« 渡良瀬川流域行(その1)足尾精錬所跡 | トップページ | モスクワ短信 »

2008年5月 3日 (土)

渡良瀬川流域行(その2)渡良瀬遊水池

足尾から渡良瀬川沿いに草木湖、桐生、足利、佐野と下り、渡良瀬遊水池に至りました。鉱毒事件に最後まで抵抗し、ついには滅亡した谷中村の地です。

現在の渡良瀬遊水地は群馬、栃木、茨城、埼玉の4県にまたがる広大な敷地(33km2、山手線の内側面積の約半分)を有し、人造の谷中湖、葦とヨシの生い茂る湿地帯は多くの野鳥や植物の生息する地となっています。公園や人の入り込める区域はよく管理されていて、自然愛好者や家族連れにとっての貴重な憩いの場所となっています。

旧谷中村跡は谷中湖の脇にひっそりと佇んでいました。80502_3 村役場跡、共同墓地跡、寺社跡などにかつての面影を僅かに留めているだけです。荒畑寒村は、谷中村に住みついた田中正造が買収工作に訪れた栃木県庁の吏員と護衛の巡査に『この村泥棒め!』と大喝して追い出した場面を書き残しています。谷中村滅亡から90年の歳月を経て、このようなエピソード場面を想像するにはあまりに明るい公園地区に生まれ変わっていました。

域内の案内板(国交省の地方機関?)には遊水地建設の背景として『足尾では銅の精錬に必要な木炭を得るために山林の乱伐を重ね、その結果、水源の山々は保水力を失い、頻発する洪水によって鉱毒が流れ被害が拡大した』とありましたが、ここには明らかな事実の歪曲があります。山々が枯れたのは乱伐によるものではなく、精錬所からの亜硫酸ガスによるであることは(その1)に書いた通りです。事実を捻じ曲げてまで当時の精錬所と古河資本や政府の環境破壊責任を半減化させようとしていることにむしろ足尾鉱毒事件の現代への連続性を感じます。

それにしても広大な遊水地を確保したものです。表向きの名目は洪水対策と首都圏への安定水供給とのことですが、実際には鉱毒物質の沈殿と被害者の地域からの強制排除も目的でした。さすがに上流の堆積場から流れてくる鉱毒量は減少したとのことですが、遊水地の土壌には今でも他地域に比べて多くの銅、カドミウム、ヒ素等が含まれているとのことです。ちなみに1972年には足尾からの銅とカドミウムが太田市毛里田地区の水田を汚染し産出米の出荷が凍結となる事件もありました。足尾鉱毒問題は半永久的に終わらないのです。

その後古河鉱業は、枯れ山と化した足尾の後始末は自治体やNPOに任せ古河機械金属、古河メタルリソース等へと組織変更、分割を経て、今ではカナダやインドネシアでの鉱山事業に取り組んでいるようです。古河機械金属グループの2007年環境報告書には足尾でのNPOによる植林事業への協力が僅かに述べられているだけでした。80502_2

|

« 渡良瀬川流域行(その1)足尾精錬所跡 | トップページ | モスクワ短信 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161527/41079389

この記事へのトラックバック一覧です: 渡良瀬川流域行(その2)渡良瀬遊水池:

« 渡良瀬川流域行(その1)足尾精錬所跡 | トップページ | モスクワ短信 »