2009年6月28日 (日)

「野火」、「桜島」、「日の果て」

90626 前回紹介した『俘虜記』に続いて、同じ大岡昇平の『野火』、梅崎春夫の『桜島』、『日の果て』を続けて読みました。いずれも、終戦前後の軍隊組織の愚劣さと崩壊を描いた中・短編です。特に『野火』と『日の果て』ではフィリッピン戦線の敗残兵たちが辿る壮絶な断末魔の世界が描かれます。団塊の世代に属する私に戦争体験はありませんが、沖縄戦、広島、長崎、そして終戦という64年前の夏の日々に近づくたびに、一つ前の世代が被った悲惨を忘れてはならないと普段は怠惰な心の一部が命じます。

『野火』は肺からの喀血(結核?)ゆえに部隊から見捨てられた「私」」こと田村一等兵が数ヶ月間にわたってジャングルを彷徨う姿を描きます。同様の傷病兵、敗残兵たちが次々と悲惨な末路を辿るなかで、「私」は図らずも得た精神の自由を喜びながらも、一方で確実な死に向かう自分の姿を冷静に、かつ半ば自虐的に見つめます。しかし、繰り返し襲ってくる孤独と飢餓への恐怖はあまりにも凄まじいものでした。やがて、人間としての尊厳を守り抜くことが次第に困難になります。「私」はこうして逃避行の中で次第に人間性を失いながらも肉体は彷徨い続けます。

『日の果て』で、主人公の宇治中尉は上官の命令により、崩壊した軍隊から先に離脱した同僚の士官(花田中尉)をジャングルに追跡します。宇治は同行の高城伍長に米軍への投降の意思を伝えつつも、現地の女性と共に潜む花田中尉の存在にこだわり続けます。『野火』と同様、一種のロードムービーならぬロード小説(?)ですが、大岡作品がとことん自虐的であるのに対し、梅崎作品はある意味、虚無と滅びの美学を感じさせる耽美的な作品です。

『桜島』はかなり趣きが異なります。暗号兵、村上兵曹は米軍上陸に備えて鹿児島の桜島の通信基地に赴任します。すでに沖縄は落ち、死を覚悟した下士官や兵士たちの諦念や一方での生への執着、が描かれます。こんな状況の中でも軍隊組織はあくまでも暴力的です。やがて、基地は815日を迎えます。

大岡昇平と梅崎春夫はそれぞれ一兵卒として召集を受け、知識人特有の冷静な目で軍隊の崩壊と兵士たち、そして自分の生き様と死に様を見つめます。戦後戦争文学の世界を切り開いた作家たちであると共に、その作品群は戦争体験世代が次第に消えていく現代にあって、ますます存在意義が高まっているように思えます。

皆さんも、64回目に夏にあたって、これらの短編集を手にとってみてはいかがでしょうか?

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2009年6月18日 (木)

大岡昇平・『俘虜記』

90617 もはや日本文学の古典作品のひとつともなっている大岡昇平の『俘虜記』(新潮文庫)を読みました。若干唐突さも感じられるかもしれませんが、この時代と年齢に至って改めて読んでみたいと思わせる作品だったのです。作者の経験した戦闘と捕虜生活体験が綴られていくのですが、「反戦」を声高に叫ぶのではなく、あるところでは淡々と事実や心の動きの描写を、あるところは自らの立場も含めてシニカルな人物の描写を行っています。この作品は記録文学としての統一性は保っていますが、大まかに三つの部分に分かれていて、各々で描写の対象や筆致が微妙に異なります(段階的な執筆と出版という事情もあったようです)。

最初の部分はフィリッピン、ミンドロ島での絶望的な戦闘と負傷を経て捕虜となるまでの経過を主に心の動きを中心として詳細に描きます。30歳を超えた補充兵としていきなり最前線に送られた作者はこの戦争の愚劣さを感じながらも、「私は祖国をこんな絶望的な戦に引きずりこんだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼等を阻止すべく何事もなさなかった以上、今更彼等に与えられた運命に抗議する権利はないと思われた」と、確実に訪れるであろう死を覚悟します。

第二の部分は傷病捕虜として米軍野戦病院で次第に心身が回復していく期間を描きます。生還したことへの悦びと羞恥が入り混じった複雑な感情と共に個々の米軍兵や他の捕虜たちへの観察を怠たりません。異様な状況下での一種の文化比較論に興味が惹かれます。

第三の部分はレイテ島の大収容所で過ごす復員するまでの約半年間の集団生活です。日本軍人としての尊厳を失った捕虜たち一人一人の行状をシニカルな目で描きます。侮蔑と冷笑の対象は自分にも向けられます。ジュネーブ協定に従い、一日2700キロカロリーの食事と月3ドル相当の嗜好品、更に形だけの軽労働へ対価が支払われるという、生命の安全と衣食住を保証された環境下で一度は死を覚悟したはずの捕虜たちは次第に飽食し、堕落していきます。

