2016年11月17日 (木)

『トリスタンとイゾルデ』@METライブビューイング

Trist_2662a6_2メトロポリタン・ライブビューイングの2016-2017シーズンが始まりました。このシリーズを観始めたのが2007-2008年のシーズンですからすでに9年目に入っています。最初の作品は「ヘンゼルとグレーテル」で、当時はレビュー記事を本ブログに真面目に毎回アップロードしていました(^^;)。いまでも毎年数本は見ているのですが、ブログへの投稿はすっかりさぼっています。

  さて、「トリスタンとイゾルデ」は中世騎士物語、冗長、メリハリ不足といった勝手な先入観でこれまで避けてきた作品でした。しかし、MET LVの指輪シリーズ全4作を飽くことなく、アンコール上映を含め3サイクルも通ってしまったことでワーグナーアレルギーからは自由になり、今回の上映はこの作品への挑戦の絶好の機会となりました。そして結果として、音楽、舞台映像ともに期待通りの素晴らしさで約5時間にわたる実に濃密な音楽時間を楽しむことが出来ました。

 イゾルデのニーナ・ステンメ(S)は昨シーズンの最後を飾ったR・シュトラウス「エレクトラ」でも素晴らしい歌唱と演技を披露してくれたばかりでした。それ以前は映像でのブリュンヒルデ(スカラ座、2010年、2012年)への違和感(歌唱は立派でも直立不動、衣装の不似合い、表情の怖さ(^^;))のせいか、決して好みの歌手ではありませんでしたが、「エレクトラ」での印象は一変しました。彼女には現代風演出であることに加えて、ドラマチックソプラノの奥深さを味わせてくれる、密室劇が似合うのかもしれません。いずれにせよ、ステンメによる、エレクトラ、イゾルデの初体験がこれらの作品への共感を思いっきり深めてくれました。

指揮のS・ラトルはMETライブビューイングでは初登場でしょうか?圧倒的な音の洪水になりがちなオーケストラを抑制的に美しく鳴らしていました。インタビューで、「出演者たちが、自分のアピールではなく、一体感のある舞台を創ることに集中していた」と発言していたように、あくまでも観客の立場に立ち、音楽の持つ魅力自身に語らせることを優先していたように思えました。

M・トレリンスキによる演出は上述したように、現代に置き換えていますが、密室劇のため全く違和感はありません。観る者にとっては、媚薬によって人格が一変してしまうという「おとぎ話」要素は無視して、ただひたすらに、「愛と死」だけに魅せられた男女の濃密な音楽劇に浸ればよいだけなのです。その意味で、元々は映像作家というトリレンスキの美しく幻想的な場面を含む現代風の舞台美術はこの作品にぴったりでした。常に海の香りを漂わせる映像も、アイルランドと英コーンウォール地方を結ぶ海峡を舞台とした物語のリアリティを増すことに貢献していました。

これで「トリスタンとイゾルデ」への苦手という先入観は払拭することは出来ましたが、ワグネリアンの世界はまだまだ遠いままです。さて、9年目に入ったライブビューイングの演目も繰り返しが多くなってきました。今シーズンで目を惹く作品は「ナブッコ(雄渾な音楽)」、「エフゲニー・オネーギン(未見)」、「ばらの騎士(ガランチャ出演)」といったところでしょうか。あ、来夏のアンコール上映での「トリスタンとイゾルデ」は必見・必聴となるでしょう。

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2016年10月14日 (金)

映画 『東学農民戦争~唐辛子とライフル銃』


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年、朝鮮半島で起こった甲午農民戦争(東学農民革命)を掘り起こすドキュメンタリー映画を見ました(@在日韓国YMCAホール)。

「東学」は1860年に崔済愚(チェジェウ)によって創始された、人々の平等を強調した宗教思想で、貧困と差別にあえぐ人々の間に急速に広まりました。教祖の崔済愚は1864年に朝鮮政府(当時は李朝)によって処刑されましたが、その思想は後継者たちによって引き継がれていきました。

 東学農民たちは1894年に全琫準(チョンボンジュン)を指導者として朝鮮王朝に対して蜂起し南部を席巻します。朝鮮政府は清国に援助を求め、一方、清国による朝鮮半島支配を嫌った日本は朝鮮政府の了解を得ずに約8000人を派兵し(清国側は1500人)、それが日清戦争の引き金になりました。東学農民軍はいったん朝鮮政府と和解したものの、日本軍侵攻に抗して再び起ち上がりましたが、反乱は圧倒的な武力の差により約5か月間で壊滅しました。東学の反乱を鎮圧し、日清戦争にも勝利した日本はその後、朝鮮政府を傀儡化し、日露戦争を経て、1910年の日韓併合へと至り、朝鮮の人々の新たな苦難が始まります。

