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2008年4月24日 (木)

『ラ・ボエーム』@METライブビューイング

80420bohem_2  日曜日(4/20)のNYメトロポリタンオペラ(MET)ライブビューイングはお馴染みの『ラ・ボエーム』でした。METData Baseによるとこの作品はMET上演回数のトップに位置しています(1900年から昨シーズンまでに実に1193回!)。ちなみに2位が「アイーダ」、3位が「カルメン」、そして「椿姫」「トスカ」「リゴレット」と続きます。モーツァルトはやっと16位に「ドン・ジョヴァンニ」が入ります(500回)。ちょっと意外でした。ヨーロッパとは順位がかなり異なるでしょう。例えば、ドイツでは恐らく「魔笛」が一位ではないでしょうか?次が「ばらの騎士」かな?

さて、今回の演出はやはりお馴染みのフランコ・ゼッフェレリによるものです。幕間にゼッフェレリ本人が登場するMETへの貢献感謝セレモニーの映像が流されていました。この豪華絢爛な演出はすでにスカラ座(1965年、2003年)、MET1982年)などの映像盤もあり、すっかり定着化した感があります(生の舞台はフランクフルトの劇場で接したことがあります)。特に第2幕は豪華な装置と舞台上に溢れる出演者たちの存在感に圧倒されますが、一方ではMETによる完全主義的な美術や衣装も加えて、そのコスト増はいかばかりかと余計な心配が先立ってしまいます。個人的には第3幕の雪降るシーンが好きです。酒場の軒先のツララに至るまで細かい舞台装置と美術が徹底しています。

ヒロインのミミ役はアンジェラ・ゲオルギューです。A・ネトレプコ登場以前に元祖ビジュアル系ソプラノとしてヨーロッパ中を席巻したディーヴァの歌唱力、演技力は今もなお健在です。一種の余裕なのでしょうか?年齢を重ねて一回り大きくなった魅力を感じさせてくれます。いずれは年齢を超越してミミ役の第一人者であったミレッラ・フレーニのような存在になるのでしょうか?

ラモン・ヴァルガス(ロドルフォ)は容姿を別とすれば、甘く伸びるテノールがプッチーニ節にはピッタリとはまります。アインホア・アルテタは初めて聴くソプラノでしたが、蓮っ葉なムゼッタをよく演じていました。指揮のN・ルイゾッティはやはりイタリア人だからでしょうか、プッチーニの甘い旋律を思いっきり歌わしていました。この作品は理屈を超えてひたすらプッチーニ節を楽しむが勝ちですね。

今シーズンのライブビューイングも残りは一回となりました。ペリー演出、N・デセイの「連帯の娘」となれば見逃せません。

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2008年4月20日 (日)

映画・『赤貧洗うがごとき』

80419shozo_tanaka 明治時代に起こった足尾鉱毒事件を描いたドキュメンタリー映画、『赤貧洗うがごときー田中正造と野に叫ぶ人々』を千葉市内の自主上映会で観てきました。

足尾鉱毒事件とは明治中期に起き、今もなお深い傷跡が残る、公害の原点ともいうべき出来事です。日清、日露の二つの戦争を背景として富国強兵政策に突き進んだ日本の政府と軍需産業が足尾銅山からの鉱毒で渡良瀬川流域を汚染し、人々の命と多くの村々を破壊した事件です。犠牲者は1899年(明治31)の発表では1064名となっていますが、汚染は渡良瀬川流域に大きく広がると共に、銅山からの大量の亜硫酸ガスの排出により付近の森林を壊滅させ洪水を引き起こしています。更にこの問題を大きく社会化させたのが下流域住民の強制的な移住です。最後まで抵抗した谷中村はついに遊水地の下に沈められました。

この住民運動に果たした田中正造の役割の大きさについてはもはや繰り返す必要もないでしょう。国会(帝国議会)での追及、天皇への直訴、土地収用への抵抗、更には利根川水域を含む流域調査等に生涯をかけ1913年(大正2)に71歳の生涯を閉じました。

さて、映画です。田中正造の半生を描いたドキュメンタリーですが、人物のみならず、背景の足尾鉱毒問題の掘り下げが中途半端になってしまった印象を拭えません。恐らくは田中正造という人物を通して現代の社会、環境問題へ取り組むにあたっての視点や心構えを訴えたかったのでしょうが、このような大きく、深い課題を90分強の作品にまとめること自体に無理があるのかもしれません。また製作費の制限による演出や映像効果の不足が目立ったことも残念でした。

田中正造を採り上げる時には、往々にして彼の極めて個性的かつ自己犠牲的な生涯を半ば神格化してしまうことにより、その偉大な功績をかえって人々の日常的な生活や思考から遠ざけてしまうという逆効果を感じます(彼自身にとっては極めて不本意なことでしょうが)。現在においてもその不屈な精神と行動は語り継がれていますし、北関東における正造人気は根強いものがあるようですが、彼の生き方を真似することは困難であり、自らの生き方への何らかのヒントを得ることが出来れば善しとすべきなのでしょう。

正造は足尾鉱毒事件について政府、権力、古川資本等に対して徹底的に戦うと同時に帝国議会や著書にて自らの反戦・平和・人権への信条を訴えています。日清・日露戦争の時代に「戦争は罪悪である」「日本を筆頭に世界の軍備は撤廃すべきである」等々の主張を一貫して述べています。日露開戦前夜の「軍国に借りて社会を蹂躙し、私欲をたくましゅうとする悪魔を撲滅し、国民は国民としての権利、人道を保全することに努めよ」という正造の言葉は現代にもそのまま当てはまるのではないでしょうか?

足尾銅山は1973年に閉鎖されましたが、その汚染の爪痕は今日もなお深く残っています。堆積された廃棄物(銅、ヒ素、カドミウム、選鉱滓等)は大雨のたびに渡良瀬川に流出し、枯れ上がった森林は元に戻りません。足尾は戦後、水俣、阿賀野川、四日市等の各地で発生した高度成長期の公害問題の原点であると共に、三里塚等に見られるような権力による土地収用への戦いの先駆け的な運動でした。公害問題は、現代においては更に温暖化問題を含めた地球環境問題として私たちの生存権そのものが脅かされている状況に拡大しました。再び正造の『真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし』という言葉を肝に命じながら、私たちが足尾から学ぶことはまだまだ多そうです。

最後に手元にあった本の紹介をします。

公害言論I(宇井純、亜紀書房)

1970年代初めの宇井純による東大の公開講座での記録です。技術的問題に加えて、田中正造の活動の紹介を中心にした運動論を展開しています。

谷中村滅亡史(荒畑寒村、新泉社)

田中正造からの聞き取りを中心とした社会的視点からのドキュメント。躍動感に溢れた、著者20歳の時の作品。若き社会主義者としての面目躍如です。

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2008年4月12日 (土)

チューリップ@印旛沼の畔(ほとり)

80412chulip 北総、春の名所シリーズという訳ではないのですが、今日、行ってきたのは佐倉市の印旛沼の畔のチューリップ園です。ここには166種類55万本のチューリップが植えられているとのことです。すでに満開で多くの家族連れや写真愛好家たちが訪れていました。

この印旛沼の脇にはかなり前に建てられたオランダ風車があります。ただし、実際に粉を挽いている訳ではなく羽根車は単なる飾りのようです。造られたのは風車が先だったのか、チューリップ園が先だったのかは記憶が定かではありません。かつて、習志野から新川(花見川)沿いのサイクリングでよくこの風車付近を訪れていましたが、地味で、風光明媚とは程遠い印旛沼との取り合わせは風景的にもそぐわないものを感じていました。

しかし、こうしてチューリップの季節となると風車との組み合わせが妙にサマになるから不思議です。オランダの絵ハガキ風景が頭の中に刷り込まれているからでしょうか?

北総台地は今、花に溢れています。草木の名前を覚えることが大の苦手な私でさえ、山桜、桃、コブシ、菜の花、チューリップ、沈丁花などが咲き乱れているくらいは分かります(^^;)。新緑の季節へと至る華やかな前触れショーなのでしょうか。

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2008年4月 6日 (日)

早過ぎた『吉高の大桜』

80406 この数年、恒例となっている「吉高の大桜」を見に行きましたが、残念ながら右の写真のように開花前の蕾の状態でした。昨年の同時期には見事な満開姿を見せてくれたのですが(昨年の記事参照)今年の開花は10日ほど遅れているようです。それでも周辺の山桜の何本かはすでに開花していましたし、満開のソメイヨシノは花びらを美しく散らせていました。

何よりも素敵なのは桜に至る遊歩道で春の日差しをたっぷりと浴びることが出来ることです。多くの人が訪れるので両側には近隣の農家が新鮮な野菜や手作り料理の店を多く出しています。大桜は開花前ですが商売はすでに8分咲きでした。

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