作者、大岡昇平は文壇にあっても論争家として知られ、多くの敵をつくっていたようですが、この『俘虜記』においても描写の対象となった出来事や人々への筆致は批判精神とブラックユーモアに満ちています(思わず苦笑いする場面が多い)。功罪は別としても、異常状況下におけるインテリとしての面目躍如です。

尚、類似作品として横田正平著『玉砕しなかった兵士の手記』(1988年草思社)というものがあり、本棚に眠っていたものをこの機会に読みなおしてみました。新聞記者であった作者は招集兵として中国、サイパンと転戦し、グアム攻防戦最後の段階で投降する道を選び、ハワイの捕虜収容所で終戦を迎えます。圧倒的な物量を誇る米軍を前に精神論だけに頼る絶望的な戦いを継続する軍隊という組織の愚劣さと脆さが描かれています。

他にも戦後戦争文学としては野間宏『真空地帯』や梅崎春夫『桜島』、『日の果て』などが思い浮かびます。野間宏作品については他の作品も含めていつかじっくりと読みなおしたいと思っています。

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2009年6月12日 (金)

『平山郁夫シルクロード美術館』@八ヶ岳高原

90611silkroad_uz 『平山郁夫シルクロード美術館』1999年に、盆地を挟んで南アルプス連山を正面に見据える八ヶ岳南麓に開館されました。シルクロードを描き続けた平山郁夫氏による四曲一双(屏風形状)の巨大(171 x 363cm x 8枚)な連作絵画をはじめ、遺跡、寺院、砂漠のキャラバン隊等を描いた自作作品、そして中国、中央アジア、西南アジアの各地から収集された陶器類、装飾品、古美術品などが並んでいます。幻想的で中央アジアへのロマンをいっそう掻き立てられる平山作品は前から直接見たいと思っていたところに、現在、『豊穣なる色彩―ウズベキスタンの布と器』という特別展(628日まで)を開催中となれば行かざるをえません。

特別展示では壁一面に並ぶスザニ(掛布)やクイラク(女性用コート)、チャパン(男性用コート)に懐かしさを覚えると共に、改めてじっくりと眺めて見ると、特にスザニのデザインの斬新さと手縫いのきめ細かさに驚かされます。また、採画皿や壺といった陶器の色の鮮やかさには改めてその美しさを感じました。過去10年以上にわたるウズベキスタン通いの身であるにも拘わらず、現地では「何も見ていなかった」ことに気付かされます(まぁ、目的が違ったのですから止むを得ませんが)。

自由閲覧が可能な2階のラウンジで画集を眺めていると改めて平山作品の独特の画風、題材のユニークさ、そして果たしてきた業績に感嘆させられ、シルクロードのみならず、広島やサラエボを描いた反戦平和のメッセージにも心打たれます。尾道の「平山郁夫美術館」と薬師寺の「大唐西域壁画」近い将来の訪問地候補に追加です。

美術館のあとは、清里経由で八ヶ岳山麓の空気と、郷土料理「ほうとう」を味わいながら甲斐の国をあとにしました。

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2009年6月 7日 (日)

祝!日本代表W杯予選突破!

90607w 良かったですね。2試合を残してアジア予選A組の2位以内確定が決まり、2010年南アでの本大会出場権を勝ち獲りました。前半9分の中村憲からの見事なスルーパスに岡崎が飛び込んで先制点を奪ったものの、その後の試合を支配したのはウズベク側でほとんど防戦一方となりました。審判の不可解な判定も多く、何度も繰り返されるゴール間近でのFKには冷や冷やとさせられましたが、GK楢崎と中沢、闘莉王の両CBを中心とした守備陣が最後まで集中を切らせませんでした。中盤と前線の選手たちも自陣ペナルティアリア近くまでよく戻っていたために、跳ね返したボールが再びウズベク側に収まってしまうのもやむを得ませんでした。それ故に、ボール支配率の割に決定的なピンチは少なかったように思われます。ウズベク側の雑な攻撃にも助けられました。

今回の審判については、いろいろな意見があるようですが、岡田監督と選手たちはアウェイ環境として乗り越えるべき条件のひとつとしてつとめて冷静な対応をしていました(岡田監督の退席は誤解が基となっていたようですね)。長谷部退場のシーンではむしろうまく時間を使っていたように思えました。判定を巡って熱くなっているのはいつもTV画面前を含めた外野席のようです。TV画面上では確かに日本側に厳しいようにも見えましたが、見直してみたところ、後半29分には軽度の接触にも拘わらず、ウズベク側のペナルティエリア手前で日本側にFKも与えています。

