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2007年1月 9日 (火)

冬枯れの北総ウォーキング

秋に続いての北総ウォーキングです。今回は北総線「印西牧の原」駅から北に向かい、小さな神社やお寺に寄り道をしながらJR成田線「小林」駅に到る約9キロのコースです(北総線のパンフレットに紹介あり)。千葉の北総地域をほぼ東西に平行に走る北総線とJR成田線に挟まれた地域にはかっての森林や原野の姿を一部にとどめながら、江戸時代以来の開拓村落とそれに付随する神社や仏閣の名残が点在しています。701081_2 この数年で急激な開発ラッシュに沸く北総線沿線と、昔ながらの風情を残すJR成田線沿線の木下(きおろし)、小林地区との対照も興味深いものです。 右の冬の日差しを浴びる地蔵たちの写真のように穏やかな時の流れを感じながらのウォーキングでした。

道筋に「巴塚」という怪しげな石版がありました。「巴」とは言うまでもなく木曽義仲の愛妾「巴御前」のことです。巴は義仲の敗死後、源頼朝の重臣、和田義盛の元に庇護されましたが、やがてその和田義盛も北条家に滅ぼされ、尼となってこの小林の地に隠れ住んで最後を迎えたとの伝承です。しかしながら、この巴塚というのは義仲あるいは巴御前ゆかりの地(滋賀県大津市義仲寺、富山県南砺市福光町、富山県小矢部市倶利伽羅峠)にそれぞれ立派な碑が在り、左の写真のようにたかだか30センチ四方の薄い石版が地面に突き刺さっているだけでは全く勝負になりません。70108 しかし、前に書いた「頼政塚」と同様の地域伝承とのことで、源氏の落ち武者の子孫がこの一帯に住みついたということなのでしょうか?興味を惹きたてられます。

帰りは再び北総線「印西牧の原」へ。駅前に出現した巨大SC内の近代スパ施設でつかの間の温泉気分です。このギャップは何だろう?

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コメント

明けましておめでとうございます。
千葉、神奈川の史跡は歴史の古いものが多く、ロマンを感じ私も好きなところです。
昨年鹿島、香取神社を参拝したおりに調べたところ、歴史も平安時代以前からの場所もあるそうですね。
房総は裏伊勢と呼ばれていたと聞き興味が沸いてきました。
今年も宜しくお願い申し上げます。

投稿: おぺきち | 2007年1月10日 (水) 16時15分

おぺきちさん、
こちらこそ本年も宜しくお願い致します。
そうなんです。房総半島の歴史も古くて、千葉市内の加曾利貝塚などは縄文時代の遺跡とのことです。前にも書いた松虫寺の由来も奈良時代に遡ります。鎌倉に比べたら規模は小さく、また散逸もしています。でも、開拓や地元信仰に密着した素朴なものが多いですね。

投稿: YASU47 | 2007年1月10日 (水) 23時29分

先般はお心のこもったお言葉をありがとうございました。
諸事、これからが勝負、という感じですが、生活面だけは先行きが見えているので、後は何があってもいいや、と腹を括っているところです。
心から感謝申し上げます。
(人間、親より先に死ぬもんじゃありません・・・つくづく思いました。)

音楽の話もいいですけれど、こういうウォーキングのお話、お見つけになったものの写真、とてもなごみますね。
小林地区には新興住宅街があると思いますが、そこで2度ほど(まだ娘が2、3歳の頃)、頼まれて何人かでクリスマスコンサートの演奏をした思い出があります。それで、今回のお話を興味深く拝読しました。
それにしても、いいお地蔵さんがあるんですね。。。
巴塚も、なるほどと思わされるものがあります。
千葉県人ではないのですが、北総地区は平安末期に京にいる荘園領主と地元の、まあ、武士ですね、その対立が非常に激しく展開された地域ですので、いろいろ探りたい場所です。
頼政といい巴といい、出てくる名前は、そんな紛争を激しく締めくくった源平合戦の口火を切り、さなかに犠牲となった人のものですから、立派さとは関係なく、つくったひとの胸の奥にある深い思いに、なんだかとても打たれる気がしました。
お粗末さまで。

投稿: ken | 2007年1月11日 (木) 15時19分

kenさん、
kenさんのblogでも音楽の話題が復活しましたね。いろいろと大変であったことお察し致しますが、お子様たちとの幸せな再出発が軌道に乗りますよう応援しています。
さて、小林地区はJR駅付近や幹線道路沿いは住宅地が並ぶようになってきましたが、利根川沿いや里山地域にはまだまだ手付かずの自然が多く残っており、休日のウォーキングにはうってつけです。kenさんの言われるように、この辺りも平将門に代表される坂東武士発祥の一地域だったのでしょうか。