映画は日本人である前田憲二監督による東学に関わった人々の子孫へのインタビューと関連する史跡の紹介が中心です。監督の執念ともいうべき記録へのこだわりが感じられますが、当時の写真や絵、資料など視覚に訴えるものが少ないのが残念でした。しかし、人々の記憶からも忘れ去られようとしていた歴史の一コマをこうして掘り返されることで日朝の歴史の暗黒部分に少しでも光が当てられればと思います。私も本棚に長い間眠っている「朝鮮近代史(渡部学、勁草書房)」や「日本近現代史③日清・日露戦争(原田恵一、岩波新書)」、「閔妃暗殺(角田房子、新潮社)」などのページをめくり返しています。

さて、「東学」は、幾多の苦難を乗り越えて、今も「天道教」として南北朝鮮半島の社会に根付いているとのことです。ネット検索すると「天道青友党」なる北朝鮮政党がヒットしたのには驚きました。ウィキペディアによれば韓国における信者は人口の0.1%以下とのことです。圧制下の土着信仰から始まり、同様に宗教弾圧を受けた日本の大本教と相通じるものがあるのでしょうか?

いろいろと興味の種はつきません。

 

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2015年12月24日 (木)

高浜原発~運転差し止め仮処分の不当決定

とんでもないクリスマスプレゼントでした。

本日午後、福井地裁(林裁判長)は、4月に樋口裁判長によって下された高浜原発差し止めの仮処分命令を取り消しました。決定の全文と要旨は以下の弁護団URLにあります。

http://www.datsugenpatsu.org/bengodan/news/15-12-24/

要旨をざっと読んでみましたが、原決定の「新規制基準はあまりに緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない」という、ごくまっとうな判断を、「新基準ならびにそれへの適合性判断は合理的である」といとも簡単に覆し、さらには、原決定が謳い上げて、多くの市民からの喝采を浴びた、事故による「人格権の侵害」や「富の喪失」の問題への言及は一切ありません。政権と事業者におもねり、高浜34号機の再稼働スケジュールを優先した政治判決に強い怒りを覚えます。2015122400010002fukui00010view1_2

大飯原発運転差し止め裁判地裁判決(20145月)、高浜原発運転差し止め仮処分(20154月)と続いた勝訴によって「司法はまだ生きている」ことに、原発のみならず、戦争法や辺野古基地問題への解決を含めた、この国の未来に期待を抱かせてくれたにも拘わらず、今回の決定は政治権力の下風に立つ司法官僚たちの存在をまざまざと見せつけるものでした。

今回の高浜異議審では、私も耐震設計余裕やストレステストの件などで技術意見書の作成に関わり、弁護団の皆さんと議論する機会も多々ありました。そこで知ったのが、寝食や報酬を度外視して奮闘を続ける弁護士の皆さんの存在でした。弁護団の抗議声明は「私たちは、この不当決定に負けることはありません。(中略)失われた司法に対する信頼を再び取り戻すために最後まで闘い抜くことをお約束します」と結んでいます。高裁での闘いは続くでしょう。原告団と弁護団を多くの市民で支えていきましょう。

(追記)

高浜原発をめぐっては、2016年3月9日に大津地裁(山本裁判長)にて運転差し止め仮処分の決定が下されました! 稼働中の3号機は直ちに停止され、4号機の再稼働は中止されました。現在(2016年10月)、舞台は大阪高裁に移され、司法での闘いが続いてます。

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2014年12月 8日 (月)

Jリーグ2014年シーズンの終了

L 土曜日、J1リーグの2014年シーズンがガンバ大阪の優勝をもって終わりました(正確には大雪で順延していた新潟・柏戦が開催された本日をもって)。一昨年のJ2への降格から、昨年のJ2ぶっちぎり優勝、そして今年は昇格1年目にして、とりわけ後半は圧倒的な強さを発揮したガンバは見事でした。おめでとうございます!

応援をしているアントラーズは最終節まで優勝の可能性を残しましたが、最終の鳥栖戦に敗退し、逆転優勝を逃しました。スポーツの結果に「たら・れば」を持ち出すことは空しさが増すだけなので、ここは力が一歩及ばなかったことを潔く認めるしかありません。

むしろ、今年は世代交代が順調に進み、若い選手たちの成長と躍動を目の前で見ることができたことが大きな喜びでした。すでにチームの中心となっているMF柴崎を先頭に、DF昌子、DF植田、MF土居、MFカイオ、MF豊川など二十歳そこそこの選手たちが大活躍をしました。加えて、MF小笠原、MF本山、GK曽ヶ端らのベテラン、DF西、DF山本、MF遠藤らの中堅も健在です。セレーゾ監督の続投も早々と決まっており、来シーズンは若鹿たちの経験値の上積みによる黄金時代の再来が今から楽しみです。不安要素は柴崎の海外移籍の可能性ですが、その時は快く送り出しましょう。

一方で、MF中田浩二が今シーズンをもって引退しました。仙台のFW柳沢、水戸のFW鈴木隆行も含めてアントラーズの第2期黄金期を築いてきた名選手たちの引退は淋しいことですが、今後の新しい持ち場での活躍を祈りたいと思います。お疲れさまでした。

来年の楽しみのもう一つが、ACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)への2011年以来4年ぶりの参加です。もし、G大阪が天皇杯も制したらリーグ3位のアントラーズは無条件、もし決勝で山形に敗れたらプレーオフに回ることになりますので(日本の枠は3.5)、ここは悔しいですがぜひガンバに三冠を獲得してもらいましょう。

来シーズンは、若い力でリーグ年間優勝と共に、ACLの頂点も目指してもらいましょう。スタジアムに行くのも楽しみです。それまでは、ストーブリーグに注目です。セレッソの選手たちはどこへ散っていくのだろう?

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2014年11月30日 (日)

映画『三里塚に生きる』

映画『三里塚に生きる』を観てきました(作品の公式サイトは以下)。J_top_c_2

http://sanrizukaniikiru.com/

懐かしい風景、懐かしい匂い、懐かしい人々・・・。しかし、そこには今も日々、空港と向き合い、苦闘している人たちがいました。

昔の映像を挟み込みながら空港周辺で、かつて、あるいは今も闘いを続けている反対同盟員の姿を淡々と描いています。メッセージ性や押しつけがましさは全くありません。彼らの今を語る穏やかな会話の合間に、無雑作に乱入してくる航空機の爆音が作品の現実性を高めています。

私が最初に三里塚を訪れたのは1970年でした。現地での闘いに呼応して、地元の千葉市を通過するジェット燃料輸送パイプラインの敷設に反対する市民運動に関わっていました。結局、パイプラインは強行埋設されるのですが、今では供与年数も40年を超えようとしており、老朽化も懸念されます。現地では、1978年の開港を機に運動も転機を迎え、青年行動隊のメンバーを中心に有機農業を含めた新しい農業のやり方が模索されます。有志による三里塚ワンパック運動(無農薬野菜の共同生産・共同購入)もそのひとつで、消費者側の拠点の一つとして関わることになりました。

時は過ぎて、私にとっても日常の多忙さや度重なる長期海外出張に、三里塚は次第に遠くなっていきます。いつの間にか、成田空港を使うたびに感じていた眼下の人々への想いも忘れ、三里塚は過去の物語になり、現地を含めた仲間たちとは年賀状のやりとりとたまの消息交換に終わっていました。

そんな時にこの映画の存在を知ります。映画を観る視点や観た後の感じ方は世代、そして運動への関わりの仕方によって大きく異なるでしょう。ともすれば情緒的なノスタルジーだけで終わってしまいそうですが、少し以前に感銘を受けた小泉英政さんの『土と生きる~循環農場から』(2013.9岩波新書)と共鳴するところも多々あり、三里塚に今も生きる個々人の物語の重さに深い共感と尊敬の念を覚えました。

巨大旅客機が40メートル上空で爆音を響かせながら離着陸するB滑走路脇では、周囲を空港敷地に囲まれた東峰部落の飛び地と天神峰地区の一部で、今でも移転を拒否する数軒の農家が農業を続けながら生活しています。ワンパック運動の拠点であった共同出荷場や毎年、収穫祭が賑やかに行われた広場は、すでにありませんが、子供たちを連れて何度も援農に通った石井恒司さんの畑、小泉英政さんが試みる循環農場は今もそこに存在しています。

長い時を経て再び、三里塚をめぐる人々とその時代に想いを馳せる機会を与えてくれたこの映画に感謝です。映画は、1219日まで渋谷ユーロスペースにて上映し、その後、順次全国で公開されるとのことです。ぜひ、ご覧下さい。

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2014年6月 1日 (日)

『コジ・ファン・トゥッテ』@METライブビューイング

D0240098_09553116 モーツァルトの最も愛すべき作品、「コジ・ファン・トゥッテ」をMETライブビューイング(LV)で観てきました(530日)。本ブログのタイトルをこの作品名から拝借しているのも、単なる駄洒落を超えた強い思い入れがあるからこそです。音楽は全編を通じて美しく、軽妙で、機智に溢れています。ストーリーの解釈や是非については様々な意見もありますが、登場人物たちの想いや心模様、息遣い、更には心変わりの瞬間などがここまで音楽として表現されていることはまさに奇跡としか言いようがありません。このMETにおけるLV映像も、音楽と舞台を十分に楽しめるものでした。

レスリー・ケーニッヒによる演出は現代的な読み替えを排したオーソドックスなもので好印象です。背景、舞台美術、衣装に奇をてらうこともなく、安心して物語と音楽に浸ることが出来ます。登場人物たちの所作は、あちこちで笑いをとるツボとともに十分に計算されています。アンサンブルオペラに相応しい若い4人(デスピーナを含めれば5人)の動きもとても軽妙です。こうして、演出はナポリを舞台にした令嬢物語よろしくヨーロッパ風なのですが、私たちが劇場で目と耳にする舞台は実にアメリカンなテイストに溢れていました。

そもそもニューヨークMETであることからして当然ともいえることなのですが、まず、音楽が実に立派です。序曲が演奏される際の映像は指揮者のジェームズ・レヴァインのにこやかな表情が大写しになっていました。先日の「ファルスタッフ」もそうでしたが、長い療養生活からの復帰公演ということもあるのでしょうか、オケは実に活き活きとよく鳴っていました。ちなみに、個人的には、モーツァルトの作品はぜい肉を取り払い、音の引き締まった古楽器オケが好みです。「コジ」ではたとえば、ガードナー指揮のパリシャトレ座の映像盤(1995)などがオケの演奏、出演者たちの演技、歌唱ともに理想的ですね。

この作品はアンサンブルこそが命だけに、出演者たちには際だった個性よりも、均等な歌唱や演技の水準、更にはLVを前提とした容姿が求められます。その意味でもアメリカ出身の若い歌手たちが中心としたキャスティングによる舞台カラーが強く出ているようです。

フィオルディリージのスザンナ・フィリップスはつい2週間前の「ラ・ボエーム」のLVで魅力的なムゼッタを見せ、聴かせてくれたばかりです。美しい声と豊かな表情、いかにも陽気な性格をもった新進の美人ソプラノです。すでにMETのファンからは大きな支持を受けており、日本にも多くのファンが存在するようです。もう少し体型を絞ってもらえれば、スターへの道は約束されたようなものでしょう。

ドラベッラのイザベル・レナードもNY出身の若手メゾソプラノです。軽薄なドラベッラ役としては若干、知的雰囲気が勝ち過ぎているような印象を受けました。世間知らずのお嬢様姉妹とバカな男たちが織り成すブラック・ラブコメを演じるには、主演者たちの側にもそれに見合った素材が必要なのでしょう。デスピーナのダニエル・ドゥ・ニースはすでに多くの映像作品でもおなじみですが、アクの強さが、しばしば姉妹の個性を凌駕してしまいます。

フェルランドのM・ポレンザーニ(T)、グリエルモのR・ポゴソフ(Br)はともにアンサンブルの一員として溶け込んでいましたが、上映劇場の音響の悪さゆえに、テノール音声が割れんばかりとなります。この作品に限ったことではないのですが、劇映画と異なり、MET LV上映にあたって、音量はもう少し絞ってもらいたいものです。

さて、これまで、本ブログの過去記事でも幾つかのコジの映像盤を紹介してきました。

エクサン・プロバンス音楽祭(シェロー演出

http://kawai0925.cocolog-nifty.com/yasu47/2007/03/post_515b.html

グラインドボーン音楽祭(ハイトナー演出)

http://kawai0925.cocolog-nifty.com/yasu47/2007/02/post_13df.html

ザルツブルグ音楽祭(ヘルマン演出)

http://kawai0925.cocolog-nifty.com/yasu47/2007/01/post_caa4.html

上述しましたが、この作品には高層ビル内や空港、キャンプ場といった突飛ともいえる場所に移し替えた現代読み替えは似合いません。演出者による独りよがりな解釈もモーツァルトの音楽には邪魔なだけです。その意味でも、上述したガードナー指揮のパリシャトレ座の映像盤(1995)は理想的ともいえますし、このMET版も、オケ構成を除いては、基本的には類似した演出内容でとても好感がもてました。いずれ、映像盤が市販されたらぜひ見直してみたいと思います。

Threechicks

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2014年5月27日 (火)

フクシマ・原発被災地を訪れる

Img_7319a 地元のグループ(脱原発八千代ネットワーク)でフクシマの原発震災被災地を訪れてきました。事故後3年を経て、いまだに13万人以上の人々が避難を余儀なくされている現状を自分たちの目と耳で直接確かめてくるのが目的です。総勢23名の参加で、現地を案内していただく「原発事故の完全賠償をさせる会(原発事故被害いわき訴訟原告団)」の佐藤三男さんといわき市の四倉PAで落ち合い、市内久之浜の津波被災地、広野町、楢葉町、富岡町をめぐりました。

ちなみに現在、福島第一原発周辺の被災地域は次の3つのカテゴリーに分かれています。

(1)避難指示解除準備区域(年間20mSv以下)

(2)居住制限地域(年間20-50mSv

(3)帰還困難地域(年間50mSv以上)

このうち、(3)の帰還困難地域は道路封鎖されており入ることは出来ません。(2)は通過は自由ですが、居住は不可です。また、放射線量も高く、長時間の滞在には注意が必要です。(1)は宿泊は禁止されていますが、昼間の滞在は可能となっています。

Img_7335aさて、(2)に属する富岡駅周辺で目にしたのは、3年以上にわたって時間が止まったままの凄まじい光景でした。これらの写真は3年前の津波の直後ではなく、「今」です。これまで、女川、石巻、宮古などの三陸の津波被災地も訪れてきましたが、想像を絶する破壊の爪痕は残るものの、一方で復興の槌音が響き渡り、人々の営みもありました。しかし、ここにはそれがないのです。街や住宅地は文字通りのゴーストタウンです。津波が運んだ軽トラックが屋内に乗り上がったまま放置されています。高放射線量ゆえに撤去作業も出来ず、除染活動もこの地までは及ばず、例え、ガレキ類の撤去が行われたとしても人々は戻れません。

(3)との境界線で車は止められます。周囲の住宅地には人っ子一人見えません。通りも、家屋も、田畑も不気味に静まり返っているだけです。ちなみに付近の空間線量は1 - 2 μSv/h、地上での最大測定値は8.0μSv/hでした。

楢葉町に建つ宝鏡寺の早川住職のお話を伺いました。ここは(1)に属し、早川住職は通常は圏外の仮設住宅に住みながら、必要時に寺に戻ってきます。「現在、政府は(1)の地区の住民の帰還作業を進めようとしているが、戻る予定のあるのは約15%で、それも高齢者のみ。近いうちに町は消滅する」と仰っていました。

周囲の畑や空き地のあちこちには除染作業で生じた廃棄物(表土、枯葉等)がフレコンに詰められ、プラスチックシートに覆われたまま仮・仮保管されています。耐候性の弱いこうしたプラスチック類の寿命はせいぜい5-10年程度でしょう。こうした低レベル放射性廃棄物があちこちに放置されたままの土地に強引に帰還を促進しようという政府の政策は明らかに間違っています。「フクシマは収束しつつある」という虚偽のキャンペーンを推し進めようという思惑だけが見えます。

結局、数百年、あるいは地域によっては数千年、この町や村々が人々の元に戻ることはありません。原発事故を起こすということは、こういうことなのです。先日の福井地裁による大飯3,4号機差し止め判決の中で述べられていた「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」という言葉が改めて甦ってきます。

私たちは事故前、数十年間にわたってこの東電福島原発で発電された電気を享受しながら生活してきました。そして、その代償がこれらの光景なのです。申し訳のない気持ちでいっぱいになります。今は車で「帰還困難区域」の境界線まで行くことが出来ます。皆さんにもぜひ、フクシマの今を直接目にしていただきたいと思います。

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2014年5月 5日 (月)

「ビュフェ美術館」と「ヴァンジ彫刻庭園美術館」 @クレマチスの丘

20050414_02_2  例年、この季節恒例のお墓参り(御殿場の富士霊園)から少しだけ足を延ばし、富士の裾野に位置する「クレマチスの丘」を訪ねました。主目的は広大な施設の一角に佇む「ベルナール・ビュフェ美術館」です。約2000点にのぼる所蔵も見事ですが、開館が1973年(ビュフェ45才)というから、いくらビュフェが若くして成功を収めたとはいえ、その先見の明に驚かされます。昨年(2013年)は開館40周年ということで、館内は大きくリニューアルされました。1945年から1999年までの作品群を時代ごとに区切り、とても見易くなっています。2回目の訪問となりましたが、作品の量、質ともに圧倒されます。家にもどってからも、館内で購入した画集をめくりながら、ゆっくりと余韻に浸ることにします。

ビュフェ作品については改めて語ることもないでしょう。独特の細見姿、輪郭線、ひっかき傷のような黒い線、モノトーンの色調、劇画調の表情、等々の与える印象は強烈です。画家としての大成功と人気の一方で、ビュフェは71才で死を選びました。作品群からは不条理さや疎外感、虚無感、不安感がひしひしと伝わってきます。

 ビュフェ美術館の隣には伊豆にゆかりの深い「井上靖文学館」が併設されています。前回訪れた時は「氷壁」の特集で、物語の素材となった1955年のザイル切断事件の裁判経過や実験結果などが展示されていました。旭川の井上靖記念館とともに、井上ファンにとっては、一度は訪れてみたい聖地のひとつだと思います。

この季節、「クレマチスの丘」にはその名前の通り、さまざまなタイプのクレマチスが咲いています(パンフレットによると200種、2000株と)。加えて、ライラック、藤、紫陽花、パンジーなど、この季節の花々が園内に咲き誇っています。そして、それらの木々や草花と見事に調和しているのが、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」の屋外彫刻群です。彫刻芸術というものにはいま一つ共感を得ることが出来ないでいたのですが、ここに置かれている彫刻群はきわめて具象的であり、人間臭く、何とも心和むユーモアを感じさせてくれます。この美しい庭のベンチで、これらの彫刻群に囲まれながら一日中を過ごせたらとても豊かな気持ちになれそうです。

お奨めの場所です。

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2014年4月14日 (月)

東北周遊 その3~三陸海岸、久慈から宮古、仙台へ

下北半島を陸奥湾に沿って南下し、東北町、小川原湖畔、三沢、八戸道路、軽米を通過して久慈に至ります。折しも三陸鉄道北リアス線の全面開通が三陸海岸沿いの復興事業に弾みをつけているようでした。

翌日は天気にも恵まれ、海岸沿いを宮古まで南下します。途中、「あまちゃん」の舞台にもなったという小袖漁港にも寄りましたが、観光客相手の海女センターはスルー。番組を見ていない自分にとって特に感慨はなし。

北山崎、鵜の巣断崖などを寄り道見学しながら、震災で大被害を受けた宮古の田老地区に入ります。71 丁度2年前に、震災1年後の女川と石巻を訪れました。平地の建物は根こそぎ破壊され、湾に面した一画は廃墟と化し、あちこちに巨大なガレキの山が積み上がられていました。その時に受けた大きな衝撃は今も目に焼き付いています。それに比べると、田老地区の家々は壊滅したままですが、ガレキは片づけられ、土木工事が活発に進められています。しかしながら、聞こえてくるのは建機の音ばかりで、住民の方々の息遣いを感じることは全く出来ません。この町に人々の姿が戻ってくるのはいつになるのでしょうか?

73 町から車で30分ほど離れたグリーンピア敷地内に仮設住宅と復興商店街が建てられています。仮設住宅はひっそりと静まりかえったままです。すでに3年もの間、この仮設に暮らしている方々のことを想うと胸が痛みます。辛うじて、復興商店の皆さんの明るい笑顔が救いになります。

宮古から内陸に入り、盛岡でO君が降り、東北道を再び仙台へ。この数日間、まわってきた各地の姿とは全く異なる、繁栄した大都会の顔がここにはあります。数年に一度は訪れているので、学生時代を過ごした40数年前からの変貌ぶりにはすでに驚くことはなく、むしろ、街のあちこちに昔の面影を見つける度に嬉しくなります。今回は往路に、学生時代の仲間たちとの卒業以来の再会も果たしました。この街への思い入れはいつまでも変わりません。

こうして約1週間の東北旅行を終えました。再び、半仕事と脱原発と猫とアントラーズの日常に戻ります。

<写真>

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東北周遊 その2~下北原発街道

52_2 六ケ所村から下北半島の太平洋岸を北上するとまもなく東通村に至ります。ここにあるのが東北電力東通原発です(BWR/110KW)。幸い、過酷事故には至らなかったものの、東日本大震災時の被災原発のひとつです。被害の実態は定かでありません。現在は耐震補強工事中(といっても、今さら、原子炉本体が強化される訳ではありません)で、新規制基準への適合申請(再稼働申請)は未だなされていません。南に数キロ離れた漁村から眺める原発施設は広大な太平洋を前に如何にも無力・無防備であるように感じました(右の写真)。

むつ市から半島突端の大間に至る道路はかなり険しく、断崖が海岸線に迫っています。数キロごと、その僅かなすき間に小さな漁村がへばりついています。日本海側でしばしば見る風景ですが、真冬を想像すると自然・生活条件は遥かにに厳しそうです。すでに4月だというのに、半島の中心部の恐山方面への道路は雪のため通行止めです。いつまでも止まない強風もこの土地ならのことなのでしょうか。ようやく土地の開けた大間にたどり着くとほっとします。対岸の函館は見ることが出来ませんでした。強風にあおられる海面の飛沫のせいでしょうか。近くの大間海峡保養センターでお湯に浸かります。舐めると塩辛いナトリウム温泉でした。

大間原発は町の南の外れにあり、下の写真の通り、工事中です。進捗率は約60%とのことです。折しも43日、対岸30キロの函館市は国と事業者(電源開発)を相手取り、同原発の建設差し止め訴訟を東京地裁に起こしました。自治体による原発差し止め訴訟という画期的な出来事です。また、この大間原発の特徴は他の軽水炉と異なり、フルMOX燃料炉ということです。高速増殖炉「もんじゅ」の失敗を受けて、再処理で得られるプルトニウムを無理やり消費するための100%プルサーマルなのです。核燃サイクルの破綻の象徴がここにも現れています。大間原発を稼働させないこと(すなわち、プルトニウムの消費先を絶つこと)が六ケ所の再処理施設を動かさせないことにもなります。他の原発でのMOX燃料の消費だけでは、プルトニウムは溜まる一方となり、すでに米国等から、核セキュリティ上の強い懸念が表明されています。

六ケ所と下北をめぐるこの旅行で、核施設にたよる下北半島の現実と、核燃サイクル政策の矛盾を改めて感じ取ることが出来ました。

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東北周遊 その1~青森と六ケ所村

車で約1週間の東北周遊の旅に出かけました。主な目的は、(1)青森で開催される反核燃イベントへの参加、(2)下北半島と三陸海岸の旅、そして(3)仙台で学生時代の仲間との再会、です。同行者は学生・会社時代を通じての友人、O君です。

まずは青森です。途中、仙台、平泉、O君の地元である北上などに寄り道をしながら浅虫温泉へ。夕暮れの陸奥湾を眺めながら湯に浸かり、長距離運転の疲れを癒します。海沿いの温泉らしく臭いや癖のないお湯です。

青森市内では毎年、この時期に開催される反核燃料サイクルのイベント(学習会、屋外集会、市内デモ、交流集会)に参加してきました。先日来、六ケ所村の再処理施設等の運転差し止め訴訟原告団への技術面サポートを行っていることから、一度は現地の様子に直接触れてみたかったのです。

16_2  東京ではすでに桜が満開のこの季節、青森の屋外集会とデモでは時折横殴りの雪に見舞われました。この旅行中は寒波と強風に、青森や下北で真冬の厳しさが想像されることも度々でした。その寒空の下での行進の先頭は、都内の脱原発集会・デモでもすっかりお馴染みの「制服向上委員会」のメンバーたちです(写真)。今回、知ったのですが、この制服向上委員会は1992年発足の老舗アイドルユニットなのですね。4人組のチームに分かれて各地の脱原発や護憲の市民イベントに登場する稀有な存在です。

翌日は六ケ所村再処理工場正門前での集会イベントでした。写真のように屈強なガードマンが私たちを見守っています。後ろの建物内では、完成後は、2 x 1020ベクレルもの放射性物質を常時取り扱うことになります。もし事故が起こった場合の被害はフクシマの比ではありませんし、保有プルトニウムだけが増えていくという核エキュリティ上の問題も深刻です。そもそも核燃料サイクル政策そのものが破たんしているのに、竣工だけが自己目的化しています。経産省、電力業界も本音では「やりたくない」核燃サイクルはただちに中止すべきです。31

 日本原燃のPRセンターを覗いてから周囲をめぐります。この地域は、かつて1960年代末に「むつ小川原開発計画」として石化コンビナートや製鉄所を主体とする大規模臨界工業地帯として計画されましたが、2度のオイルショックを経て見事に頓挫しました。核燃サイクル設備計画が持ち上がったのはその後の1980年代です。今でも、周囲は原野に覆われており、突如、石油備蓄タンク群と核燃サイクル設備の建物が視界に出現する違和感。「かくして、放射性廃棄物処理施設(核のゴミ捨て場)だけが残った」この地域に未来はあるのでしょうか?深刻な地域汚染に晒される本格操業前の今だけが、引き返すことの出来る唯一のチャンスだと思います。

六ケ所村を後にして、次は下北半島を北に向かいます。

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2014年3月26日 (水)

コルンゴルド『死の都』 @新国立劇場

05_aek7368 この作品については、以前に映像盤を紹介しています。それ以来、いつかはと心待ちにしていた実演での鑑賞がやっと果たされました(324日の最終公演日)。期待通り、音楽と舞台の美しさにたっぷりと浸ることができ、深い感動を味わうことができました。まさに至福のひと時でした。

この作品が甘美な旋律と豊かな音量に溢れていることはすでに周知の通りですが、一方で、20世紀オペラ作品としては、後期ロマン派音楽の残り香があまりにも強いゆえに一部のクラシックファンからは低い評価も受けていたようです。実際に、作曲者コルンゴルド自身の米国亡命後は、長い期間にわたって忘れ去られていました。しかしながら、最近のヨーロッパや日本における上演頻度の多さや複数映像盤の入手が可能になったことなどで、コルンゴルド本人の業績とともに改めてこの作品の素晴らしさが見直され、すっかり復権を果たしたようです。

私がこの作品に入れ込むきっかけとなったのは、ストラスブール劇場による舞台映像盤によってです。以来、CD全曲盤(E・ラインスドルフ指揮、ミュンヘン・フィル)を何度も聴き込み、他の映像盤(下述)を視聴し、さらには下敷きとなったローテンバックの「死都ブリュージュ」(岩波文庫)も取り寄せました。小説も実に面白く、オペラ台本用にコルンゴルド親子が書いた、いわゆる「夢オチ」の結末ではなく、亡き妻にそっくりの奔放な踊り子に身を滅ぼす主人公の一直線の破滅物語です。この小説の書かれた世紀末の匂いが濃厚で、趣のある多くの挿絵(写真)により、物語のもう一つの主人公ともいえるブリュージュの街のイメージが深まります。

