« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月20日 (日)

『八千代9条の会』・3周年記念行事

昨日、約250名の参加者を得て「八千代9条の会」設立3周年の記念行事が開催されました。「九条の会」というのは4年前の6月に大江健三郎氏、井上ひさし氏、故・小田実氏をはじめとする9名の作家、文化人たちの呼びかけにより結成された平和憲法を守るための自主的な運動組織です。その後、趣旨に賛同して7000を超える地域やグループ毎の九条の会が全国に結成されています。「八千代9条の会」もそのひとつで、支持政党や信条は一切問わず、「憲法9条を守る」という一点だけを共通の目的とした地域の自主的な運動体です。

80719_3 記念行事はまず、八千代市在住のシンガーソングライター、水木翔子(みなきしょうこ)さんによるコンサートで始まりました。オリジナル作品に加えて平和を願う歌が続きます。森山良子のヒットが懐かしい「戦争は知らない」では会場全体から「野に~咲く~花~は~♪」との合唱が起こっていました。今回の行事のために作曲されたという「手をつなごう」では楽譜も配られて、やはり会場全体で盛り上がりました。

改めて思いました。音楽の力って凄いですね。歌詞がメロディやリズムを通じて、より心に到達し易くなるのでしょうか。人間を造り上げている要素のひとつが音楽なのでしょうか。伊藤真氏が講演の中で、「人間だからこそ、考えることやイマジネーションを広げることが出来る。それを使わないなんて勿体無い」ということを述べておりましたが、音楽もきっと同様なのでしょう。

さて、その伊藤真氏の講演は「今こそ『憲法の力』をつけよう!」というものです。ユーモアを交えた達者な話術に引き込まれたあっという間の1時間半でした。そもそも、法律との違いを含めて、憲法とは何かということから始まり、私たちが持っている日本国憲法は私たち国民を守るというだけの目的に留まらず、そこに明記されている平和主義、人権主義というものが世界に氾濫している紛争や貧困、差別を解消する上での指針となりうるということをとても分かり易く説明してくれました。今回の講演を聞いて、自分の「憲法力」が少しは増したと感じられたことは大きな収穫でした。80719_2

尚、伊藤氏には多くの著書がありますが、その中で「憲法の力」(2007年、集英社新書)が今回の講演のベースとなっています。戦争と暴力を明快に否定する立場に法律家としての視点が加わり、とても論理的でかつ読み易い内容になっていますのでお薦めです。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年7月16日 (水)

珈琲喫茶『kleiber』@仙台

帰路に立ち寄った仙台はかつて学生時代に4年間を過ごした思い入れの深い街です。一番丁の「高山」「アイエ」「丸善」といった書店、喫茶「エスポワール」、麻雀によく通った「民謡会館」等々はすでに消え、今は洒落たブティックやレストラン、居酒屋、テナントが軒を連ねています。中心街は店と車と人々で溢れ、今や大都市と化した雑踏の中をひとりで歩いていても余所者の孤独を味わうだけです。

80715 しかし、中心部を僅かに外れると、昔ながらの面影がまだあちこちに残っています。右の写真は澱橋から眺める広瀬川と亀岡方面。約40年前、この近くに下宿していた頃の風景とほとんど変わりません。こうして川内地区や片平地区を歩く時、仙台は再び「我が町」となってくれます。

で、この機会に訪れたのが、前からクラシック系のblogでその存在を聞いていた「kleiber」という名前の、今では数少なくなったいわゆる名曲喫茶です。国分町と定禅寺通りの交わった辺りのビルの地下1階のドアを押して開けると突然何とも懐かしい感覚に襲われます。いわゆるデジャヴ(既視感)よりも更に鮮明な記憶です。そう、ここは40年前によく通った「無伴奏」という名前のバロック喫茶によく似ているのです。たかだか10人ほどのテーブル席と数人のカウンター席しかない狭い空間に音楽が溢れています(丁度、バッハの「フランス組曲」が流れていました)。「無伴奏」が確か白い壁だったの対して「kleiber」ではベージュの壁に数枚の絵が掛かっています。「無伴奏」では一杯に詰まった大きなLP棚が後ろにありましたが、ここではやはり一杯に詰まったCD棚です。「kleiber」の音響は素晴らしく(スピーカーはSonas Faber製とのこと)、粒立ちが良いだけでなく、音に余裕があります。続いて弦も聴かせてもらいましたが(シューベルトのヴィオラ盤「アルペジョーネ・ソナタ」)、まるでリサイタル会場にいるような臨場感でした。