何はともあれ、アウェイ環境、グラウンド条件(芝が深く、日本が得意とするパスサッカーが封印)にも拘わらず、無失点で凌ぎきってW杯への切符を手にした選手たちのたくましさに敬意を表したいと思います。今後も熱い戦いを期待しています。Jリーグでの代表選手たちによるマッチプレーも楽しみです。

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2009年5月31日 (日)

『ラ・チェネレントラ』@METライブビューイング

90531chenerentra1 今シーズンのMETライブビューイング、最後の上映作品はロッシーニの『ラ・チェネレントラ』です。物語はいわゆる「シンデレラ」で実に他愛のないものですが、クレッシェンドを思いっきり利かせたロッシーニの活き活きとした音楽が魅力の作品です。

舞台装置は豪華さを売り物にするMETとしてはかなり安手な印象です。ごくオーソドックスな演出と相俟って安心は出来ますが新鮮味には欠ける舞台でした。指揮はマウリツォ・ベニーニ、名前からするとイタリア人でしょうか?しかし、ロッシーニ音楽の生命線ともいうべき洒落気と軽妙さがあまり感じられませんでした。例によって劇場の音響のせいでしょうか?音が鳴り過ぎです。

結局はエリーナ・ガランチャの美貌と歌唱力、才気といった魅力に全面的に依存した舞台となりました。人気絶頂の彼女がオペラ大衆化の宣伝に果たしている役割はとても大きなものがあると思います。今回のライブビューイングがガランチャ目当てであったのは私だけではないでしょう。

(ちなみにガランチャに関する過去記事は「ウェルテル」と「コジ・ファン・トゥッテ」の映像について)

他の主演者でいえば、アレッサンドロ・コルベッリ(ドン・マニフィコ)、シモーネ・アルベルギーニ(ダンディーニ)の二人の名ブッファ・バリトンはしっかりと脇を固めていましたし、二人のやはりブッファ・ソプラノ&メゾ姉妹も楽しめました。王子役に黒人テノール(ローレンス・ブラウンリー)を充てたのには流石にアメリカという感を強くしました。ただ、ガランチャとの身長差も含めて外観に違和感があったのも事実です。

手元には『チェネレントラ』の映像が2種類あります。

ひとつはヒューストン歌劇場(1995)でC・バルトリの魅力が全開です。コルベッリがここではダンディーニを演じています。演出、演奏、歌唱共に素晴らしい舞台です。

もう一つはグラインドボーン音楽祭(2005)で、L・ドノーセ(MS)、M・ミロノフ(T)のフレッシュなコンピが爽やかです。アルベルギーニがここでもダンディーニを演じています。

来シーズン(200910-20105月)のライブビューイングのラインアップが発表になっています。ここに挙げておきましょう。カッコ内は主な出演者です。

トスカ(マッティラ、アルバレス)、アイーダ、トゥーランドット(グレギーナ)、ホフマン物語(ネトレプコ、ガランチャ)、ばらの騎士(フレミング、グラハム、シェーファー)、カルメン(ゲオルギュー、フリットーリ)、シモン・ポッカネグラ(ドミンゴ)、ハムレット(デセイ)、アルミーダ(フレミング)の9作品。

オジ・ファン・トゥッテ管理人として外せないのはやはり「ばらの騎士」「ホフマン物語」「ハムレット」でしょうか?でも、やっぱり生の舞台が観たい!

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2009年5月21日 (木)

「生瀬一揆」の跡地を歩く

90521_3 今から約400年前、戦国末期あるいは徳川時代の初め、1602年から1621年の間のどこかで起こった「生瀬一揆」については為政者によって意図的に記録が残されず多くが不明であり、未だに歴史の闇の中に深く埋もれています。しかし、当時の常陸国(現在の茨城県大子町)小生瀬村が「全村皆伐」に遭い、350名から500名の村人が子供も含めて老若男女を問わず皆殺しにされたことは歴史的事実とのことです。「生瀬一揆」あるいは「生瀬の乱」と呼ばれるこの悲劇はなぜ起こったのでしょうか?

今、現場となった小生瀬村に見られるのは写真のようなのどかな農村風景であり、かつての悲劇の痕は全く留めていません。しかし、農民350名が逃げ込み、惨劇の場となった「地蔵の森」は今では「地獄沢」という名前で呼ばれ、公道に面した入口には下の写真のような説明札が立てられています(クリックすると拡大)。

この説明札によれば年貢徴収を巡る偶発的な暴動が惨劇のきっかけとのことです。他に、検地を巡る争い、村の自治を守るための戦いといった説があるようです。いずれにせよ、反徳川であった常陸佐竹氏の秋田への移封に伴い、水戸徳川氏(当時は武田氏)が新たな為政者として乗り込んだことによって、それまで、対北(伊達氏)対策としてある程度認められていた村の自治や年貢への考慮が、このような深い山奥の山村にも拘わらず、徳川政権による全国統一管理の徹底により一切認められず、厳しい封建体制の只中に組み入れられてしまったことが背景としてあるようです。

私がこの地を直接見てみたいと思ったのは飯嶋和一著「神無き月十番目の夜」(小学館文庫)を読んでからです。この物語では、上述した理由によって武装と半独立を保っていたこの地域と新しい為政者との間で軋轢が次第に高まり、ついに小生瀬村の若衆たちの勝算ありとの誤った判断が暴発を引き起こしてしまうのです。武士であり、村の肝煎でもある主人公の石橋藤九郎は衝突回避に必死となるのですが・・・。勿論、小説である限り、読者としてフィクションと事実の混同は避けねばなりませんが、為政者による犯罪ゆえに記録から抹殺され、どうにか伝承によってのみ伝えられてきた悲劇がこの小説によって陽の目を見ることになったことは、歴史的興味もさることながら、今も世界のあちこちで行われている戦争犯罪を考える上でも決して無関係ではないような気がします。

 

今回の訪問では、福島との県境に近く、四方を山に囲まれた奥深い地域であること、一つ一つの面積は小さいながらも苗の緑が瑞々しい田園の風景、深い森が行く手を塞ぎ奥には進めない地獄沢への入り口などが印象的でした。

尚、ネット上でも生瀬一揆に関わる記事は極めて少ないのですが、「生瀬一揆400年」と題した丁寧なサイトがありますので興味を持たれた方は必見です。

 

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2009年5月19日 (火)

睡蓮@萱田公園

自宅周辺、散歩コース途中の池に睡蓮の花が咲いていました。切れ目の入った葉の形から「蓮」ではなく「睡蓮」であることが分かります。僕には「睡蓮=モネ」という単純な発想しか思い浮かびませんがヒツジ草とも言われる語源、原産地、蓮との違い等々をネットで調べてみるといろいろ勉強になります。水の上の可憐な姿がいよいよ初夏の始まりを予感させますね。

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2009年5月12日 (火)

『トレチャコフ美術館展』 @Bunkamura

90512 「忘れえぬロシア」と題した国立トレチャコフ美術館展が渋谷のBunkamuraミュージアムで開催されています(67日まで)。全75点のロシア近代絵画群です。写実的な自然や日常風景を中心とした作品が多く、とても気分が和むと共に懐かしさを味わいました。

1980年代には仕事で頻繁にモスクワを訪れていました。旧ソ連邦にほとんど娯楽が無い時代で、昼間は美術館、晩は劇場でバレーやコンサートを観るというのが出張者たちにとっては最大の贅沢でした。モスクワにはヨーロッパ絵画を集めたプーシキン美術館と、ロシア絵画を集めたトレチャコフ美術館という双壁を成す二つの国立美術館があり、かわるがわる訪れたものです(ちなみにサンクトペテルブルではエルミタージュとロシア美術館が同様に双壁ですね)。

展示は主にクラムスコイやレーピンといった所謂「移動展派」と呼ばれる画家たちの作品が中心です。19世紀の後半にロシア美術アカデミーの権威に抵抗し、自然や民衆の日常をどこまでも写実的に描き、かつ移動展でもって人々の中に溶け込もうとした画家たちです。いわば芸術の世界での「ナロードニキ」ですね。革命後の社会主義リアリズム(というよりはスターリン主義)による干渉も未だ無い時代の自由と闊達さが作品に溢れています。特に市民の日常を描いた作品群には好感が持てます。ニコライ・クズネツォフの「食事のあと」(上の絵)などはその典型でしょう。

モスクワのトレチャコフ本館ではもっと暗い印象の絵が多かったように思います。社会主義リアリズムに影響された帝政時代の「抑圧」と過酷な「労働」を描いたものが多かったからでしょうか?またイリヤ・レーピンというと「ヴォルガの舟曳き(ロシア美術館)」のような労働を写実的に描いた作品が代表的と思われますが、今回の展示では「あぜ道にて」(下の絵)のようなまるでモネの「日傘をさす女」のような明るく透明な絵が出品されています。

一部を除いて印象派の作品群のような鮮やかさと革新性を感じることはありませんでした。しかし、ロシアの大地や自然や人々への愛着と誇りに溢れていることへの羨ましさと共感を大きく覚えます。見た後にこれほどの爽やかな気分を残してくれる展示会も珍しいのではないでしょうか?

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2009年5月 3日 (日)

憲法記念日二題

今日は194753日に日本国憲法が施行されてから62年目となります。団塊の世代に属する私たちは国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法精神が最も発揮された時代に初等教育を受け、特に意識はしてこなかったものの、それらを当然のものとして身体の中に染み込ませてきた世代と言えます。日本国憲法は私たち国民の人権や平和、生活を守る上での国家の運営原則であると共に、個々人が様々なことを考える上での基準あるいは道標(みちしるべ)となってくれるものです。それほどに、現行憲法に記された理念は素晴らしいものだと言えます。

改憲を主張する人々は、60年を経て時代環境が変わった、あるいは現実との齟齬ということを理由としますが、むしろ混迷を深める今の時代にあって、日本国憲法という原点の「実現」こそが向かうべき方向だと思います。

さて、以下はその憲法記念日にあたっての二題です。

(その1)

90503今日の朝日新聞全国版(と、北海道新聞)に右のような意見広告が掲載されていたのをご存知ですか?7,521名(匿名を含めると8,395名)の署名付きの『憲法第9条(戦争の放棄)・第25条(基本的生存権)の実現を!』という市民カンパによる広告です(虫眼鏡が必要ですが私の名前も記載されています)。お互いに顔も知らないひとりひとりの力はあまりにも小さく、この8,395名による意見広告も宣伝効果としては一瞬のことですが、「出来ることはしてみよう」という立場で参加してみました。

(その2)

九条の会・ちばけん」と「九条の会・千葉地方議員ネット」の共催による「憲法9条の集いin Chiba」という催し物がありました(52日、習志野文化センター)。イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんと憲法学者で九条の会の呼びかけ人の一人、奥平康弘さんによる講演はとても興味深いものでした。1,500人収容の会場は満席で100名以上が入場出来なかったとのことです。

高遠さんは2004年、イラク抵抗勢力からの解放後に国内で激しい自己責任バッシングを受けて深い痛手を負ったものの、再びイラク人道支援の最前線に立って活動を継続しています(詳細は高遠さんのblogへ)。今回は映像と写真を交え、5年ぶりに訪れたイラクの現状報告でした。いまだに暴力の応酬が絶えないバクダッド市内とは異なり、西部のアンバール州等では地元勢力主導による復興と平和への兆しが現われてきたとのことです。しかし、一方では国内外に約500万人(実に5人に一人)という難民の存在、米軍、原理主義、抵抗勢力という三つ巴の戦闘構造、シーア、スンニ両派対立、クルド民族問題等は未解決のままです。戦争の引き起こした悲惨はいつ解決されるのでしょうか?

奥平さんは「九条の会」結成時の秘話に始まり、かつてのような「自衛隊の存在=違憲」という単純で拡がりを伴わない見方からの脱却、9条と25条は一体であることなどを時にはユーモアを交えて分かり易く話してくれました。

北朝鮮によるミサイル発射以降、ソマリアへの海上自衛隊派遣、自民党主導による衆院憲法調査会再開の動き、と世の中が急にキナ臭くなってきました。この機会にこそ、原点に戻り、日本国憲法の一読はいかがでしょうか?

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2009年5月 1日 (金)

大竹収・『木工ひとつばなし』

90501 信州安曇野に工房を持つ木工家、大竹収氏によるエッセイ集が出版されました(プレアデス出版)。著者のHPに書き貯められてきた文章が出版社の眼にとまり、必要に応じた書き直しと再編集を経て出版に至ったものです。全体を通して著者の「木」への愛情と手造り製作へのこだわり、そして温か味あるインテリジェンスに満ちています。

「木」への愛情については、そもそも「樹」として持っていた生命へ敬意と共に、木目、節といった各々の樹や木材の持つ個性について語られ、都会人にとって忘れがちな樹という身近な存在への念を思い出させてくれます。更に樹木(植物)こそが二酸化炭素の固定化(有機物化)を通じて太陽光線のエネルギーを地球上に取り込むことの出来る唯一の存在であり、例えば化石燃料の消費というのは何億年もの時間をかけて貯めてきた貯金を一挙に使い果たしてしまうようなものだと警告しています。また生態系のしくみの中で森林や樹木が果たす役割について自然への畏敬の念と共に語られています。

木工家具製作については木材の選び方から始まり、加工上の様々の工夫や技術、苦労、満足等について語られます。とても平易な語り口ですので専門家ではなくとも大いに共感をもって読むことが出来ます。著者が設計(デザイン)ということについて一家言を持つのは木工家としては当然のこととしても、加えてプラント設計者としての経歴によるところも大きいのでしょう。

私にとって、著者はかつて海外プラントエンジニアリング会社での同僚でした。彼は回転機設計部に属し、最新の機械工学エンジニアとして世界中を飛び回っていたのです。工学的機能に設計美を見出してしまう性(サガ)のようなものがその根底にあるようです。

この本の随所に現れるインテリジェンスについても、その経歴と無関係ではないでしょう。早期退職によって職人の世界に飛び込んだとはいえ、自然科学知識のみならず、海外とそこに住む人々を知っていることは旧来的な木工職人の伝統世界とは一味異なる新世代職人を生みだしているように思えます。

『木工ひとつばなし』は金属やプラスティック製品に囲まれた生活の中ですっかり忘れかけていた樹木や木材の魅力を思い出させてくれました。今回、改めて身の回りの木製家具類を見渡してみて、それが例え量産品であっても木目の温もりや木の手触りの感触に懐かしさを感じとることが出来ました。木工に興味を持つ人だけではなく、自然や人間に温もりを求める人、土曜のTV番組「人生の楽園」に共感する人(^^;)にはお薦めです。

(下の写真はHPより)

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2009年4月28日 (火)

アルジェリア – 今を旅する、昔を旅する

先日(4/25)、表題の講演会が上智大学で開催されたので聞きに行ってきました。主催は上智大学アジア文化研究所から4/30に出される「アルジェリアを知るための62章」(明石書店)の出版記念を兼ねたものです。大学の教室での講義形式など実に久しぶりなので新鮮な気分になりました。

内容は、アルジェリアの歴史、文化の専門家とアルジェリアでの生活体験者による講義とパネルディスカッションです。具体的には以下の題目で各講師とパネラーによるプレゼンテーションがありました。

「古代史の謎を解き明かす―クレオパトラの娘セレーネの墓」

「ナショナリストの肖像―民族運動を創った3人」

「中世史の不在―歴史教育の問題を考える」

「映画と絵画を旅する―アルジェリアの光と影」

「アルジェリアと日本―汗、涙、笑顔の交流の架け橋」

とてもバラエティに富み、かつ分かり易い内容でした。特に、この国ではローマ帝国支配以降の中世の歴史が欠如していることにより、民族のアイデンティティ形成をほとんど解放運動にのみ求めていることが政治的不安定の一因ではないかという指摘は興味深いものでした。その解放の歴史に関しては、フランスとの交戦状態前夜の民族運動に焦点が当てられており、やはり興味を惹かれました。様々な潮流が存在し、やがてFLN(民族開放戦線)へと統一されていきます。2か月前に観たばかりの映画「命の戦場」でのアルジェリア人たちの葛藤を描いた諸シーンが甦ります。

1970年以降、プラント建設等でアルジェリアに長期滞在された皆さんによる企業活動と現地交流、生活の紹介もありました。私自身も1978-9にかけてその一人として地中海に面したスキクダの町(下の写真)に滞在していたので懐かしさと共に大いに共感を覚えました。

その後、アルジェリアは長く暗いテロの時代を経て、今ようやく、資源開発や観光面で再び脚光を浴びようとしています。国内テロの消滅と一層の開放、日本との友好を願いつつ、単なるノスタルジーに終わらないこの国への関心と興味を継続していきたいと思っています。

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2009年4月19日 (日)

「スーザン・ボイル」@YouTubeと「エレイン・ペイジ」

すでに新聞(4/18日経夕刊)やネット上で話題になっているのでご存知の方も多いでしょうが、未聴の方はまず以下のYouTube映像を見てもらいましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=vMVHlPeqTEg

90419susan_2 これはイギリスの「Britains Got Talent」という素人オーディション番組に登場したスコットランド在住のスーザン・ボイルさんという「フツーの」オバさんです。47歳という年令に加え、外見とのギャップにより事前に審査員の揶揄と観客の冷笑を受けるのですがほんのワンフレーズの歌い出しだけで称賛へと一変してしまうのです。この数分間のドキュメントがYouTube上に掲載されてからのヒット回数は1週間で4300万回を超えていると言われています。彼女はすでにCNNにも登場し、CDデビューも予定されているとのことです。閉塞した社会におけるからこそのシンデレラのような奇跡がYouTubeというネット上の巨大な装置によってあっという間に世界中を駆け巡りました。

最初に審査員から「将来目標とする歌手は?」と訊かれたスーザンはすかさず「エレイン・ペイジ」と答えます(観客席からは失笑がもれます)。エレイン・ペイジといえば1980年代のロンドンウエストエンドにおいてサラ・ブライトマンと双壁をなすミュージカルスターでした。サラの特徴が声域の広さと声の美しさならば、エレインは歌の巧さの情感の表現で群を抜いていました。手元には以下の盤があります(自分も相当なエレイン・ファンだぞ(^^;)

<映像>

・「Cats」、1998年に舞台を映像化したもの。エレインは娼婦猫のグリザベラを演じ、名曲「Memory」を熱唱。

・「Andrew Lloyed Webber Celebrations」、エレイン、サラ、マイケル・ボールといったウェストエンドスターたちがロイヤル・アルバート・ホールに集合したコンサート

<CD>

・「Encole」、「夢破れて」を含むミュージカルナンバーを集めた名盤(下の写真)

・「Cats」、ロンドンオリジナルキャスト盤。エレインのグリザベラとオーディションに合格したばかりのサラのジェミマを聴くことが出来る。

・「The Collections」 

・「From a Distance

・「Romance and the Stage

・「Cinema

これらのCDはいずれもミュージカルや映画音楽からの抜粋が中心です。多くをロンドンのウェストエンド地区にある「Dress Circle」という知る人ぞ知る小さなショービズ専門店で購入しました(Websiteはここ)。ウェストエンドミュージカル観劇のついでに是非お立ち寄り下さい。

スーザンがオーディションで歌ったのは「レ・ミゼラブル」から「夢破れて(I Dreamed a Dream)」でした。もう20年近くも前のこと、PC通信のniftyserve内の「fmusical」というフォーラムでミュージカル曲の人気投票なるものがあり、1位が「命をあげよう(ミス・サイゴン)」、2位がこの「夢破れて(レミズ)」、3位は「オンマイオウン(レミズ)」であったと記憶しています。いずれも心に沁み入るようなウェストエンドミュージカルの名曲で、クロード・シェーンベルグ作曲による作品です。日本のミュージカルファンたちによっても支持されているこれらの曲は更にロイド・ウェバー作品も加えてイギリス人たちにとっては国民的誇りの対象でもあるのでしょう。スーザンが拍手喝采を浴びた理由のひとつには選曲もあったと思われます。

今回の出来事はひと時の話題に終わる可能性は大ですが、素晴らしい歌唱と感動的な瞬間を味わせてくれただけでも感謝です。

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2009年4月13日 (月)

『夢遊病の娘』@METライブビューイング

90413met いやぁ、さほど期待していなかっただけに満足度は一段と大きなものでした。もともと破綻しているストーリーゆえに自由な立場から小気味良く現代風に作り直すことで視覚的な面白さも増しました。「読み換え」演出といっても教訓めいた立場からではなく、あくまでもエンターテイメントの視点からのそれに徹底されています。

舞台を中世チロルから現代ニューヨークに移し、物語が劇中劇(リハーサル)という設定で進んでいきます。それ故、中世の物語が現代装束で歌われても違和感がないという訳です。しかし、次第に劇中劇とオリジナルの「夢遊病」の物語が交錯し、一幕の後半からは現実へとすり替わるのです。オリジナル作品に触れたことがないと理解に苦しむ場面もありそうです。でも、そんな時は洒落れた舞台美術を楽しみながらベルカント音楽に酔えば良いだけです。

そんな演出の小気味良さをいっそう引き立てるのがナタリー・デセイです。このようなベルカント作品ではデヴィーア等、イタリア系歌手に比べると歌唱では物足りなさを感じることもあります。またライブビューイングのアップ映像にも辛い年令にもなってきましたが、それを補って余りある演技力、身のこなし、そして表現力によって観る人を惹きつけます。通常では出演者たちにあまり動きを要請しない作品ですが、今回はデセイあってこその演出でしょう。

相方は昨シーズンのMET「連帯の娘」で共演したばかりのファン・ディエゴ・フローレスです。トニオ、マントーヴァ侯爵、今回のエルヴィーノと、どの役を演じても自己陶酔型のフローレス節になってしまいますが憎めません。周りの空気にお構いなく朗々と明るいハイテノールを響かせていました。ただ、難を言えば録音側でフローレスの場合だけは音圧レベルを下げてもらいたかったものです。新設備の「柏の葉」は「東劇」の音響よりはマシでしたがそれでも音割れ寸前でした。

90413sonnambula1_2 演出の面白さは上述した以外にもあちこちにあります。例えば、ニューヨークを舞台としただけあって、美術や小道具、衣裳はミュージカル風です。一幕の終わりで団員たちが舞台稽古用の台本や楽譜を引きちぎり、ここで劇中劇から本来の劇に移行したことが示されます。よく考えられた演出です。この劇中劇の破綻はプロンターの引っ張り出しによっても表現されています。オリジナルでは悪役となってしまい後味の悪さを残すリーザ役を活動的で魅力ある存在として引き立てています。勿論、ジェニファー・ブラックという若いソプラノの好演あってこそです。母親役も通常よりは前面に出てきて母子愛をうたいあげます。いつの間にかニューヨークには雪が降り始めました。アミーナはそんな屋外の高所を眠りながら彷徨います。スリルも現代的です。フィナーレではチロルの民族衣装での大円団となり、鮮やかで明るく、理屈抜きのハッピーエンドで会場を沸かせます。などなど・・・とても楽しめました。

