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2007年5月27日 (日)

映画・『敦煌』と井上靖

先日CSから録画した映画「敦煌」(1998年、監督:佐藤純彌、出演:佐藤浩市、西田敏行、渡瀬恒彦)を見ました。この映画は10年前の公開時にも劇場に足を運んだことがあります。日本映画には類を見ない壮大なスケールで西域の歴史のひとコマを描いた物語です。70527movie2

この作品にこだわるのは、舞台が西域であること、原作者が井上靖氏であることです。僕にとっては少年時代に、「さまよえる湖」の著者で楼蘭遺跡の発見者でもあるスヴェン・ヘディンの探検物語に接したことが西域への関心の入り口だったように思います。漢の時代、張騫が大宛(現在のフェルガナ)に派遣されて汗血馬の存在を報告した話、マルコポーロの旅行記、チンギスハーンとその末裔、ティムール、英露によるグレートゲームの時代、日本の大谷探検隊等々の西域やシルクロードに関する物語には常に興味を惹かれてきました。そして井上靖の「敦煌」と「蒼き狼」には史実を背景にした雄大な歴史と人間のロマン、そして未だ見ぬ西域の風景への想像力をかきたてられたものです。

仕事で中央アジア、とりわけウズベキスタンに関わることになったのは1996年からの約8年間で全く偶然のことでした。サマルカンド、ブハラといったシルクロードのオアシス都市は今もなおかっての賑わいと栄華の跡をとどめていました。ミナレットという高い塔の上に登れば、遥か中央アジアの土漠や草原地帯をわたってくる風が歴史の盛衰を語ってくれるようです。

井上靖は『シルクロード紀行(岩波同時代ライブラリ-)』に彼自身の学生時代からの念願の地であったシルクロードの諸都市を初めて訪れた時の紀行記を顕わしています。例えば、サマルカンドについては、

『学生の頃、私は中央アジアで一番古い街サマルカンドへ行きたいと思っていた。(中略) とある日没時、私は一頭の驢馬をひいて、ザラフシャン川の支流沿いにこの街に入る筈であった。不規則な狭い道路、古い回教寺院、そこを歩いている侵略者や被侵略者の後裔たち、長い興亡の歴史の翳りの中を、私は隊商商人のように歩いてみたかったのだ。』

歴史と人間への愛情に満ちた実に素敵な文章ですね。

この映画『敦煌』がどれだけ井上靖の世界を映像化出来たのかといえばかなり疑問です。娯楽作品に徹したことで、原作者の西域や歴史への愛情が薄れてしまったことは残念です。筋書きもかなり書き変えられました。しかしこの地方(河西回廊)の風景や近世になって敦煌莫高窟から発見された経典類に関するミステリーの描き方などには大いに興味を惹かれました。

70527 井上靖氏は1907年生まれ、今年が生誕100年です。文学界やファンたちの間では様々な行事が行われるようですが、前述の2作品に加えて「氷壁」「あすなろ物語」「天平の甍」「風林火山」等々は是非また読み返してみたい主要作品群です。

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2007年5月13日 (日)

2006年オペラ座『フィガロの結婚』・ここでもケルビーノ

2006年パリ・オペラ座(ガルニエ宮)の『フィガロの結婚』の映像がDVD化されています。同じ年のザルツブルグ音楽祭での『フィガロ』はグートによる意味深な演出とネトレプコを始めとする豪華な出演者たちとで評判となりましたが、このパリ・オペラ座での舞台も負けずに興味深いものがあります。

演出はザルツブルグ以上に現代化に徹しています。1990年のP・セラーズ演出と類似していますが、あのような低品格なものではありません。一方、ザルツブルグ演出との差は特別な「主張」や「意味付け」がないことでしょうか。舞台を現代(それも市役所の一室とのこと)に置き換えることで台詞との不整合はあちこちに出てきますが確信犯的にお構いなしです。舞台はコメディ要素の維持を最優先しているようです。この楽天さは余計なことを考えさせず、かえって好感が持てます。

S・カンブルランという指揮者は初めてですが、いかにも職人芸的に劇場付きオーケストラからメリハリの効いた活気ある音を引き出しています。

伯爵夫人(C・エルツェ)とスザンナ(HG・マーフィー)の両ソプラノには不満です。時折り、歌唱の粗さが耳につきます。特に伯爵夫人にはしっとりした味わいと稟とした姿勢が欲しかったものです。一方、伯爵(Pマッティ)とフィガロ(L・レガッツォ)に不満はありません。

