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2007年12月23日 (日)

ミシュクのピアノリサイタル@千葉

71222mishuk 特に予定のなかった三連休の初日、雑誌で見つけたピアノリサイタルにぶらりと出かけてみました。ピアニストのウラジミール・ミシュクはロシア出身で、1990年のチャイキフスキーコンクールでは第2位を獲得したとのことです。

プログラムはベートーヴェンの「悲愴ソナタ」に始まり、ドビュッシーの「アラベスク」、「月の光」他、リストの「愛の夢」、「ラ・カンパネラ」他、ショパンの「幻想即興曲」「英雄ポロネーズ」他といった、いわゆる名曲と小品のオンパレードです。もう一つのやはりポピュラーなプラグラムと共に全国を回っているようですが、モトを取らねばならない招聘元と日本を絶好の市場とするロシア人ピアニストとの思惑が一致すると、このようなプログラムになるのでしょうか。一方、地方や地域でのクラシック音楽普及にはそれなりに貢献しているのかもしれませんが・・・。

会場の千葉市美浜文化ホールは新興住宅商業地域の真ん中に位置し、いかにも今流行りの文化行政によるハコモノらしく、音響に優れた350席の快適な中ホールでした。昼間の公演ということもあり、家族連れと年配女性が多いように思われました。ブーニン、キーシン、ポゴレリッチたちを支持してきた層が年代を超えて続いているのでしょうか?

さて、肝心の演奏ですが、力強い一方で荒削りな印象を受けました。音が濁っているような感じで、強音が割れたり、弱音部でもピアノ独特の香るような粒立ちが聴こえてきません。ピアノ(スタンウェイD274)とホール音響がマッチしていないのでしょうか?

また、技巧は別として、ミシュクのそっけなさも目立ちます。新鮮味の無さはプログラムのせいとはいえ、プロである以上はもっと聴衆を強く惹きつける個性を示してもらいたいものでした。会場がそれなりに沸いたのはミシュク自身によるものではなく、プログラムの中のリストやショパンのヴィルトーゾ性によるものでしょう。アンコールのシューマンでやっと本気の一端が披露されていたように感じましたが遅すぎです。「悪くはない」けど「面白みも少ない」演奏会でした。

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2007年12月15日 (土)

B・ハイティンクのマーラー交響曲第4番

71209mahler4 前回の2番『復活』に続いてマーラーの交響曲4番を聴いています。今回は架空の演奏会ではなく、ベルナルト・ハイティンク指揮による昨年11月のロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)デビュー50周年記念コンサートのライヴ盤です。それにしても50年とは凄いですね!1956年の11月に27才で病気のジュリーニに代わってRCO(当時はアムステルダムコンセルトヘボウ)の指揮台に立ったそうです。私がまだ学生時代だった1968年秋のRCO来日公演で指揮台に上がったのはオイゲン・ヨッフムでした。すでに首席の座をハイティンクに譲っており、引き継ぎを兼ねた来日公演でした。

 以来、約30年間にわたる首席指揮者時代を含めハイティンクとRCOの結びつきの強さは最近のオーケストラの世界では類を見ません。しかし、同時代の他のスター指揮者たちに比べるとハイティンクはどうしても地味であるとの印象は免れず、人気も決して高いものではありませんでした。しかし、この数年のRCOの高評価と人気の急上昇(来日コンサートのチケットは即完売、昨年のヨーロッパの評論家ランキングではVPOに続いて2位)は指揮者M・ヤンソンスに負うところが大とはいえ、長い期間にわたってRCOの実力を維持したハイティンクの功績を忘れてはならないでしょう。今回の記念コンサートもRCOの楽団員から慕われ続けた彼の音楽性と人間性があってこそ実現したものと思われます。決して大向こうを張ったりはしない誠実味に溢れた温かいマーラーを聴くことが出来ます。

さて、このコンサートにはソリストにクリスティーネ・シェーファー(ソプラノ)が起用されています。鮮烈な印象を残した、私にとって初のシェーファー体験が19982月のベルリンでのラトル/BPOによる、マーラー第4番の生演奏でした。それから約10年を経て、このRCOとの共演でもシェーファーは稟とした清潔感はそのままに、柔らかく語りかけるように「天上の歓び」を情感こめて歌いあげています。

