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2009年2月17日 (火)

中川翔子の『ギザ・サイエンス!』

90216g_2 という番組をご存じですか?

正式にはKYOCERA近未来STORY・中川翔子のG(ギザ)サイエンス!」というニッポン放送、毎週金曜日の深夜24:30から30分間のラジオ番組です。最近、この深夜放送にハマっています。放送開始は2007年秋からですから、すでに約1年半にわたって実績を積んでいます。尚、ここで「ギザ」というのは「しょこたん語」の基本用語のひとつで「超」という意味の接頭詞ですね(^^;)

番組内容は、毎回異なる研究室の大学院生を招いてのトークが中心です。研究の内容がとてもユニークかつ先進的であるとともに、学生たちから研究トピックスを引き出す「しょこたん」こと中川翔子の司会ぶりが軽妙です。勿論、司会者にとっても、リスナーにとっても難解な研究への理解には限度がありますが、話される内容には大いに知的好奇心を惹きたてられます。若い研究者たちのポジティブな姿勢にもとても好感が持てます。番組の冒頭にある数分間の科学コントもなかなか愉快です。

最近のテーマは、「蝶が示す温暖化(2/13九大)」、「生物の右と左(2/6東大)」、「メタンハイドレート(1/30東大)」、「光のピンセット(1/23東大)」、「究極の自動ピアノ(1/16九工大)」といったもので、物理、化学、生物の多分野に及んでいます(過去の放送リストはココ)。面白いのはしょこたんが宇宙物理学と脳科学にとりわけ興味を示すことです。宇宙の物質の最小単位である素粒子がヒモ状であること(11/21京大「宇宙のひも」)を聞いて以来、「ひも」と「らせん」(これはDNAの形状から)という単語に妙に反応します。確かに、この世の中と全ての生物が「ひも」と「らせん」で出来上がっていると考えると何だか楽天的になれるような気がするから不思議です・・・。

科学番組といえば、NHK教育TVの「サイエンスゼロ」も興味深いですね。現在の番組キャラクターは安めぐみさん(前任者は眞鍋かをりさん)です。視聴率アップのためにと言ってしまえばそれまでですが、若い女性人気タレントを起用することで科学番組へより親近感を持ってもらうという効果が現われていることも事実でしょう。タレント側にとってもイメージアップに繋がる絶好のチャンスです。その意味でも「ギザ・サイエンス」でのしょこたんはサブカル系に留まらないマルチな才能を大いに発揮しながら番組に貢献しています。ラジオならあの奇怪なネイルを見なくて済むし・・・(^^;)

次の金曜日、たまには夜更かしで深夜の科学番組はいかがですか?

 

2/21追記)

昨夜のテーマは東大の修士学生3名を招いての「宇宙空間衝突による惑星研究」でした。専門領域への深入りは脇に置き、惑星と衛星へのロマンを語る学生たちの好奇心にスポットが当てられていました。しょこたんが木星に異常なこだわりを持っていたのが愉快でした。ん、ホルストの「惑星」、ジュピターの雄渾が旋律が頭の中で鳴り始めたぞ・・・。

昔、カール・セーガンの「COSMOS」を夢中で読みました。当時、宇宙の歴史はビッグバン以来150-200億年とされていましたが、今では137億年と特定されているのですね。いずれにせよ想像を遥かに超える時空の流れです。そんな無限ともいえる宇宙空間の中で極小の「ひも」状素粒子が絡み合って出来あがっている生命の不思議さ・・・。興味は尽きません

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2009年2月10日 (火)

映画・『チェ39歳 別れの手紙』

90209 キューバ革命達成までを描いた前作、『28歳の革命』の続編です。前作と比べると、ボリビアの山岳地帯でのあまりに希望のない戦いです。期待していた民衆の支持は得られず、都市労働者との連携も成功せず、仲間たちと共に次第に孤立し追い詰められてゆく姿を淡々と描きます。ヒーロー物語からは遠い失意と敗北の記録です。

チェがなぜボリビアに現れたか、なぜ民衆の支持を得られなかったか?等の疑問や背景について、この映画では僅かしか語られていません。軍事独裁政権の打倒、抑圧からの解放、ラテンアメリカ・ナショナリズムの高揚、米国の帝国主義とソ連スターリン主義への抵抗、といった思想と現実の貧困や生活レベルとのあまりに大きな乖離が失敗の背景でした。「ゲリラはキューバからの外来勢力」という政権側のキャンペーンも功を奏したようです。民衆の共感と支持なしに武装闘争の成功はあり得ませんでした。

先日おりしも、NHKハイビジョンで放映されていた『モーターサイクル・ダイアリーズ』という映画を観ました。22歳の医学生、エルネスト・ゲバラが年長の親友と共にオンボロバイクに乗って南米大陸横断の冒険旅行に出かける物語です。この映画も彼の日記に基づいた実録風の作りで、ある意味チェ・ゲバラの三部作とも言える作品です。この旅で山岳農民の貧困、鉱山労働者の悲惨、隔離されたハンセン病患者施設などに接し、チェは「自分自身が根本的に変わった」ことを自覚します。自らの拠って立つ位置を明確にしたのです。

この旅行(1951-2)の後、チェは医学部を卒業し、再び南米各地を旅行します(1953-)。その時にボリビアで農地改革の現実を目撃したことが、ボリビアを次の革命の地に選んだ背景としてあるようです。こうして中南米各地を再放浪した後にメキシコで亡命中のフィデル・カストロとの運命的な出会いをするのです。

28歳の革命』、『39 別れの手紙』、更には『モーターサイクル・ダイアリーズ』も含めて、映画として物語に起伏がある訳ではなく、戦闘シーンの画面を売り物にするものでもなく、ヒーローを創り上げて賛美するものでもなく、何らかの政治的メッセージを発信するものでもありません。チェのその時々の姿を、彼の眼に映った南米の風景や出会った人々の表情を交えて淡々と描くことで、一人の稀有の革命家へ挽歌を捧げると共に、今を生きる政治家や人々に信念と何かということを突き付けているような気がします。

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2009年2月 6日 (金)

『つばめ』@METライブビューイング

90204 今回はプッチーニの珍しい作品が上映されました。METでも72年振りの上演とのことです。全編、甘いプッチーニ節満載の作品ですが、単独でもしばしば採り上げられる「ドレッタの美しい夢♪」が有名ですね。とても美しいメロディです・・・。

この作品があまり上演されることがないのは、よく言われるように「ラ・ボエーム」と「マノン」と「椿姫」を足して3で割ったような物語で「決め手」に欠けることでしょうか?19世紀以前ならいざしらず、20世紀のヴェリズモ作曲家の作品としてはやはり物足りないものを感じます。金持ちの愛人によるベタ恋愛物語、主演がゲオルギュー(マグダ)とアラーニャ(ルッジェロ)のベタ夫婦コンビ、加えてプッチーニのベタメロディというかなりコテコテの条件にも拘わらず強烈な印象を残すことはありませんでした。

さて、幕開け前にMET支配人のゲルブ氏から会場に対して「本日のゲオルギューは風邪で本調子ではありませんが、温かく応援して下さい」という丁寧な挨拶とお知らせがありました。確かに出だしいきなりの「ドレッタの美しい夢」には辛そうなものがありましたし、その後も決して本調子とは思えませんでした(しかし、幕間のインタビューではよく喋るわ・・・)。でも、それ以上に表情にやつれを感じたのは風邪?疲れ?あるいはやはり年令のせい?溌剌としていた約10カ月前のMETライブビューイング「ラ・ボエーム」での姿と比べるとその差に驚かされました。

楽しめたのは第二幕でした。「ラ・ボエーム」の「カフェ・モミュス」のパクリ(^^;)かとも思える「カフェ・ブリエ」でのシーンではムゼッタとマルチェルロならぬ詩人プルニエ(T)と小間使いリゼット(S)のコンビも絡み、大いに盛り上がります。主人公たちとの四重唱も「ラ・ボエーム」のシーンを彷彿とさせます。しかし、この場面でもバリトンやメゾとの絡みがないことが深みを感じさせない一因かもしれません。名バスバリトン、サミュエル・レイミーの出番も少ないですね。

指揮はマルコ・アルミリアート、昨シーズンのMET「連帯の娘」で軽妙なドニゼッティを聴かせてくれました{柏の葉}。オーケストラサウンドを楽しむには「東劇」の音響は悪すぎるようです。

ということで、今回はちょっと辛口となりましたがライブビューイングへのファンであることはこれまで通りです。

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2009年2月 3日 (火)

『こうもり』 @新国立劇場

90131 ヨハン・シュトラウスの『こうもり』を新国立劇場で観ました。年越しあるいは新年の定番作品ですね。新国立劇場の舞台はいつもながら、現代的な装いを採り入れながらも奇をてらわないオーソドックスな演出に好感がもてます。片言の日本語を随所に挟み込むことで客先の笑いを誘ったり、ところどころに別作品の旋律を拝借することでオペレッタ特有の「遊び」を楽しむことが出来ました。

例えば、第一幕ではアデーレに用意させる晩餐が「すし、てんぷら、しゃぶしゃぶ」だったり、ロザリンデに言い寄る場面でアルフレードにリゴレットからの「艶っぽいお嬢さんよ」を歌わせた個所ではつい噴き出してしまいました。ただ、日本語の多用も後半にはちょっと辟易です

主役たちは特に可もなく、不可もなくという印象です。ロザリンデ役のノエミ・ナーデルマンはスリムで魅力的な容姿、豊かな表情でまるで歌う女優のような雰囲気でした。アルフレード役の大槻孝志のテノールが魅力的でした。テノール声がロザリンデを狂わせるという筋書きが刷り込まれているせいかもしれませんが・・・。

もともと、感動や感銘を求めるのではなく、その一瞬一瞬を楽しめば良い作品なので構える必要はないのですが、終わった後に若干の物足りなさを感じてしまうのは、この作品には映像盤とはいえ、クライバーとバイエルン歌劇場(1987)による超名演が存在するからなのかもしれません。オペレッタとはいえ、あの溌溂とした、それでいて優雅な雰囲気を醸し出した演奏と舞台の再現を期待することはす恐らく不可能なのでしょう。この作品は映像鑑賞によって感動のハードルが上がってしまった不幸な例かもしれません。

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