『いのちの戦場・アルジェリア1959』
前日に公開されたばかりの映画を渋谷の「シアターTSUTAYA」で観てきました。アルジェリアの植民地独立戦争のさ中、山岳地帯に展開したフランス軍中隊を描いた作品です。「L’ENNEMI INTIME(そこにいる敵)」という原題が示すように対ゲリラ戦争と暴力の応酬の中で敵と味方の区別がつかず、残虐行為と村民への無差別殺人を重ねる植民地支配軍の姿を描きます。兵士たちは次第に追い詰められ、いっそうの狂気へと向かいます。(作品のHPはここ)
「プラトーン」や「7月4日に生まれて」などがベトナム戦争を描いたように、アルジェリア戦争を描きたかったというのが製作者側の意図とのことです。確かに戦争の悲惨さ、恐怖、暴力と憎悪の連鎖、そして、あまりの愚かさをこれでもかという位に映像化しています。ベトナムやアルジェリアに留まらず、今なお、イラクで、アフガンで、ソマリアなどで行われている行為と重なります。
この映画では両陣営に引き裂かれるアルジェリア人たちも描いています。第二次大戦やインドシナ戦線に植民地から徴用(あるいは志願?)されたアルジェリア人兵士たちはそのままフランス軍に留まるか、あるいは民族の側で戦うのかの選択を迫られます。民族解放戦争であると同時に内戦の様相もあったのです。このことも宗主国による植民地政策が与えた大きな負の必然といえます。植民地支配であれ、資源争奪を背景とした侵略であれ、東西冷戦の代理戦争であれ、対テロを標榜した戦争であれ、大国の勝手によるその国の分断は癒えぬ傷として残ります。
私事になりますが、私が仕事で地中海に面したスキクダの街に長期滞在していたのは1978-9年の1年数か月の間でした。約8年間にわたる植民地独立戦争(1962年に終結)からまだ十数年を経たばかりでFLN(国民解放戦線)政権(ブーメディエン大統領)の基盤もようやく整いつつある時代でした。国内の治安はよく保たれ、独りで市内のカスバ地区散策などをしても身の危険は全く感じませんでした。しかしその後1990年代、アルジェリアはFLNとイスラム原理主義者グループ「イスラム救国戦線」との間で再び不幸な内戦とテロリズム応酬の時代を迎えてしまいます。2000年代の半ばになってようやく今、再び平和の時代を迎えようとしているところです。欧米の関心はもっぱら豊富な天然資源であり、リビア同様、ヨーロッパ向けのガス開発とパイプラン計画が目白押しです。
自分にとっては、この作品の舞台となったカビリー地方(北東部山岳地帯)の風景が懐かしくスクリーン上で甦りました。沿岸のスキクダからコンスタンチン、セティフ、ジェミラのローマ遺跡、そしてカビリーの山地を抜けて再び地中海沿岸に抜ける周遊コースを車で回ったことがあります。この映画の実際の撮影地は不明ですが、思い入れ深い風景でした。
さて、アルジェリアの独立戦争を描いた作品といえば他に「アルジェの戦い(1966)」、「前進か死か(1962)」、「名誉と栄光のためでなく(1966)」といった作品群が思い浮かびます。「アルジェの戦い」は首都における戦いと蜂起を民衆の側から描いた名作です。「前進か死か」のストーリーはすでに忘れましたが、ニニ・ロッソによるトランペットの悲しいメロディが壮絶な画面と共に印象が残っています。「名誉と・・・」はアンソニー・クインやアラン・ドロン等が出演するハリウッド映画ですが、インドシナから続くフランスの戦争を懐疑的に描いていたように記憶します。
先日のチェ・ゲバラの映画も同様でしたが、今、なぜ再びアルジェリアなのでしょうか? 記憶を埋もれさせないため? イラク、アフガン等への警鐘?いずれにせよ、戦争は狂気であるということ、兵士は人間性を破壊するものであるということを読み取るべき作品であることは間違いありません。
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