80715kleiber 名前が示すように、店は指揮者カルロス・クライバーファンの店主によって約2年半前にオープンされています。あまりの「無伴奏」と類似した雰囲気ゆえに思わず店主に訊ねてみたところ、「昭和50年代に「無伴奏」にはよく行ったけれど、その後継ではありません」「無伴奏との類似はよく指摘されます。」とのことでした。

僕にとって、学生時代の「無伴奏」への想いにはかなり深いものがあり、更に1970年前後の仙台を舞台にした小池真理子氏の小説「無伴奏」もかなり心の琴線を刺激する作品でした。たまにはしばしの感傷を自分に許しながら音楽に浸るのもいいものですよね。

kleiber」から表に出ると、そこはしばし過ごした時間が嘘のような今の仙台の雑踏です。さぁ、学生時代には半年に一度の贅沢品だった「大町のトンカツ」でも食べに行こうかな。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2008年7月15日 (火)

康楽館@秋田県小坂町

80714_2 いやぁ、とんでもなく面白いものを観てしまいました。

場所は十和田湖から近い秋田県の小坂町にある「康楽館」という、知る人ぞ知る日本最古の芝居小屋です。何故、人口7千人にも満たない地方の小さな町にこのような芝居小屋があるのかというと・・・、ここはかつて銀と銅の鉱山都市として総人口7万人を超え、秋田県第2の都市として繁栄していたのです。「康楽館」は市民や鉱山労働者への娯楽施設として明治43年(1910)に建てられました。その後、鉱山の閉鎖と共に町は寂れ、小屋も昭和45年(1970)には一旦閉鎖されましたが昭和61年(1986)に「まちおこし」の一環として再び公演が開始され今では多くの近隣の常連客や遠方からの観光客が訪れています。およそ一世紀を経た今も現役の芝居小屋として生きているのです。

さて、公演は「下町かぶき組」という大衆演劇集団による人情芝居と演芸ショーの2本立てでした。芝居は裏切られて殺された側室が殿様への恨みを晴らす「化け猫」の物語ですが、これが堂々たるベタの一方で、実にスピーディで現代的な怪談物語になっているのです。ユーモアを交えたアクションシーンも見事です。猫になりきった妖怪の仕草や身のこなしはロイドウェバーのキャッツたち顔負けです(比べるのもヘンだが(^^;))。そして、ショーも含めて何よりも驚かされ、また共感を覚えたのは出演者たちが若いことです。さまざまな劇団で修練を積んでいることが窺えます。客席と共にショーが盛り上がっていく様は芝居小屋だからこそ醸成が可能な一体感ゆえなのでしょう。

「康楽館」の並びには明治38年(1905)に建てられた西洋ルネッサンス風の「鉱山事務所」の巨大で華麗な建物も移築されており、「明治百年通り」と呼ばれる独特の景観を造り上げています。

尚、銅山が閉鎖された現在の小坂町では開発主体の藤田組の後を継いだDOWAホールディングス(旧同和鉱業)により輸入鉱石の精錬と国内廃棄物からのレアメタルの回収が行われています。やはり、かつては亜硫酸ガスによる煙害問題も生じたようですが、足尾のような大規模な鉱毒事件には至らず、森林もアカシアなどの植樹によって甦らせたとのことです。新たにリサイクル産業拠点としての地位を目指し、今年6月には環境相やDOWA、学識経験者、国内NPOなどを迎えて「環境サミットin小坂町」という催しも開催されました。

近代化遺産の建物群、新たなリサイタル拠点、そして芝居小屋と新しい「まちおこし」に挑戦する小坂町にはこれからも注目です。

80714jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月14日 (月)

十和田市現代美術館

盛岡から更に北上して辿り着いたのが青森県十和田市。目的は今年(2008年)の4月に開館したばかりの『十和田市現代美術館』です。現在常設展示されているのは21名の作家による22作品だけですが、これが実に独創的で面白いのです!

現代アートというと往々にして作者の自己満足的な作品が多く、理解に苦しむだけでなく、時にはどうみてもガラクタとしか思えないオブジェなどもあって敬遠しがちなのですが、この十和田にある作品群は「遊び心」が満載で恐らくは誰もが楽しむことが出来ます。

作品は表通りに面した屋外や中庭での展示に加え、各々が独立した部屋(箱)の中に収められています。作品は「鑑賞」されるのではなく、ひとつひとつを独立して「体験」出来るようになっているのです。作品はオブジェのみならず、音響や映像を伴うものもあります。そのどれもが実にユニークです。

80713 まず、最初の部屋に入ると身長4メートルのリアルで巨大な女性像と出くわします(写真)。肌の皺から髪の毛の一本一本に至るまで実に微細に人間の形を再現しています。これが単なる巨大な蝋人形なのか芸術作品なのかということはどうでもよいのです。単純に驚き、面白いのです。

