イージス艦「あたご」の事故
19日の早朝に千葉県野島崎沖で発生したイージス艦「あたご」と小型漁船「清徳丸」との衝突事故から6日が経過しました。漁船の親子は行方不明のままであり、防衛省と海上自衛隊からの情報は殆ど隠匿されたままです。
今日の千葉県地方は再び真冬の気温に戻ると共に20メートルを超える暴風が吹き荒れました。未だ手懸りのない親子の行方や親族の皆さまのご心労を思うとやりきれない気持ちになります。
それにしても防衛省と自衛隊の対応には、改めて軍隊機構というものの暴力性と反国民性を感じざるをえません。石破大臣がどう繕おうとも、情報は明らかに隠匿され、操作されています。すでに一週間近くが経とうというのに、極めて簡単な疑問、「いつ、漁船に気づいたのか?」「あの海域で何故自動操舵になっていたのか?」「レーダーによる監視はどうなっていたのか?」さえ明らかにされていません。今回の出来事はあくまでも「海難事故」であり、「軍事行動」ではありません。民間人を巻き込んだ事件に関する情報を「軍事機密」や「公務員守秘義務」を盾に隠ぺいすることは許されません。
さて、ここからは私論・・・。
そもそも、イージス艦などどいう代物は不要だと思います。現在、海上自衛隊が保有するイージス艦は5隻(更に一隻を建造中)です。本体だけで一隻1,200-1,400億円という高額の税金を使いながら、主要目的はミサイル護衛艦として「艦隊」や「施設」の対空防衛です。ここで「艦隊」とは?「施設」とは? それが米空母艦隊であり、米軍や自衛隊基地、政府施設であることは自明であり、決して「国民」ではありません。
また、このイージス艦は陸上のパトリオットミサイルと共に米国主導によるミサイル防衛(MD)の一環としての役割も果たしています。前の記事でも述べましたが、このミサイル防衛に群がる産軍複合体と防衛省との間の癒着に税金が湯水の如く食い潰されようとしています。ミサイル防衛も軍隊も国民を守る存在ではなく、もはや、国民の健全な生活への権利を阻害する存在です。ましてや、防衛庁から防衛省へ、自衛隊から自衛軍への昇格は軍の機密性と暴力性を高めることこそあれ、透明性や文民統制からは逆行です。
今回の事故は、その閉鎖性や聖域性も含めて、今の防衛組織や自衛隊の存在位置を示すひとつの指標の役割を果たしました。今、国会では暫定税率や道路財源の一般予算化の議論が盛んですが、防衛費と防衛組織への大ナタはいつになったらふるわれるのでしょうか?
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