山本廣子・『狂歌百人一首泥亀の月を読む』
中学高校時代の昔から最も苦手としていたのが「古典」です。漢文、古文から能楽、狂言といった芸能、仏教芸術に至るまでおよそ「和漢文化の世界」は遠いものでした。ましてや、和歌ともなれば、教科書で辛うじてうろ覚えの作品が幾つかあるだけです。大学の入試問題のひとつに「いろはにほへと・・・」を全文書けというのがあり一瞬真っ青になりました。当時はそれを和歌の一つとは知らなかったために回答欄は空白でした(今でも書けない(^^;))。
そんな自分が表題の本を面白く読んだ(拾い読みですが)というのですから我ながら驚きです。実は著者の山本廣子は従姉です。だからという訳でもありませんが・・・、いや、だからこそ読み始めてみたのですが、これが何となかなか面白い!
そもそも狂歌というのは江戸時代に流行った和歌をもじった戯れ歌です。和歌が平安貴族たちの雅(みやび)の世界を詠ったのに対して、狂歌はどこまでも庶民的であり、皮肉や諧謔に満ちています。いかにパロディに組み替えるかという知的遊戯でもありました。この「狂歌百人一首泥亀(すっぽん)の月」という作品集は越谷山人という狂歌人により文化文政期(1804-1830)に発表されたもので、小倉百人一首の下の句はそのままに、上の句のみを読み換えています。
例えば、小野小町による有名な
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」
という歌は、
「玉手箱あけてくやしき百とせの我が身よにふるながめせしまに」
と浦島太郎のお伽話に変わります。
平安の優雅に対して、庶民の生活、風俗、季節感、遊廓などを詠ったものが多いですね。
尚、全百首のそれぞれに原文ならびに読み替えについての簡潔な説明がなされており、パロディの面白さが解説されています。加えて、全作品について戯画(改作版である「闇夜礫」との2種類)が付属しており、これらのほのぼのとした画作品を同時に眺めると狂歌の意味がより分かり易くなり、かつ笑えます。戯画は当時の江戸庶民の様子を人間臭さとユーモアをもって描いており、これらを眺めるだけでも楽しくなります。
著者は長らく司法の世界で仕事をしてきました。定年退職を機に近世文学研究の道に入り、その数年後の成果としてこの本を出版しています。「古典」世界は別としてもあやかりたい人生です。
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