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2007年3月 3日 (土)

ザルツブルグ音楽祭『フィガロの結婚』

ガラ・コンサート」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」に続く2006年ザルツブルグ音楽祭の映像第4弾は話題作「フィガロの結婚」です。ネットからのダウンロード映像(ご~けんさん、ありがとうございました!)で内容はすでに把握していましたがHi-Vision放映を機にレビューを掲載してみます。

さて、この「フィガロ」の演出、どうも気に入りません。70303figaro 考え抜かれた上での、十分に計算されたシリアスな演出なのでしょうが、この作品に期待するのは心理劇ではなく、音楽の愉悦とスリリングなアンサンブルです。演出ではそれらをどこまで徹底出来るかを競ってもらいたいものです。で、あの邪魔な天使の役割は何?愛の引き裂き役?伯爵がいつもハンカチで顔を拭っているのは単なる汗かき?ニコリともしないフィガロは使用人には見えないよなぁ。望むべくは登場人物たちの心理描写などよりも心の機微に満ちたモーツァルトの音楽です。

また、アーノンクールとVPOの演奏も全般的に遅く、重いものになっています。演出に見合った演奏という意味では止むを得ないのかもしれません。歌唱も含めて音楽自体は実に「立派」です。

さて、主演者たちはとても豪華です。しかし、まずネトレプコ(スザンナ)の声はこの演出だからこそ全体の重さの中に調和をしているようですが、容姿も含めてスープレット役には似合いません。やはり彼女にはプリマドンナ作品が似合うようです。歌の巧いレシュマン(伯爵夫人)には期待をしていたのですが声が乾き気味で、力任せになってしまい、しっとりとした味わいが失せているように感じました。

で、素晴らしかったのはあちこちでも書かれているようにケルビーノのシェーファーです(8年来の贔屓も入っていますが(^^;))。第2幕のアリア「恋とはどんなものか」の情感に満ちた柔らかさなどは極上のリートを聴くようです。表情や身のこなしも能動的で、ケルビーノに相応しい中性的な魅力を振りまいています。

スコウフス(伯爵)とダルカンジェロ(フィガロ)はまるで地獄落ち寸前のジョヴァンニとレポルロのコンビのような陰鬱さです。元々愉悦感を与える役柄ではありませんが(そう言えば、この作品には脇役を除いて甘口のテノールがいない)、いっそうの暗さには閉口します。

マクロックリン(マルチェリーナ)は、かってスザンナ役で一世を風靡していました。アバド指揮のウィーン歌劇場盤(1991/LD)ではにこやかな笑顔を振りまいていました。年月の無情を感じます。

手元にある「フィガロ」の映像を前回の「コジ」と同様に5段階評価付きで列挙してみました。(リストは左から指揮者/演出/劇場/伯爵夫人/スザンナ/上演年の順です。)

評価基準は、(1)引き締まった演奏、(2)スリリングなアンサンブル、(3)明るい舞台とスピーディな演出、(4)伯爵夫人にしっとりとしたモーツァルトソプラノ、(5)活気のあるスザンナ、(6)コケティッシュなケルビーノ、(7)魅力ある脇役たち(特にマルチェリーナ)、(8)名画「ショーシャンクの空に」を思い起こさせる「手紙の歌」、(9)理屈っぽくないこと、そして何といっても(10)モーツァルトを聴く歓びを与えてくれること・・・です。

