« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月24日 (土)

S・ヴィエラのマーラー交響曲第2番『復活』

71123mahler  パリでセバスチャーノ・ヴィエラによるマーラー2番『復活』の演奏会がありました。サルヴァトーレ・リッピの追悼コンサートとのことです。・・・と、これは発売されたばかりの「のだめ」第19巻の話(^^;)。で、この際折角だから、最近ご無沙汰のマーラーでも聴いてみようかと♪

手元には5種類の『復活』のCDがありました。最初に取り出したのは、初のマーラー体験(当時はLP盤)ですっかりこの演奏が頭の中に刷り込まれてしまった(1)クレンペラー/フィルハーモニア管による1961年の録音です。マーラーから直接の薫陶を受けた大指揮者は、この巨大で変化に富み、独創的かつ雄渾な一大交響曲を更にスケールアップして、圧倒的な様式感に満ちた演奏を聴かせてくれます。フィルハーモニア管の設立者であると共に、最初に音楽プロデューサーとしての地位を確立したと言われているウォルター・レッグがカラヤンに続いてEMIに連続録音を行ったクレンペラーシリーズのひとつです。当時のステレオ録音への積極的な息吹が伝わってくるような雰囲気を持っています。ソプラノにレッグ夫人でもあったエリザベート・シュワルツコップを起用したことが一層の様式感と格調を高めています。

次の(2)ショルティ/CSO盤(1980)は数多くあるこの曲の名盤の中でも代表的なものの一つでしょう。当時、高性能オケの代表ともいえるシカゴ響とのコンビによるマーラー全集は多くのファンを新たに作り出しました。オケの力と録音技術によりマーラーの新しい世界を開拓したといえるでしょう。だからといって力ずくの音響だけが売り物の録音ではありません。骨太でありながら激情に溺れることなく、実に精緻で極上のサウンドによって至福の時間に浸ることが出来ます。

(3)スラットキン/セントルイス交響楽団(1982)は今では忘れ去られている演奏でしょうが、デジタル時代のパイオニアともいえるTELARC社の録音はダイナミクレンジをフルに活用してオーディオマニアたちの垂涎の的でした。この会社はクリーヴランドやセントルイス、シンシナティ等のアメリカの高性能オーケストラを中心に多くの録音を出しました。「音量を大きくするとスピーカーを破損する恐れがあります」という注意書きに釣られて「春祭」やら「1812年」等の管弦楽曲を買ってしまったのは私だけではないでしょう。『復活』の雄渾な音楽もTELARCにとってはうってつけの題材です。演奏そのものはオーソドックスですが音の響きの良さと美しさは今なお色褪せることなく一頭地を抜いています。

(4)小沢/サイトウキネン盤は2000年の東京文化会館におけるライブ盤で、その年のレコードアカデミー賞を受賞しました。サイトウキネン・オーケストラについてはもはや余計な説明は不要でしょう。このマーラー演奏もいかにも小沢らしく明快で歌心に満ち、それでいて緊迫感に溢れています。小沢と楽団員たちが最終章に向けて共に盛り上がっていく様子が表情も含めて目に浮かぶのは非常設型のこのオケならではの特徴かもしれません。

最後が(5)ブーレーズ/ウィーンフィル(2005)による新しい録音です。ブーレーズというとあまりに分析的な演奏と思われがちですが、ここではVPOということもあるのかもしれませんが、精緻な音作りの一方で、たっぷりの高揚感に浸ることも出来ます。そういえば、ブーレーズはバイロイトでワグナーを振ったり、複数のオケでストラヴィンスキーを繰り返し録音したりと、かなり大向こうを張ることもしているのです。このCDを購入したもうひとつの理由はソプラノにクリスティーネ・シェーファーが起用されていることです。出番は多くありませんが、最終楽章の後半で合唱の中から忽然と現れる稟としたソプラノはまさしくシェーファーやシュワルツコップの真骨頂です。

以上、どれもが素晴らしい演奏であり録音です。更に、ワルター、バーンスタイン、アバド、クーベリック、シノーポリ、インバル、ラトルといった世に誉れの高い演奏を加えるならば、『復活』というのは名盤の宝庫であり、まさしく作品そのものがそれらを生み出していると言えるのでしょう。さて、次はバーンスタイン/VPO盤でマーラーの激情に浸ってみることにしましょうか。あるいは千秋とのだめが感動したセバスチャーノ・ヴィエラの演奏もぜひ聴いてみたいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月18日 (日)

