中世都市『ブハラ』から
2ヶ月前に引き続き、再びウズベキスタンを訪れています。今回は、南のトルクメニスタン国境に近い土漠地帯を巡りました。人里から数十キロの道なき道、周りは右の写真のように、遥か地平線まで土漠地帯が続きます。「草もなく、木もなく、稔りもなく、吹きすさぶ嵐が荒涼と過ぎる」とは野間宏「暗い絵」の冒頭の描写ですが、この地も3月の中旬だというのに、すでに灼熱の気配が一帯にたちこめており、風の強い日には砂嵐が襲う、稔りとは無縁の荒涼地帯です。
この場所を訪れたのは勿論探検や冒険が目的ではなく、新たな天然ガス開発計画調査の一環です。このような荒涼とした土漠地帯の地下に膨大なエネルギーが眠っています。石油に比べると、天然ガスは硫黄含有分が少なく燃焼排ガスが比較的クリーンであること、エネルギー当たりの温暖化ガス(CO2)排出量が少ないこと等により、非化石燃料の開発に至る期間に一定の役割を果たすことになります。しかし、地球温暖化の基本的解決のためには、化石燃料そのものの総需要と総供給量を共に抑制せねばなりません。基本的な矛盾を抱えたまま、今でも世界は天然ガス開発競争に凌ぎが削られています。このウズベキスタンで開発される天然ガスは国内需要を満たした後、パイプラインを通じてトルクメニスタンのガスと共にロシア経由でヨーロッパに向かうことになります。各国のエネルギー国家戦略が渦巻いています。
この国の表面には、そんな政治、軍事、エネルギー戦略とは無縁の人々の生活があります。今回は帰路にブハラの街に立ち寄りました。世界遺産に登録されているこのオアシス都市はシルクロードの中心都市サマルカンドに比べると華やかさでは劣りますが、今でも中世時代の建物と人々の生活が一体化した特異な雰囲気を有しています。かつて、キャラバンサライに駱駝を引き連れた隊商たちを受け入れたように、今は大型観光バスで乗りつける欧米や日本からの多くの観光客を受け入れています。郊外には新しいショッピング街の建設が始まり、携帯の普及にも目覚しいものがありますが、旧市街と共にある人々の営みは永劫の時を刻みながらゆったりと流れているような印象です。この国は、古いものと新しいもの、イスラムと世俗主義、近代化と伝統、開発と保存、勤勉と怠惰、統制と自由化といったものが混在、あるいは危ういせめぎ合いをしているようです。
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コメント
なんだか、うらやましい方面ばかりにご出張のようで・・・
いや、大変でいらっしゃるのでしょうけれど。
「オアシスは、地理的概念というよりもむしろ歴史的概念なのである」と、松田壽男さんの「東西文化の交流」という本の最初の方に書かれていますが、お写真からも、ブハラはまさに「歴史的概念としてのオアシス」なのだなあ、とつくづく感じます。
砂漠は、ブハラの北に接するものでしょうか?
すると、天然ガスはそこからアラル海とカスピ海のあいだを抜けてロシアへ向かわされるのか・・・ルーシ(古ロシア)の中央アジア侵攻とは逆方向になるのですね。
そういうことに想像を巡らしていると、眠れなくなります。
投稿: ken | 2008年3月27日 (木) 02時08分
kenさん、
ウズベキスタンの天然ガスはアラル海からトルクメニスタンに至る広大な土漠地帯に多く眠っています。今回の開発地域はブハラの南西のトルクメニスタン国境地帯です。サマルカンドやブハラはパミール高原からの雪解け水が流れ込むアムダリア河やその支流沿いに発達した水の豊かな古都です。
中世にはタタール勢力によって攻めこまれたロシアがその後、強大なロシア帝国としてブハラ、ヒヴァ、コーカンドの中央アジア3汗国を滅ぼしてしまいました。仰る通り、今、天然ガスの流れは逆方向です。
この地域からは様々な想像力をかきたてられますね。
投稿: YASU47 | 2008年3月27日 (木) 22時40分