薄暗いレストラン風の座席に座ると窓の外には何と深夜のハイウェイが遠くまで続いています。「だまし絵」ですが実に不思議な感覚に捉われます。長い時間座っていても飽きることがありません。

他にも不思議な生活映像の流れる部屋、まるでキューブリック監督の「2001年宇宙の旅」のような一室、観る者の心を不安定にするビデオCG(グリムの髪長姫をモチーフにしたとか)、実際に鳴らすことの出来るオノ・ヨーコ寄贈の「平和の鐘」等々、体験型の作品が続きます。

それにしても、何故、十和田市にこのようなユニークな美術館が生まれたのでしょうか?十和田といえば誰もが十和田湖や奥入瀬渓流を思い起こしますが、それらの観光資源に依存するだけでなく、さらに「アートによるまちづくり」プロジェクトの一環として官庁街通り全体を対象に市民の参加型、訪問者にとって体験型の新しい創造への試みを行っているとのことです。

青森県の中央という関東以西の住人にとってはアクセスがかなり困難な地域ですが、今、巷に溢れている現代アートに不満を感じている方にはお奨めです。

80713_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月13日 (日)

再び『山下りん』@盛岡

庄内から角館経由で東北を横断し盛岡にやって来ました。80713 目的は山下りんとの再会です。ここ盛岡ハリストス正教会では11枚の作品と出会うことが出来ました。前に足利の正教会で見たものと同様のコンセプト、手法で描かれています。残念ながら保存状態が非常に悪く、気温差や湿度の影響をまるまる受けて一部が剥げ落ちています。ここでも山下りんの絵は聖堂の中心に掲げられており、正式なイコンと相補う形で信仰の対象となっています。山下りんの描くイエスやマリア、聖人たちの表情は色使いも含めてどこまでも穏やかな優しさに溢れています。一方で、足利と盛岡を比べて感じたのですが、どちらの教会にある作品もまるでコピーのように同質なのです。まるで、りんがひたすら宗教画を描き続けた後半生は自らの個性を犠牲にしたように、その作品のひとつひとつにも個性を与えなかったのでしょうか?山下りんという人物とその手法の個性は際立っているにも拘らずです。

盛岡では、丁度ミサに立ち会う機会にも恵まれ、教会員の荒濱さんからは正教会についての貴重なお話を伺うと共に、また内部もじっくりと見せていただきました。ここに改めて感謝致します。80713_2

ロシア繫がり、皆川博子「冬の旅人」、NHKの特集番組、足利、盛岡と山下りんを追いかけてきた旅も残るは白凛居です。彼女が到達した境地が信仰心であったのか諦念であったのかという疑問への答えは未だ見つかりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

月山は霧の中

訳あって早めの夏休みをとり、いつものように庄内の鶴岡を基点にして東北地方を回っています。しかし、あまりに早すぎて東北地方はまだ梅雨の真っ最中です(^^;)。昨日は月山の8合目まで行ってみましたが写真の通りで、例年ならば残雪の映える頂上を仰ぎ見ながら、高山植物の咲き乱れる弥陀ヶ原も深い霧に覆われているだけした。この地方の原風景ともいえる麓からの月山、鳥海山の美しい姿も見ることが出来ません。已む無く、今回は藤沢周平も愛したという湯田川の日帰り温泉と酒田漁港の海鮮市場でのウニトロ丼で我慢です。

80711_7

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年7月 8日 (火)

『八千代9条の会』・3周年記念講演会

お知らせです。

719日(土)に発足3周年を迎える「八千代9条の会」では記念行事を開催します。最近の世論調査によれば「憲法改定」反対が賛成を上回り、憲法9条に関しては6割以上が維持を望んでいます(読売4月)。強引な改憲路線を歩んだ安倍政権の反動、年金や天下り問題による自民党支持率そのものの低下、連続した防衛省や自衛隊の不祥事といった、むしろ「敵失」が理由のひとつと考えられます。また、人々の懸念が戦争問題よりも地球環境や食糧の問題へと移っていったことも考えられます。

しかし、すでに昨年の5月に国民投票法が強行採決によって成立しており、政局次第ではいつまた改憲への動きが加速するか予断は許しません。このような時にこそ、改めて「憲法力」をつけようというのが3周年にあたっての趣旨です。

日時 : 719日(土) 午後4時半から

場所 : 八千代中央駅徒歩5分、総合生涯学習プラザ

内容 : 

第1部     ライブ・コンサート 水木翔子さん(八千代市在住)

第2部     記念講演 伊藤真さん(伊藤塾長、弁護士)

参加費 : 一般500円、 高校生以下200

地域の皆さん、ぜひ参加してみては如何でしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »