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2008年10月19日 (日)

プティボンの新譜・『恋人たち』

81018 パトリシア・プティボンの久しぶりの新録音です。国内版の発売に先駆けて輸入盤を入手しました。曲目はプティボンの守備範囲のど真ん中でもあるハイドン、モーツァルト、グルックのオペラ・アリアで手堅くまとめています。安定した歌唱と豊かな表現で健在ぶりを示してくれましたが、彼女特有の遊び心はほとんど封印しています。アーノンクールとのハイドン「アルミーダ」「騎士オルランド」といった作品で聴かせてくれたバロックセリアの延長線にあるアルバムです。弾力性に富みながらも引き締まったオーケストラ(ハーディング指揮のコンチェルト・ケルン)をバックによく伸びるコロラトゥーラを自在に操っています。

これまでプティボンについては何度か書いてきました(HPでの紹介DVD「フレンチタッチ」、YouTube映像ザルツブルグ・ガラ・コンサート)。

やはりプティボンといえば、歌の巧さに加えて、コメディエンヌぶりも含めた愛くるしい仕草と自由闊達な表現力に惹かれます。残念ながら行きそびれましたが、今年の来日公演でも多くの聴衆の心を引きつけたようですね。インタビューでは、これからの自分の活躍を宣言していました。今回のメジャー(DG)での新録音を弾みに更に多くの舞台や映像に登場してもらいたいものです。

10/26追記

このアルバムを機に作成されたDGによるプティボンのオフィシャルサイトがあります。嬉しいことに、録音風景の映像(モーツァルト「夜の女王」「ツァイーデ」、ハイドン「月の世界」)を視聴することが出来ます。いかにもプティボンらしい大きな身振りと表情の豊かさが印象的ですし、カジュアル姿にもとても好感が持てます。プティボンファンは必見です。

スケジュール表によると、来年のザルツブルグに「コジ」で登場なのですね。簡単に行かれる身分ではないため映像化に期待です。

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2008年10月15日 (水)

ブリューゲル・『怠け者の天国』

81015brugel 今日の朝刊(日経の文化欄)に俳優のイッセー尾形氏がブリューゲルの「怠け者の天国」という絵を紹介していました。昼下がり、三人の怠け者たちがぼーっと昼寝をしている姿を描いた絵です。曰く、「こんな人間たちをよく描くし、よくぞ没にならないで今まで残っているものだ」、「覇気の無い絵ナンバーワンだ」とけなしながらも、実はとても共感をしているようです。

手元にある画集の解説によると、この三人は、役人、兵士、農民で、怠けて寝ていれば良いだけの「Luikkerland」という村が舞台とのことです。食べ物はすでに調理されていて、ぐーたらしていれば良いだけなのです。これって究極のスローライフ?でも、本当に天国?実は飽食を戒めている絵とか?

良く見ると不可解なものが沢山あります。調理された豚の丸焼きや半分食べられた茹で卵が歩き回っていたり、フェンスがソーセージで出来ていたり、兜を被った人物が口の中に何か落ちてくるのを待っていたり、遠くからスプーンを持った男がプディング(らしい)の山を抜けてやってきたりと不思議さが満載なのです。それらはブリューゲル初期の怪奇画(ボッシュの影響)から抜け出してきた怪物であったり、中期の「ネーデルランドの諺集」や「子供の遊び」で描かれていたような何らかの逸話を現わしているようです。

それにしても、これほど緊張感の感じられない絵も珍しいかもしれません。「絵画」というと、それが古典であれ、近代であれ、現代であれ、具象であれ、抽象であれ、何らかの緊張感をもって作者あるいは絵そのものと向かい合うのが通常ですが、ブリューゲル後期の民衆を描いた作品群には実におおらかで見る者に構える気を起こさせないものが多くあります。その中でも、この作品の脱力度は最たるものですね。

ちなみにブリューゲルへの個人的な思い入れはここにありますのでお暇な方はどうぞ(このHPの更新はいつになるのだ?)。

 

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2008年10月 6日 (月)

オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』

81005salome  図書館からオスカー・ワイルド全集Vo.3(青土社)を借りてきました。目的は勿論、戯曲「サロメ」です。一時間とかからぬ小作品ですが、読み進む間、R・シュトラウスの音楽が頭の中で鳴り続けます。何せその楽劇の歌詞にはワイルド言葉がそのまま取り入れられているのですから。しかし、その先入観を出来る限り排除しながら読んでみると、当たり前のことですが、R・シュトラウスによって創り上げられた(と、僕らが感じている)サロメ像とは異なったサロメがそこにはいました。

ワイルドのサロメは遥かに幼く、我が儘で勝気な少女です。もともとは福音書によれば10代の(おそらく)、母親に忠実な憂いを帯びた娘ということになっています。ルネッサンスやバロック時代の絵画群もその系譜です。ワイルドは世紀末にかけての他の芸術家たちによるサロメ像の創造的再生をいっそう顕著にしたものとしてこのセンセーショナルな戯曲を書き上げました。

ワイルドのサロメは上述したような我が儘で勝気というだけでなく、自尊心と好奇心に満ちた魅力溢れる、しかも詩的表現を駆使する(詩人ワイルドの作であるから当然なのだが)知的存在でもあるのです(異常ともいえる執念深さはありますが)。

R・シュトラウスは音楽の力でそこに更に凄まじいともいえる情熱と官能のうねりを付け加えました。現在、戯曲「サロメ」が上演されることは滅多になく、舞台といえばもっぱらオペラ「サロメ」です(シュトラウスはオペラとは呼んでいませんが)。一方で、サロメ像はその後、映画や多くの引用等でさらに自己増殖を開始し、いつの間にかシュトラウスの音楽の範疇さえも超えて、すっかりスキャンダラスで常軌を逸した性的倒錯の偏執狂として認知されてしまったようです。

ところで、戯曲「サロメ」がパリで初演されたのは1896年とのことです。1892年に名女優サラ・ベルナールの主演でロンドン上演をする予定だったのですが当局の検閲で上演禁止となってしまいました。サラ・ベルナールは当時すでに50才を超えていたとのことです。

オペラでもシュトラウスは当初、サロメの声にドラマティック・ソプラノを充てました。妙齢のサロメはワイルドの戯曲の中だけの世界にとどまり、舞台でこの特異な主人公を演じるためには演技力や歌唱力に優れた強烈な個性を必要とするようです。この11月のメトロポリタンでの上演では多少年配とはいえ歌唱力と表現力にたけ、かつすでにこの役で定評のあるカリタ・マッティラ(YouTube映像はここ)がサロメを演じます。ライブビューイングへの期待大です。

尚、1894年英訳版の戯曲にはオーブリー・ビアズリーの挿絵がついています(青土版、岩波版でも同様)。ワイルドによる物語はビアズリーの絵とシュトラウスの音楽(1905年初演)によって世界に広がり、かつ様々の増殖を開始したと言えるでしょう。21世紀のサロメ像にはまた新たな展開があるのでしょうか?

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