☆☆☆☆☆

アーノンクール/フリム/チューリッヒ/メイ/レイ(1996

☆☆☆☆

バレンボイム/ラングホフ/ベルリン国立歌劇場/マギー/レシュマン(1999

ガードナー/シャトレ座/マルチンペルト/ハグリー(1993

☆☆☆

アーノンクール/グート/ザルツブルグ音楽祭/レシュマン/ネトレプコ(2006

ヤーコブス/マーティノティ/オーケストラ・ケルン/ダッシュ/ジョシュア(2004

☆☆

アバド/ミラー/ウィーン国立歌劇場/ステューダー/マクロックリン(1991

ハイティンク/メドキャフ/グラインドボーン音楽祭/フレミング/ハグリー(1994

スミス/P・セラーズ/ウィーン交響楽団/ウェスト/オンメルレ(1990

ちなみに、寸評は以下のページに記載しています。

http://www.d1.dion.ne.jp/~kawaiys/sub39.htm

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コメント

>この作品に期待するのは心理劇ではなく、音楽の愉悦とスリリングなアンサンブルです。

これは作品の本質をついた素晴らしいお言葉ですね。感動しました。

私はまだ理想の「フィガロ」に巡り会っていません。
YASUさんのご寸評のほうも、わりとみんな厳し目で、・・・いやあ、困ったなあ。。。星5つ(寸評の方では4つでした?)のアーノンクールに賭けようかなあ。。。

ちなみに、アーノンクールの演奏ではポネル演出の「ミトリダーテ」が大好きです! まだ若書きのモーツァルトの冗長な部分を上手にカットしたのはポネルだけの功績ではなさそうです。というのも、アーノンクールは「ルチオ・シッラ」の録音(ですのでこちらはCD)でも同様な演奏をしていますから。
彼の極端さには付いて行けないときも多いのでファンとしては屈折していますが、最初の「マタイ」録音の時以降、<やってくれる大音楽家だ!>と尊敬しています。

投稿: ken | 2007年3月 3日 (土) 22時15分

YASU47さん、こんにちは。コメント、ありがとうございます。TBさせていただきました。

>望むべくは登場人物たちの心理描写などよりも心の機微に満ちたモーツァルトの音楽です。
そうかもしれませんね。私が気にいっている映像は、YASU47さんとはちょっと違いますが、最初に見たポネル演出、ベーム指揮の映画版と、アバド指揮、ミラー演出のウィーンのです。

投稿: edc | 2007年3月 3日 (土) 23時05分

 こんばんは。
 私もダウンロード映像での鑑賞なので、DVD発売を楽しみにしています。
 モーツァルトのオペラの喜劇でもあり悲劇でもあるという両義性のうち、最近の読み替え演出ではこの「悲劇」の側面をことさらに強調するものが多いですね。
 「事なかれ主義」の演出だと、モーツァルトのそういう鋭い現実認識が見逃されて、ただの無害な喜劇になってしまうことも多いので、こういうやり方はそれなりの重要性があるとは思っていますが、行き過ぎることも多々あるようですね。

 私もこれはダウンロード映像で観ただけですが、「ドン・ジョヴァンニ」のクシェイとは違って、現時点では結構評価しています。
 ひらひら舞っている羽毛とかもそうなんですけれど、「自分でもどうにもならない自分の気持ち」というようなものを良く描いているように思います。あのキューピットが出てくると、理性が封印されて、また「どうにもならない気持ち」へと引き戻されてしまうのですね。
 わざと引きずるようなアーノンクールの演奏も、そういうモーツァルトの峻烈な現実認識を音楽から執拗に引きずり出している印象で、さすがアーノンクール、妥協がない・・・と感心していました。「ひりひりするような痛み」感覚は、やはりモーツァルト・オペラの不可欠の要素だと思うので。

 ただ、「痛いだけ」でもモーツァルトでもないので、鋭い現実認識はそのままに、でもとことん喜劇という演出が理想的ですね。

投稿: Takuya | 2007年3月 4日 (日) 00時19分

kenさん、
HPでは4段階、blogでは5段階評価としてしまったので混乱をおかけしています。いつの日かHPのrenewalの際には統一しましょう。いずれにせよ、素人評価ですので、これを基準に買う、買わないの判断をされるとなるとちょっと責任を感じてしまうなぁ。でも、列挙した基準からすれば、上の3つはお奨めです。
「ミトリダーテ」「ルチオ・シッラ」は未だ未経験です。予算が許せばM22シリーズをもっと収集するのですが・・・。