『カラマーゾフの兄弟』の続編

71117 亀山郁夫著『カラマーゾフの兄弟・続編を空想する』(光文社新書)という作品を読みました。著者は今年の夏に光文社より発刊されて30万部のベストセラーとなった新訳版『カラマーゾフの兄弟』の翻訳者です。

タイトルに釣られて一気に面白く読んでしまったのですが、実は今回、その『カラマーゾフの兄弟』を改めて読み返した訳ではありません。かつて、学生時代に池田健太郎訳(中央公論社)をそれこそ貪るように読んだ時からすでに約40年が経っています。当時、地方都市の下宿で過ごしていた学生にとって、読書や物思いに耽る時間はたっぷりあったのです。読書体験の中でもドストエフスキーの諸作品、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』による読後の充実感は特別でした。さすがに40年の月日が流れた以上、物語の仔細は覚えていませんが、それでも主な登場人物たちの名前や性格はしっかりと記憶の中に留められています。とりわけ、「大審問官」の章は当時、偽悪を気取ろうと背伸びをする青年にとっては格好のテキストであり、何度も読み返したものです。

さて、『カラマーゾフの兄弟』の前書き「著者より」にはこんなことが書かれています。

≪私の主人公、アレクセイ・カラマーゾフの一代記を書きはじめるにあたって・・・(中略)、伝記はひとつなのに小説がふたつあり、おまけに肝心なのは二つ目ときている≫

≪重要なのは第二の小説であり、つまり今の時代における主人公の行動である。しかるに第一の小説は13年も前に起こった出来事である≫

結局、作者は第一の小説を書き上げた三ヶ月後に急逝したため(1881128日)、第二の小説は存在せず、多くの評論家や歴史学者による「推測」だけが残ったままになっていたのです。

著者は今回の新訳版を完成させるにあたって、再度、第一の小説の中からの諸ヒントを整理し、作者の残したメモ、周りの人々の証言等を取り入れながらミステリー作品さながらに緻密な考察と大胆な推理を行っています。そして辿り着いた結論は(ネタバレにならない程度に言うならば)、

1.  第二の小説では「父親殺し」ではなく、「皇帝暗殺」が背景となるだろう

2.  第二の小説ではアリョーシャと少年コーリャ・クラソートキンが主役となるだろう

というものです。

これだけでは、すでに発表されている多くの「推測」と大きく変わるものではないとのことですが、アリョーシャとコーリャの立場や役割、更に第一の小説の最終場面に登場した子どもたちのその後について具体的に大きく踏み込んでいます。ドミートリーとイワン、主人公たちを取り巻く女性たちの行く末も気になるところです。

この時代、ロシアでは皇帝や高官たちを狙ったテロが頻発していました。ドストエフスキー自身も反政府地下活動の理由で死刑宣告、シベリア流刑、恩赦を経験しています。実際に皇帝アレクサンドル2世が爆殺されたのはドストエフスキーの死後約一ケ月後でした。『カラマーゾフの兄弟』はテロルの時代を背景としていたのです。

もうひとつの視点は宗教です。私自身は宗教について語る知識も資格も持ち合わせてはいないのですが、この時代のロシアにおけるキリスト教というものが、極めて土着的、神秘主義的な色彩を強く持っていたというのは容易に想像出来ることで(この点で西欧キリスト教世界とは大きく異なります)、第一の小説もその土壌の上に立っていました。必然的に多くの分離主義やカルトの生まれる時代であり、第二の小説ではそのことが一層際立つようです。

更に、反政府運動についていえば、知識人たちによる「ヴ・ナロード(人民の中へ)」の運動が始まったばかりであり、共産主義政党はおろか「社会革命党(エス・エル)」も未結成の時代です。孤立した「人民の意志」グループによるテロルが頻発していたのです。

このような時代背景の中で二部から成り立つ『カラマーゾフの兄弟』が構想されたのです。第二の小説において、主人公たちがテロルと分離主義の流れの中でさらに苦悩を深めていくであろうことは想像に難くありません(救いも用意されているのでしょうけど)。結局、重たく、暗い続編を読まされることなく、想像の世界で知的推理を楽しむことが出来ただけということは幸いだったのかもしれません。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年11月10日 (土)

EAGLES『LONG ROAD OUT OF EDEN』

71110longroad_2 イーグルスによる28年振りの新曲アルバムが発売されました。 イーグルスは軽快なカントリー&ロックのサウンドに乗って1970代に一世を風靡したバンドです。「Take It Easy」「Desperado」「New Kid in Town」「Hotel California」など多くの不朽の名曲を残しました。その絶頂期に一旦解散したものの、1994年に再結成ツアーを行い、その時の模様を収録したDVDHell Freezes Over」は実に感動的なコンサート映像となっています。