70513cerubino_2 素晴らしかったのは、ここでもシェーファーのケルビーノです。 ザルツブルグと同様に知的だけれど冷たくない・・・、精緻で柔らかいノンビブラート歌唱はまるで極上のリートを聴くようです。ちょっと蓮っ葉な少年を演じるシェーファーはザルツブルグ以上にコミカルな演技力も発揮しています。これまで、ケルビーノといえば典型的なメゾのズボン役という先入観念がありましたが、ザルツブルグ、オペラ座と続く舞台によって今やシェーファーが最上のケルビーノであることは疑いがないようです。

小柄なシェーファーのケルビーノにいっそう小柄なバルバリーナがぴったりと付き添います。カサンドラ・ベルトン・・・どこかで観たことがあると思ったら、そう、ミンコフスキの「天国と地獄」で悪戯な天使キュピドン役を達者に演じていたあの小柄なソプラノです。他の脇役たちも含めて芸達者たちが揃っています。

理屈は取り除き、単純に明るく演出されたフィガロ・・・はモーツァルトの現代化にあたっての指標のひとつと言えるでしょう。

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2007年5月 6日 (日)

続・IPCCによる温暖化報告書

Vista PCへの乗り換えに加えて公私共に多忙な日が続き、気がついたらGWも終わろうとしています(悲しい・・・)。

さて、

先月のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)2作業部会報告「温暖化の影響予測」に続いて、第3作業部会報告「温暖化対策」が発表され、昨日の新聞に大きく採り上げられていました。排出枠取引についてはなかなか理解が難しい点もあるのですが、簡単にまとめると以下のようになるようです。70506ipcc_1

(1) 気温上昇を産業革命以前比で2.0-2.8度の上昇に抑えるためには2015-2020年までに排出量を減少に転じさせ、2050年には半減させなくてはならない。

(2) 排出枠取引等でのCO2価格を50$/tonとした場合の対策費はGDPの約3%

(3) 風力、バイオ等の代替再生エネルギー、省エネ技術等の例示

まず、気温上昇の許容範囲ですが、第2作業部会報告書をもとに前回も書いたように、人間活動と社会発展を持続する上での許容範囲は1990年比で2度の温度上昇(CO2換算濃度550ppm)と言われています。産業革命以前(280ppm)と比べると1990年時点ですでに0.6度上昇していますから、上の2.0-2.8度は許容範囲ギリギリということになります。

しかしながら、今後、温室効果ガスの排出の大幅増加を避けられない中国の強い主張により上昇許容範囲6度のシナリオを追加しています(CO2換算濃度1000ppm!)。この場合、地球が壊滅的な状況に陥るであろうことは明白です。各国の足並みの乱れが収まりません。

排出枠取引については、1997年の京都会議にて各国の目標値(日本はマイナス6%)と共に「柔軟性処置」のひとつとして採尺されています。排出目標の削減が困難な国(あるいは地域、)が目標以上に排出削減可能な国から排出権を購入しようというもので、すでにEU域内や米国企業間では実施されています。しかし、この方法は排出枠を買って削減目標値を「稼ぐ」ことで、自国内での削減意欲を削ぐとの批判もあります。炭素税等の直接賦課手法がより「効果的」であることは言うまでもありません。炭素税については産業界が猛反対するであろうことは明白ですが、すでにオランダや北欧諸国においては環境税として導入しており、環境先進国として再生エネルギーへの転換にも積極的です。

新技術については原子力発電の利用について米欧で見解が分かれたようです。核拡散、廃棄物処理の問題に加え、万一の大事故の場合は放射能の恐怖が私たちを襲うことになります。東西冷戦時に、核戦争の結果として放射能の塵がやがて太陽熱を遮断する「核の冬」という言葉が使われました。「地球温暖化」を「核の冬」に置き換えてはなりません。

地球温暖化を少しでも食い止めようと、国民ひとりひとりの意識も大きく変化してきたように感じます。このことが更に膨大な量の温室効果ガスを排出し続ける産業界への圧力と政府の取り組み姿勢への監視という形で発展していくことが出来ればと思います。

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