また、ベルリンでのコンサートの機会を与えて下さったKさんが今はRCOのヴィオラ奏者としてご活躍されていて、今回の録音にも参加されたことを前に伺いました。そのこともこの新盤への思い入れを深くしています。

ところで、私自身は特に大のマーラーファンという訳ではなく、この4番もとりたてての名曲とは思えないのですが、いつの間にか7種類のCDが貯まっていました。

・セル/クリーヴランド管/J・ラスキン/1965

・クーベリック/バイエルン放響/E・モリソン/1968

・テンシュテット/LPO/L・ポップ/1982

・マゼール/VPO/K・バトル/1983

・ドホナーニ/クリーヴランド管/D・アップショー/1992

・ハイティンク/BPO/S・マクネアー

・ラトル/バーミンガム市響/A・ルークロフト/1997

さすがにどれも素晴らしい演奏です。今回、最終楽章だけを聴きなおしてみましたが、やはりソプラノにより大きく印象が異なりますね。情感と温かみに溢れていて最も心に響いてくるのはL・ポップ、声の美しさと巧さではK・バトル、D・アップショー、S・マクネアーといったアメリカ組が優勢のようです(マクネアーの名前はこれまで聞いたことがなく新発見)。

いずれにせよ、今回のRCO/シェーファー盤でこの曲は買い止めとしますので、雑誌や皆さんからの推薦盤情報には目と耳を塞ぐことにします(^_^;)

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2007年12月 9日 (日)

本埜村に白鳥がやって来た

71209swan1今年も多くの白鳥が千葉県印旛郡本埜村(もとのむら)に飛来しています。本埜村HPによると15年前(1992年)の11月に偶然飛来した6羽の白鳥に餌付けを成功させて以来、毎冬、飛来数が増え、一昨年の冬には実に1300羽に達したとのことです。今日も300羽ほどの白鳥がシベリアからの長い旅を終えて羽根を休めていました(写真)。決して広いとはいえない水田の溜め池なのですが、地元の人々の土地供与、水張り、餌付け(一日2回とのこと)、安全への気配り等によって白鳥たちが安心して冬を過ごせる場所となったのです。

 

見ていて面白いのは目の前でひっきりなしに繰り広げられる華麗な「航空ショー」です。一羽あるいは同時に数羽が勢いをつけながら水の上を滑りだしたと思ったら、ふわっと浮き上がり、数秒間、水平に滑空して、一気に上空に舞い上がります。大きな羽根を広げて数回旋回した後に別の餌を求めてでしょうか、西の空へ消えていきます。一方で逆側から戻ってくる白鳥たちが次々と着水します。飛行機と同様、風上に向かって着水と離水が行われるのでとても規則的な繰り返しです。

 

さて、これらの白鳥たちは冬になると3,000-4,000km離れたシベリアから餌を求めて飛んできます。サハリンやカムチャッカ半島、千島列島を経由して10月頃に多くが一旦、北海道の湖沼に終結をするようです。それから更に本州各地の越冬地に移動します。3月から4月にかけて、越冬を終えた白鳥たちは再び北海道経由でシベリアの繁殖地に戻ります。そして成長した雛鳥と共に再び日本にやってくるという訳です。優雅に見える白鳥たちですが、壮大な旅を繰り返しているのですね。

日本に飛来する白鳥の数は5万羽を超えるようです。新潟県瓢湖5000羽)、山形県最上川河口(8000などが有名ですね。それにしても、遥々、数千キロの旅を経て、まるで点のような「自分たちの池」を目がけて正確に飛来するこれら渡り鳥の能力には驚かされます。これからも、渡り鳥たちが家族を連れて安心して戻ってくることの出来る環境を守っていきたいですね。71216swan

<追記>

一週間後の今日(12/16)、また出かけてみました。午前中は200羽ほどでした。時たま数羽が戻ってくる程度で大空を舞う姿はあまり見ることが出来ませんでした。

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2007年12月 2日 (日)

僕らの町にミサイルがやって来た

71203patriot1127日(金)の未明、我が家の近くの航空自衛隊習志野基地に移動型の地対空誘導ミサイルシステム、パトリオットの搬入が開始されました。明け方3時ということも含め、近隣住民、この基地がまたがる船橋、習志野、八千代の市民には説明がないままの配備であり搬入でした。当局としては、そもそも市民には知らせる必要がない、もし、知らせるとパトリオットの配備反対運動が大きくなったり、搬入が妨害されたりすることを恐れたのでしょうか?結局、少数の報道、百名弱の反対派市民、それらを上回る機動隊員、右翼の街宣車らで騒然とする中、5台のトレーラーによるパトリオットの第一陣が搬入されたとのことです。

さて、このパトリオット、どのような代物かはココを見て頂くとして、要はアメリカと共同開発ならびに共同配備を進めているミサイル防衛(MD)の一環です。今回、配備されたのはPAC3と呼ばれる最新型で、計画によれば、9月の入間基地を皮切りに2007年度内に習志野、武山(横須賀)、霞ヶ浦の首都圏を取り巻く各航空自衛隊基地に配備されるとのことです。

最新鋭の(といっても米軍による試射実験では失敗続き)ミサイルシステムが、首都圏の平和な住宅地域のど真ん中に配備されることには強い違和感を覚えます。いくら防衛目的とはいえ、「ミサイル戦争」に使われる紛れもない強力な破壊兵器が目と鼻の先に配備されたのです。

パトリオット(PAC3)については多くの問題点が指摘されています。

●ミサイル「防衛」システムとの名称であっても、実際には反撃を封じ込めるというアメリカの先制攻撃戦略に組み込まれている。

●アメリカの目的はそもそも米国本土防衛であり、日本の防衛網を盾として使おうというもの。

●探知から発射までの時間が極めて限られることから、侵略の「おそれ」のある場合を想定した「有事法」が発令される以前に自衛隊指揮官による発射を認めている(改訂自衛隊法)。文民統制はどこに?

●パトリオットの移動、訓練等を含めた配備の詳細については米軍の要求により「高度の」情報管理が求められている。国民の知らぬ間にミサイル配備がどんどん進行している。

●住宅地に囲まれた基地がテロの恰好の標的とされる可能性が高まる。

●射程距離は15-20kmであり、実際の使用にあたっては防御すべき対象の近く(国会?皇居?)に向けた道路移動が必要(発射台を含めて30台以上の車両)。また、据え付けには公園等広い敷地も必要であり、訓練時より「軍事行動」が「市民生活」に優先する。

●強力なレーダー装置による電波障害、民間航空機への誤射の可能性も捨てきれない。等々・・・。

北朝鮮によるミサイル実験や核実験の強行が、これらの配備の恰好の理由とされたことは否めません。事実、多くの国民がMDを含めた防衛システムの強化に支持を与えたことも事実でしょう。しかしながら、その後、日本国政府も加わった6カ国協議の中で未だ不十分とはいえ、核放棄に向けた具体的処置に向けた合意がなされています。必要なことは外交努力によってこの「危うい」合意を確実なものにすることであり、相手を挑発することではありません。

MD関連の2007年度予算は1826億円であり、総経費は概略予算の1兆円を遙かに超えるだろうと言われています。未だ実験段階ともいえる、この高度なシステムに巨額の税金をつぎ込むことで結果的に利益を得るのは軍産複合体(そして命を落とすのは一般兵士と市民)であることは、この間の近代戦争の示す通りです。パトリオットシステムはロッキード・マーチン社とレイセオン社の共同開発になるものであり、2008年度以降、ミサイル本体はライセンス契約を受けた三菱重工が生産と納入を行うとのことです。更新を続けるMD開発は無限のプロジェクトであり、納税者の負担と軍需産業の利益は天井知らずということになります。

同時に、動く金が大きいほど、利権に群がる人間が増えることも常です。守屋前次官の例を出すまでもなく、腐敗しきった防衛省にこのような巨額のプロジェクトの取扱いを行わせて良いものでしょうか?北朝鮮やテロ組織の脅威をいたずらに煽ることで利益を得るのは結局誰??

以上、長々と書きましたが、一近隣住民としても、習志野基地へのパトリオット配備には今後も反対の姿勢を明らかにしていきたいと思っています。

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