ソマリアなどで行われている行為と重なります。

この映画では両陣営に引き裂かれるアルジェリア人たちも描いています。第二次大戦やインドシナ戦線に植民地から徴用(あるいは志願?)されたアルジェリア人兵士たちはそのままフランス軍に留まるか、あるいは民族の側で戦うのかの選択を迫られます。民族解放戦争であると同時に内戦の様相もあったのです。このことも宗主国による植民地政策が与えた大きな負の必然といえます。植民地支配であれ、資源争奪を背景とした侵略であれ、東西冷戦の代理戦争であれ、対テロを標榜した戦争であれ、大国の勝手によるその国の分断は癒えぬ傷として残ります。

私事になりますが、私が仕事で地中海に面したスキクダの街に長期滞在していたのは1978-9年の1年数か月の間でした。約8年間にわたる植民地独立戦争(1962年に終結)からまだ十数年を経たばかりでFLN(国民解放戦線)政権(ブーメディエン大統領)の基盤もようやく整いつつある時代でした。国内の治安はよく保たれ、独りで市内のカスバ地区散策などをしても身の危険は全く感じませんでした。しかしその後1990年代、アルジェリアはFLNとイスラム原理主義者グループ「イスラム救国戦線」との間で再び不幸な内戦とテロリズム応酬の時代を迎えてしまいます。2000年代の半ばになってようやく今、再び平和の時代を迎えようとしているところです。欧米の関心はもっぱら豊富な天然資源であり、リビア同様、ヨーロッパ向けのガス開発とパイプラン計画が目白押しです。

自分にとっては、この作品の舞台となったカビリー地方(北東部山岳地帯)の風景が懐かしくスクリーン上で甦りました。沿岸のスキクダからコンスタンチン、セティフ、ジェミラのローマ遺跡、そしてカビリーの山地を抜けて再び地中海沿岸に抜ける周遊コースを車で回ったことがあります。この映画の実際の撮影地は不明ですが、思い入れ深い風景でした。

さて、アルジェリアの独立戦争を描いた作品といえば他に「アルジェの戦い(1966)」、「前進か死か(1962)」、「名誉と栄光のためでなく(1966)」といった作品群が思い浮かびます。「アルジェの戦い」は首都における戦いと蜂起を民衆の側から描いた名作です。「前進か死か」のストーリーはすでに忘れましたが、ニニ・ロッソによるトランペットの悲しいメロディが壮絶な画面と共に印象が残っています。「名誉と・・・」はアンソニー・クインやアラン・ドロン等が出演するハリウッド映画ですが、インドシナから続くフランスの戦争を懐疑的に描いていたように記憶します。

先日のチェ・ゲバラの映画も同様でしたが、今、なぜ再びアルジェリアなのでしょうか? 記憶を埋もれさせないため? イラク、アフガン等への警鐘?いずれにせよ、戦争は狂気であるということ、兵士は人間性を破壊するものであるということを読み取るべき作品であることは間違いありません。

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