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2007年8月26日 (日)

マレーシアにおけるODAダム事業

日本のODA(政府開発援助)の一環として、マレーシアに計画されているダム建設・導水事業に現地のNGOやマスコミが反対しています(環境NGO FoE-Japanによる)。70825oda_2

この計画は『パハン・セランゴール導水事業』と称し、首都クアラランプールを抱えるセランゴール州の水不足を解消しようと、隣のパハン州を流れるケラウ川にダム(3m3)を建設し、その下流の取水口から導水パイプライン(8km)とトンネル(45km)で河川水を運ぼうというものです。総額約1171億円、内820億円を日本政府がODA、すなわち日本国際協力銀行(JBIC)を通じた円借款で「支援」しようとしており、問題は下記の諸点と言われています。

(1) ODAの目的と対象国

そもそもODAJICAの活動等で知られる無償援助と今回のような長期低金利貸し付けの「円借款」から成り立っています。マレーシアは一人当たりGNP3,400ドルと世銀基準の2,995ドルを上回ることからも中進国と位置付けられ、円借款の供与可能な分野が限定されると共に、通常金利は1.7%が適用されます。しかしながら、今回の計画にはダム事業としては過去最大規模の融資というだけではなく、本体事業に0.95%という特別な低金利が適用されようとしています。

(2) 事業の必要性            

事業の前提となる水需要予測を含めた計画書がマレーシア国内においては制限つき部分公開(コピー不可)、日本においては実に90%が黒塗りされたままの公開となっており、実質非公開となっています。この点は日本の国会でも採り上げられましたが今だに改善されていないようです。現地ではNGO、専門家、マスコミ等が独自の需要予測と諸代案を元にこの巨額借金事業への反対の声が上げています。そのひとつに2003年時点での無収水率が43.9%という問題があります。これは給水量の半分以上が漏水、盗水等による損失ということで、まずは現状システムの改善が先決ではないかという主張です。事業の前提そのものが不透明と言わざるをえません。

(3) 環境評価

ダムの建設により約1,517ha(東京ドームの324個分)の森林保護地域が水没し、下流域を含めた生態系への影響が懸念されています。

(4) 先住民族の移転と補償

移転戸数は96世帯(520人)とこの規模のダム事業としては大きくはないのですが、オランアスリと呼ばれる先住民族への説明、同意、補償等が不明朗と言われています。(上の写真は水没予定地区のオランアスリの住居)

両国間での820億円の融資合意はすでに20053月になされているとのことですが、現在は詳細設計会社が決定したところであり、本体融資は未実行とのことです。今後更に、国際入札によりこの巨額事業を請け負う工事業者の選定作業に進むのですが、どうしてもダム、土木工事につきまとう不透明さが懸念されてしまいます。この事業には私たちの税金が使われるということだけではなく、果たしてマレーシアの国民にとって背負わねばならない巨額借金に見合う価値があるものかどうかを100%の透明性をもって示してもらいたいものです。ODAの目的のひとつに非援助国の貧困、飢餓、災害などへの解決支援や環境改善を通じて国際社会の発展に貢献すると共に、我が国の平和的な安全保障の手段というものがあります。この点に異議はありません。だからこそ、一層の透明性の確保と国会やNGOの活動を通じた、国民による監視の強化が必要であるといえます。

尚、本事業に関しては以下のFoE JapanHPに国会での質疑応答も含めて詳細に記載されています。

http://www.foejapan.org/aid/jbic02/kelau/index.html

また、ODAに関する外務省のHPは以下です。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/

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2007年8月12日 (日)

井上靖記念館 @旭川

先月、北海道を巡った際に旭川の『井上靖記念館』に立ち寄りました。市内の一角にひっそりと佇む記念館です。

作家・詩人の井上靖は1907年の5月に旭川で生まれました(前にも書いたように、今年は生誕百周年です)。その後、数か月で母親の郷里、伊豆の湯ヶ島に移り、旭川時代の直接の記憶はないとのことですが、いくつかの執筆の中で母親の記憶を通じた旭川へ想いを綴っています。例えば、「幼き日のこと」(1972)では、雪の降る日に市場に買い物に出かけたときの言わば心象風景が、後日の母親との会話の記憶から導き出されて、そのまま幼い心に刻み込まれたことを記しています。その時の靖は生まれる前だったのですが、降りしきる雪の中で温かく、大切に母親の胎内に仕舞われていたことへの感動の記憶であったのだろうとも語っています。

その後、何度か生地を訪れた井上靖は冬の旭川を次のように表現しています。

「雪をかぶったナナカマドの赤い実の洋燈(ランプ)に導かれて、街の中心部に入って行く。雪の街、旭川」70812

ナナカマドがどんな樹木であるのかを知らなかったのでどうしてもイメージが掴めなかったのですが右の写真を見て納得です。関東では見ることは出来ないのですが、北海道では多くの都市で街路樹に使われているとのことです。

(ナナカマド:バラ科、七竈と書き、語源には諸説あり。写真は旭川のまりあさんのblogからの転載をご快諾いただきました。

井上靖記念館には多くの自筆原稿や取材ノート、日常の愛用品、そして作品集が展示されています。展示室の正面には平山郁夫画伯による駱駝の隊商の大きな絵が飾られ、井上靖が生涯にわたって深い憧れを抱き続けた西域、シルクロードとの関わりが示されています。自分にとっては、どうしても主に中央アジアとの関連に興味が惹かれ、また先日、短編集『楼蘭』を読み、作者の西域への思い入れと想像力の豊さを強く感じ取ったばかりでしたので、よりいっそうの感慨をもって、この作者の足跡を辿ることが出来ました。

井上作品の優しさと温かみにはこれからも折りにふれて接していきたいと思っています。また、旭川訪問はこれまでの2回とも真夏でしたが、この次にはナナカマドの洋燈に迎えられる季節に訪れてみたいものです。70810

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