投稿: YASU47 | 2007年3月 4日 (日) 11時36分

edcさん、
こちらにもようこそおいで下さいました。TB記事が「コジ」となっていますのでもう一度送っていただけると嬉しいです。
ベーム盤は店頭で気にはなっていたのですが、やけに高い(9千円)ので躊躇しています。
アバド/ミラー盤はとても「いかにもオペラ!」といった豪華さとVPOの響きは素晴らしいのですが・・・。人それぞれの感じ方が違うというのも面白いですねっ。
edcさんのblog、お気に入りリンクに追加させて頂きましたのでこれからも宜しくお願い致します。

投稿: YASU47 | 2007年3月 4日 (日) 11時48分

Takuyaさん、
確かに好みはどうあれ、惹きつけられてしまった舞台ではありました。天使の存在は音楽を鑑賞するという面ではかなりうるさく邪魔に感じたとはいえ、コスチュームも含めてケルビーノとの表裏一体性には共感も感じました。どうせならば、皆が天使を拒否するラストシーンで伯爵夫人ロジーナにもケルビーノと共に天使を受け入れてもらいたかったなぁ。ボーマルシェの原作によると続編「罪ある母」ではロジーナが出征前のケルビーノの子を孕んでしまうということらしいですから(読んでいないので聞いた話だけですが)。

Takuyaさんの言われるモーツァルトの「痛み感覚」、これから注意して感じ取ってみようと思います。

投稿: YASU47 | 2007年3月 4日 (日) 12時39分

こんばんは。

TBとコメントをいただき、ありがとうございました。
最近エントリーされたものを拝見しましたが、素敵なブログですね。
また、立ち寄らせていただきます。

映像つきのフィガロ、とても興味深く拝見しました。
ご紹介になっている中では、アーノンクール in チューリッヒ、ヤーコプス in ケルンが私は好きです。
他では、ベームが66年にザルツブルクで振ったフィガロも素晴らしいですよ。

今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

今後とも

投稿: romani | 2007年3月 4日 (日) 23時48分

romaniさん、
早速お越し下さりありがとうございます。
アーノンクール/チューリッヒ盤は洒落た演出とエヴァ・メイをはじめとする歌手たちがいいですね(フィガロはちょっと弱いけど)。私にとっても一押し盤です。
ヤーコブス/ケルンではピリオド楽器が爽快な演奏を聴かせてくれるのが気に入っています。
romaniさんのblog「ETUDE」お気に入りに加えさせていただきました。これからも宜しくお願い致します。

投稿: YASU47 | 2007年3月 5日 (月) 21時11分

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» モーツァルト「フィガロの結婚」ザルツブルク音楽祭2006年  [雑記帳]
白黒の簡素な舞台なのが新国立劇場の「フィガロの結婚」と似ています。でも、物理的にではなく、とにかく暗い。特に1幕は慣れないせいか、私の側に問題があったのか、とっても疲れました。 各所に、どうも気色悪いというか、心理的に抵抗のある場面があるのですが、怖いもの見たさも手伝ってか、慣れか、とにかく退屈はしません。知らず知らず引込まれてしまいます・・・。 違和感ありの部分をいくつか。 終始、黙役の天使、いたずらキューピットが登場します。お小姓ケルビーノと同じ格好。天使には翼があるけど、ケルビーノに... [続きを読む]

受信: 2007年3月 4日 (日) 16時40分

» 『フィガロの結婚』(ザルツブルク音楽祭) [orfeo.blog]
DVDライブラリーより。 暗くて、重くて、どんよりした『フィガロ』。その責任の大半はアーノンクールにある。ネトレプコも深く沈んだまま。アルター・エゴを使うのが大好きらしいグートの演出もここでは内向的... [続きを読む]

受信: 2007年10月13日 (土) 13時29分

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