それから更に13年の時を経て、今回の2枚組新曲アルバムが発表されました。ドン・ヘンリー、グレン・フライといった団塊世代の中心メンバーは不変です。そして流れ出てくるのはあの懐かしいカリフォルニアサウンドでした。

実は自分にとってイーグルスが良いと思うようになったのはかなり後になってからでした。1970年代は主にクラシック音楽に傾倒しており、ロックやアメリカンポップスからは距離を置いていた時代でした。しかしカントリーだけは例外で、LP(当時は)を集めたり、米国出張を利用して聖地ナッシュヴィルのGrand Ole Opry Showを見に行くなど、かなり積極的でした。そして多くのカントリーシンガーの中でカントリー&ロックあるいはカントリー&ポップスと呼ばれるジャンルの中にいたのが今もなお大好きな歌手の一人、リンダ・ロンシュタットです。彼女が純粋カントリーシンガーともいえるエミルー・ハリスやドリー・パートンと共に美しいハーモニーを聴かせるアルバム「Trio」は今でも自分にとっては名盤中の名盤です。(リンダ紹介のページはここ

そのリンダ・ロンシュタットの三作目のアルバム「LINDA RONSTADT」(1972)のバックバンドとして集められたのがドン・ヘンリーら後のイーグルスのメンバーでした。リンダとの録音とツアーを終えてただちにイーグルス結成となったようです。以降のイーグルス、そしてリンダの活躍ぶりは言うまでもありません。

さて、今回の新アルバムも各人のソロをバックコーラスが支えるというイーグルス・サウンドが満載です。決して革新的という訳ではなく、政治的メッセージもありませんが、穏やかで軽やかなリズム、親しみやすいメロディ、美しいハーモニーとアコースティックな響きを基調としたサウンドは現代のロックシーンではほとんど味わえない安心感を与えてくれます。

次にはリンダとの36年振りのコラボレーションを期待したいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月 1日 (木)

映画『日本の青空』

71101nihonoaozora2 全国各地で自主上映が行われている『日本の青空』を観てきました。物語や作品そのものについては公式HPをご覧下さい。

さて、感想ですが、日本国憲法誕生秘話という何やら難しそうな題材を取り扱っていますが、高橋和也、藤谷美紀、田丸麻紀といった若手俳優たちを起用したとても現代的でスピーディな作品に仕上がっていて全く飽きさせることがありません。現憲法はGHQから押し付けられたものだという改憲を主張する人々による定説を覆す事実の掘り起こしと具体的論拠は新鮮な驚きでした。この映画の主人公である憲法学者、鈴木安蔵を中心とした民間の「憲法研究会」の草案がGHQ案の骨子となっていたのです。しかも、明治時代の自由民権思想をはじめとする日本の歴史文化を基本としていたのです。

当時のGHQと日本政府との間の憲法を巡るせめぎ合いは「天皇制」の在り方が中心であり、実は九条の「戦争の放棄」についてはほとんど議論がなかったのですね。一切の軍事力を失い、悲惨な戦争体験を味わった直後の日本の政府や官民にとって、戦争を繰り返すことはもはや論外だったのですね。

おりしも本日、「テロ特措法」の期限切れによるインド洋での海上補給活動からの撤退が開始されることになりました。海上自衛隊という武装集団の海外への派遣が、不戦の誓いという憲法の原点をいつの間にか大きく侵害していました。もともと派遣が違憲であり、撤収は当たり前です。

イラクであろうが、アフガンであろうが、共に正義を振りかざす者どうしの紛争を武力で解決しようとすることの愚かさを私たちは歴史から十分に学んだ筈です。

改めて、以下の憲法第9条の条文の明快さには感嘆せざるをえません。この憲法への誇りこそが国際紛争に対処するにあたっての最良の解決案への姿勢を示してと言えるでしょう。

9条「戦争の放棄、軍備および交戦権の否認

1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。

2)   前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

さて、映画『日本の青空』は私の住む千葉県八千代市においても以下の要領にて自主上映されます。

日時:1129日(木) 10:3014:0018:303回上映

場所:八千代市市民会館小ホール

料金:前売り券1,000円、当日券1,500円、高校生以下800

主催:「日本の青空」を観る八千代の会/八千代9条の会

前売り券をご希望の方はメール(左上のプロフィールから)を頂ければ幸いです。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »