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2007年11月18日 (日)

『カラマーゾフの兄弟』の続編

71117 亀山郁夫著『カラマーゾフの兄弟・続編を空想する』(光文社新書)という作品を読みました。著者は今年の夏に光文社より発刊されて30万部のベストセラーとなった新訳版『カラマーゾフの兄弟』の翻訳者です。

タイトルに釣られて一気に面白く読んでしまったのですが、実は今回、その『カラマーゾフの兄弟』を改めて読み返した訳ではありません。かつて、学生時代に池田健太郎訳(中央公論社)をそれこそ貪るように読んだ時からすでに約40年が経っています。当時、地方都市の下宿で過ごしていた学生にとって、読書や物思いに耽る時間はたっぷりあったのです。読書体験の中でもドストエフスキーの諸作品、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』による読後の充実感は特別でした。さすがに40年の月日が流れた以上、物語の仔細は覚えていませんが、それでも主な登場人物たちの名前や性格はしっかりと記憶の中に留められています。とりわけ、「大審問官」の章は当時、偽悪を気取ろうと背伸びをする青年にとっては格好のテキストであり、何度も読み返したものです。

さて、『カラマーゾフの兄弟』の前書き「著者より」にはこんなことが書かれています。

≪私の主人公、アレクセイ・カラマーゾフの一代記を書きはじめるにあたって・・・(中略)、伝記はひとつなのに小説がふたつあり、おまけに肝心なのは二つ目ときている≫

≪重要なのは第二の小説であり、つまり今の時代における主人公の行動である。しかるに第一の小説は13年も前に起こった出来事である≫

結局、作者は第一の小説を書き上げた三ヶ月後に急逝したため(1881128日)、第二の小説は存在せず、多くの評論家や歴史学者による「推測」だけが残ったままになっていたのです。

著者は今回の新訳版を完成させるにあたって、再度、第一の小説の中からの諸ヒントを整理し、作者の残したメモ、周りの人々の証言等を取り入れながらミステリー作品さながらに緻密な考察と大胆な推理を行っています。そして辿り着いた結論は(ネタバレにならない程度に言うならば)、

1.  第二の小説では「父親殺し」ではなく、「皇帝暗殺」が背景となるだろう

2.  第二の小説ではアリョーシャと少年コーリャ・クラソートキンが主役となるだろう

というものです。

これだけでは、すでに発表されている多くの「推測」と大きく変わるものではないとのことですが、アリョーシャとコーリャの立場や役割、更に第一の小説の最終場面に登場した子どもたちのその後について具体的に大きく踏み込んでいます。ドミートリーとイワン、主人公たちを取り巻く女性たちの行く末も気になるところです。

この時代、ロシアでは皇帝や高官たちを狙ったテロが頻発していました。ドストエフスキー自身も反政府地下活動の理由で死刑宣告、シベリア流刑、恩赦を経験しています。実際に皇帝アレクサンドル2世が爆殺されたのはドストエフスキーの死後約一ケ月後でした。『カラマーゾフの兄弟』はテロルの時代を背景としていたのです。

もうひとつの視点は宗教です。私自身は宗教について語る知識も資格も持ち合わせてはいないのですが、この時代のロシアにおけるキリスト教というものが、極めて土着的、神秘主義的な色彩を強く持っていたというのは容易に想像出来ることで(この点で西欧キリスト教世界とは大きく異なります)、第一の小説もその土壌の上に立っていました。必然的に多くの分離主義やカルトの生まれる時代であり、第二の小説ではそのことが一層際立つようです。

更に、反政府運動についていえば、知識人たちによる「ヴ・ナロード(人民の中へ)」の運動が始まったばかりであり、共産主義政党はおろか「社会革命党(エス・エル)」も未結成の時代です。孤立した「人民の意志」グループによるテロルが頻発していたのです。

このような時代背景の中で二部から成り立つ『カラマーゾフの兄弟』が構想されたのです。第二の小説において、主人公たちがテロルと分離主義の流れの中でさらに苦悩を深めていくであろうことは想像に難くありません(救いも用意されているのでしょうけど)。結局、重たく、暗い続編を読まされることなく、想像の世界で知的推理を楽しむことが出来ただけということは幸いだったのかもしれません。

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コメント

こんばんは

むしろ 私は今 読み返してます笑

yasuさんの 感想も覚えつつ 読み進めていこうと思います

個人的には
ゾシマ長老がアリョーシャに語る部分が ドストエフスキーの宗教観とともに 強く印象に残っています

彼のロシアの民衆というものへの愛着を感じます

投稿: lovebabo | 2007年11月21日 (水) 19時52分

lovebaboさん、
僕も「読み返し」をしたいという気持ちはあるのですが、昨今の移り気と根気の無さ故に読破の自信がないのです。
ゾシマ長老の言葉は記憶にないのですが、ドストエフスキーはキリスト教といっても、かなり土着的な宗教観を持っていたのでしょうね。
当時の僕にとっての主人公はイワンでしたが、今では違った読み方になるのでしょうね。

投稿: YASU47 | 2007年11月26日 (月) 23時59分

YASUさん、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
いろいろ教えて下さいね。
最近、『地下室の手記』を光文社文庫で読み、その勢いで、『カラ兄』(新潮社版 原訳)を読み返しました。
またその勢いで、この本も読んでみたという私です。(*^。^*)
続編がなくても満足度、密度の高かったですが、続きが皇帝暗殺(未遂)という物語、ましてそれの首謀者ともいえる人物がアリョーシャであるなら、正直読んでみたかった気がします。
宗教とテロルの狭間でどのように答えを見出すのか、アリョーシャの心をあれこれ想像してしまいますね。

投稿: ワルツ | 2008年1月11日 (金) 21時49分

ワルツさん、
凄い勢いとエネルギーですね。僕もかっては「罪と罰」「カラマーゾフ」「白痴」「悪霊」の高密度長編4点セットの一気読みをしましたが、今では体力・気力ともに不足です(^^;)。ドストエフスキーには本気で向き合う気構えが必要と感じてしまうのですよね。
(ちなみに、これまで読破に最大の気力と忍耐力を要したのは野間宏の「青年の輪」でした。)

投稿: YASU47 | 2008年1月12日 (土) 11時47分

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