指揮はイタリアの中堅、エヴェリーノ・ピドです。オーケストラが出しゃばることなく、ベッリーニの美しい音楽を職人芸的に聴かせてくれました。

尚、手元には2004年フィレンツェ歌劇場のライブDVDがあります。出演者はエヴァ・メイ(アミーナ)、J・ブロス(エルヴィーノ)他です。典型的なベルカント演出で歌唱は実に美しいのですが面白見には欠けます。もうひとつ、2004年に発売されたA・ネトレプコのTHE WOMAN – THE VOICEというビデオクリップ集の中にこの作品からの一曲が含まれていますが、ここでのアミーナはまさに売出し中のネトレプコの魅力が全開です(逆に言えばこの時がピーク?)。

今シーズンのライブビューイングも一作品だけを残すだけになりました。E・ガランチャの「チェネレントラ」・・・見逃せませんね。

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2009年4月 7日 (火)

新番組・『飛び出せ!科学くん』

Photo 2か月ほど前に紹介したばかりのニッポン放送の深夜番組「中川翔子のギザサイエンス」が唐突に終了してしまいました。折角のユニーク、かつ楽しい深夜番組だったのに残念です。

代わって登場したのがTBS、月曜2330分からの新番組「飛び出せ!科学くん」です。こちらはTV番組であり、番組コンセプトも全く異なりますが、嬉しいことに「科学」と「しょこたん」が共通のキーワードです。

新番組はパーソナリティのココリコ田中直樹と「しょこたん」こと中川翔子が「地球は最高の遊び場だ!」を合言葉にスタジオから外に飛び出そうというものです。46日(月)の第一回放送はココリコ田中の趣味の一つをテーマにした「深海ザメ捕獲プロジェクト」なるもので、駿河湾で田中自らが漁船に乗り込み、深海ザメを追うというものでした。番組そのものはよくあるドキュメントバラエティに傾きがちで、「理系要素」には欠けるところがありましたが、科学的分野への好奇心にかけては一癖も二癖もある二人の軽妙な会話とコメントによってこの番組の特異性を垣間見ることが出来ました。

「ギザサイエンス」では若い「本物の」研究者たちの生の声が面白かったのですが、「飛び出せ!」ではリアルな映像による説得力が武器となります。NHKの「サイエンスゼロ」のようにじっくりと正攻法で組み立てられた番組構成とは異なり、パーソナリティ二人の個性に頼ったいわばゲリラ的番組です。番組の成功はこれから如何に視聴者の科学への好奇心をくすぐるテーマを選び、かつそれを知的に表現出来るかによるでしょう。番組の題名に恥じないように、初回では物足りなかった「科学的視点」を今後はぜひ取り入れてもらいたいものです。しばらくは注目を続けることにしましょう。

 

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2009年3月30日 (月)

山本廣子・『狂歌百人一首泥亀の月を読む』

90331_2 中学高校時代の昔から最も苦手としていたのが「古典」です。漢文、古文から能楽、狂言といった芸能、仏教芸術に至るまでおよそ「和漢文化の世界」は遠いものでした。ましてや、和歌ともなれば、教科書で辛うじてうろ覚えの作品が幾つかあるだけです。大学の入試問題のひとつに「いろはにほへと・・・」を全文書けというのがあり一瞬真っ青になりました。当時はそれを和歌の一つとは知らなかったために回答欄は空白でした(今でも書けない(^^;))。

そんな自分が表題の本を面白く読んだ(拾い読みですが)というのですから我ながら驚きです。実は著者の山本廣子は従姉です。だからという訳でもありませんが・・・、いや、だからこそ読み始めてみたのですが、これが何となかなか面白い!

そもそも狂歌というのは江戸時代に流行った和歌をもじった戯れ歌です。和歌が平安貴族たちの雅(みやび)の世界を詠ったのに対して、狂歌はどこまでも庶民的であり、皮肉や諧謔に満ちています。いかにパロディに組み替えるかという知的遊戯でもありました。この「狂歌百人一首泥亀(すっぽん)の月」という作品集は越谷山人という狂歌人により文化文政期(1804-1830)に発表されたもので、小倉百人一首の下の句はそのままに、上の句のみを読み換えています。

例えば、小野小町による有名な

「花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」

という歌は、

「玉手箱あけてくやしき百とせの我が身よにふるながめせしまに」

と浦島太郎のお伽話に変わります。

平安の優雅に対して、庶民の生活、風俗、季節感、遊廓などを詠ったものが多いですね。

尚、全百首のそれぞれに原文ならびに読み替えについての簡潔な説明がなされており、パロディの面白さが解説されています。加えて、全作品について戯画(改作版である「闇夜礫」との2種類)が付属しており、これらのほのぼのとした画作品を同時に眺めると狂歌の意味がより分かり易くなり、かつ笑えます。戯画は当時の江戸庶民の様子を人間臭さとユーモアをもって描いており、これらを眺めるだけでも楽しくなります。

著者は長らく司法の世界で仕事をしてきました。定年退職を機に近世文学研究の道に入り、その数年後の成果としてこの本を出版しています。「古典」世界は別としてもあやかりたい人生です。

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