秋の北総歴史ウォーキング
最近、あちこちの駅に沿線のウォーキング案内のチラシがおいてあるのが目につきます。今回はそんな沿線ウォーキングの中から北総線の小さな旅をご紹介しましょう。
北総線(旧北総開発鉄道)は京成高砂駅から印旛日医大間の約32Kmを主に千葉ニュータウンの中央を貫く路線で、2010年には成田空港までの延伸が予定されています。京成線、都営地下鉄との相互乗り入れにより千葉ニュータウン住民の通勤の足として利用されています。夏場は駅舎に飛び込んでくる蛾や羽蟻が都営地下鉄に持ち込まれるとの苦情もあるようです。一時は開発が進まず問題になっていた千葉ニュータウン沿線も巨大商業施設が立ち並ぶようになり、最近の発展ぶりには目覚しいものがあります。
さて、そんな北総線の駅舎で見つけた二つのウォーキングコースを巡ってみました。
白井七福神めぐり~その3
その3と言うからには、その1とその2もあるのでしょうが、ここでは割愛。北総線「小室駅」から東に向かい薬王寺、北に折れて白井市民の森、運動公園、南に転じて、秋本寺、仏法寺を経て「白井駅」に戻る約13キロのコースです。主に田園風景の中を歩きます。
印西史跡探訪
北総線「千葉ニュータウン中央駅」から南の北総花の丘公園、結縁寺、頼政塚、多聞院、草深の森、牧の原公園を経て「印西牧の原駅」へと至る約11キロのコースです。 主に里山風景の中を歩きます。
いずれも、程よいウォーキングコースで小さな寺社を巡りながら道沿いの風景や草花、秋の空気を楽しむことが出来ます。大きな驚きはありませんが、小さな楽しみを見つける旅ですね。
例えば、頼政塚というとてもこじんまりとした碑があります。 これは源頼朝と同族の源頼政が1180年に挙兵したものの平家に破れ宇治平等院で自刃した際、自らの首が敵に晒されるのを嫌い、家臣に「首級を背負って東国に逃れよ」と遺言し、家臣は二十日余日馬を走らせてこの地に着いた処、急に首級が重たくなったことからここに埋葬したというものです。真意の程は分かりませんが、下はこの地に伝わる民話です。
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/minwa/inzai06.html
更に調べてみると、同じ頼政塚というものが京都の亀山にありました。墓所としてはこちらの方が立派で、本家争い(するつもりはありませんが)では北総の頼政塚は分が悪そうです。でも、歴史の小さな不思議のひとつですね。
http://www.ne.jp/asahi/meitei/pedantry/field/rakugai/yorimasa.html
伝承をもうひとつ。 北総線「印旛日医大」駅から北に少し歩いたところに「松虫寺」という一風変わった名前のお寺があります。 これは奈良時代、聖武天皇の皇女の松虫姫伝説に基づくものです。この地域に中央の農作、機織等の技術が伝えられた契機でもあるとの言い伝えですが、その時代に都から皇族、それも病人が牛車で地の果てとも言えるこの地まで本当にやってくるだろうかという疑問も残ります。
http://www.publicart.co.jp/iniwano/matsu_densetsu.html
北総にはこんな小さな歴史ロマンがあちこちに点在しています。ウォーキングに加えての楽しみです。
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