投稿: YASU47 | 2007年1月12日 (金) 22時58分

>kenさんのblogでも音楽の話題が復活しましたね。
ホント、つまらんことばかり綴り続けてしまったので、すみません。お言葉に再度、感謝感激しております。目先のことでもうひと踏ん張りしなければなりませんが、それで子供らの心にエアポケットが出来るよな振る舞いをしてしまっては親失格ですから、なんとか平静にやっていきます。

さて、成田近辺ですが、おっしゃる通り坂東武者発祥の地の域内です。
このあたりにどんな氏族がいたのか、いま手元で見ることが出来ない状態なのが残念ですし、史料があっても結局情報は不足するのですけれど、現在の千葉県(それこそ房総半島の突端から)、茨城県、福島県の太平洋側南部まで、加えて千葉と境を接する埼玉県東部までは平安期の荘園がじつにこまごまと存在していました。ご存知でしょうが、荘園の実態は土豪が朝廷への租税を節約するため、また地域に対する自分の権限に保険をかけるための手段でしたから、荘園が小さい区分でたくさん存在するのは、それだけ土豪が多かったことの証しでもあります。土豪が、すなわち坂東武者だと思って差し支えないと思います。
荘園関係の史料は、いまはほとんど古書でないと入手出来ませんが、地方毎の分布図を眺めていると、それだけで平安時代の、平安でなかった人達の生き様が見えてくるようで、結構面白いですヨ!

投稿: ken | 2007年1月13日 (土) 01時37分

kenさんのコメントが刺激となって、近くの図書館から鎌倉武士発祥に関する本を借りてきました。10世紀半ばの平将門の乱以降、荘園制度の崩壊と坂東武士の発生がひとつの流れとなって鎌倉幕府の成立へと至る歴史のダイナミクスには大いに興味をひきたてられ、ちょっとおさらいをしてみようという気になっています。源頼政や巴御前もまさにこの時代を生きた者たちであり、誇張が混ざり合うのは止むを得ないものとしても、彼らの伝承がなぜ北総(下総)地域に生まれたのかということには大いに興味有りです。

投稿: YASU47 | 2007年1月13日 (土) 21時49分

YASUさん、研究成果のご発表を心から楽しみにさせて頂きます!

投稿: ken | 2007年1月13日 (土) 23時01分

蛇足です。
上総下総で平安末期に何があったか・・・判明しているのは、源義朝の死後は(この人もあくどいことをしていたのですけれど)、平氏一族が一気にこの地方の荘園を牛耳り、一族の財を築くのに有利な方向にばかり気を取られ、その結果、荘園を巡って権益争いがかなり多かったことだった、とかすかに記憶しています。
吉川好文館で出ている人物双書「千葉常胤」などもお読みになると、お役に立つかもしれません。

投稿: ken | 2007年1月13日 (土) 23時46分

kenさん、
いろいろとアドバイスをありがとうございます。源義朝は千葉氏への介入も含めてかなり強引ながらも関東の源氏勢力の再興と再組織化に成功したようですね。しかし、平治の乱(1159)の敗北で時の権力は名実共に平清盛一族に移りましたが、関東では徹底しなかったようです。それが、かろうじて命を永らえた義朝三男の頼朝挙兵(1164)による再逆転に繋がっていくのですね。

投稿: YASU47 | 2007年1月14日 (日) 21時04分

千葉氏一族は源平の乱の立役者だと言ってもいいほどで、義朝亡き後は平氏にだいぶイタい目にあっていたことが(資料は少ないようですが)分かっています。彼らには本当は頭領が源氏でも平氏でも、どちらでもなかったほうが良かったのかもしれませんで・・・そのあたりをお感じになりながら史料にあたると面白さが増すはずです。「鎌倉遺文」だけではちょっと伺い切れないのですが。・・・ということで、千葉県の中世史は日本の中で意外と重要な意味を持っているのに、それに着目した整理がさrていないのは残念です。
・・・ですので、そのあたりに狙いを付けると、大変興味深い結果が引き出されるものと確信しております。(残念ながら私は千葉県人ではないので、地理感覚のなさから充分な確認が出来ずにいます。それが、YASUさんにとても期待してしまう一番大きな理由ですかネ。あんまり重くとられてしまうといけません。楽しんで下さい!
僭越なコメントばかりで恐縮です。

投稿: ken | 2007年1月14日 (日) 23時55分

kenさん、
そうですね。期待されてしまっても困りますので、ウォーキング同様、のんびりと勉強させてもらいます。楽しみはリタイア(いつだ?)にとっておかねばならないし・・・。
僕の高校は鎌倉にあったので、この時代には元々興味はありました。地元は三浦氏や大庭氏のテリトリーだったようです。10世紀後半の関東武士発祥期から鎌倉幕府へと至る約200年間をゆっくり旅してみたいですね。

投稿: YASU47 | 2007年1月15日 (月) 22時18分

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