舞台の感想に戻ります。カスパー・ホルテンによる演出は、亡き妻マリーを実際に登場させることによって心理的な効果を高めています。亡き妻マリーを視認できるのはパウロと観客(そして最終幕でのマリエッタ)だけです。そのことによって観客は、踊り子マリエッタと亡妻マリー、すなわち、生きる者と死者、現実と幻影、奔放と貞淑、肉体と精神の間で揺れ動く主人公パウロの内側から物語の進行を眺めることが出来るのです。

パウル役のT・ケール(T)はストラスブール盤での印象が強く、今回の演出でも、マリーとマリエッタとの間で、ますます精神を病んでいく主人公の脆さと弱さが強調されます。

M・ミラー(S)は、いかにもアメリカンテイストなソプラノで、勝気と奔放さが勝るマリエッタ役にピッタリです(マリーとの体型の違いは無視(^^;))。第三幕でマリエッタが、どん底の社会から這い上がってきて今を生きていることを朗々と歌い上げる場面は、私の大好きなハイライト場面のひとつです。

賑やかな劇団仲間たちも、歌唱のみならず、その衣装も含めて楽しませてくれます。「ピエロの歌」で女声のヴォーカリーズが入る箇所は、度々現れる「リュートの歌」のメロディと共に、その甘美な旋律に心を奪われます。

続けて何度でも見たい!聴きたい!と思わせるオペラ作品は数多くありますが、私の中で、この「死の都」はそれらの中でも、R・シュトラウスの諸作品と共に筆頭にくる作品のひとつなのです。

さて、現在、市販されているDVDは以下の3本です。オーケストラの鳴り具合、出演者の歌唱・演技共に申し分なく、いずれもこの作品の素晴らしさと面白さを教えてくれます。

ストラスブール・ライン国立歌劇場(2002年)、T・ケール、A・デノケ

パウルを演じるのは、今回の新国立劇場と同じ、T・ケールです。とても伸びのあるヘルデンテノールです。主人公の精神的に行き詰った狂気ぶりが強調されていますが、舞台演出の斬新さと相俟って、強烈な印象を与えてくれます。

ドイツベルリンオペラ(1983年)、J・キング、K・アームストロング

オーソドックスな演出なので、物語を容易に理解することが出来ます。原作(ローデンバック)の雰囲気も良く残しています。マリエッタ役のK・アームストロングの優れた容姿と演技により、物語そのものへの感情移入も容易です。

フィンランド・国立オペラ(2010年)、KF・フォークト、K・ニールンド

今回の新国立と同一の演出です。上述したように、亡くなったマリーを常に舞台上に登場させることで物語性を強めています。パウル役のKF・フォークトは人気急上昇中の新進テノールです。狂気にまで至ることはなく、夢から覚めた後は、むしろ爽やかともいえる印象を残します。

ということで、演出によって三者三様のラストを迎えます。今回の新国立もカメラが回っていました。BS放送で放映される日も近いでしょう。お見逃しなく!

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2014年3月 8日 (土)

映画『シェーナウの想い』

6871335744_d6e8738105 遅れ馳せながら、映画『シェーナウの想い』を観る機会がありました(「生活クラブ虹の街」主催)。人口たった2500人の小さな村の脱原発運動からから始まった市民電力事業が、ついには全国規模の自然エネルギー電力供給会社へと発展していく様子を描いた60分ほどのドキュメンタリー映画です。ドイツ南西部の「黒い森」地方の自然は美しく、人々は優しく穏やかです。この平和な村の人々が1986年のチェルノブイリ事故をきっかけに、原発に頼らない市民電力運動を開始し、真っ二つに割れた住民投票、電力独占企業(KWR)との交渉、資金不足といった多くの困難と闘いながらも1997年に独自の電力供給会社(EWS)を設立します。

ドイツでは翌年の1998年に電力事業の全面自由化が達成されます。ドイツ国民は、どこに住んでいても電力会社を自由に選択できるようになりました。全ての市民は、その電気の「素性(原子力、火力、水力、風力、太陽光などによる発電比率)」を比較しながら、電力会社を選ぶことが出来るのです。このことが、ドイツにおける再生可能エネルギー比率の押し上げと、2022年までの原発廃止決定に大きく寄与しています。

一方、日本における電力事業の完全自由化はまだまだ途上です(早ければ、2018年度より発送電の法的分離?)。ドイツよりも20年は遅れていることになります。独占による電力支配が多くの利権構造や腐敗、安全神話を産み、ひいては、フクシマ原発震災事故の背景となったことは否めません。私たちは、私たち自身の安全と利益のために、もっともっと賢くなる必要がありますね。

私もドイツのヴィスバーデンに1年半ほど滞在しました。週末毎に訪れた小さくて美しい村々の風景が甦ってきます。丘陵地帯のあちこちに建つ巨大風車の姿が印象的でした。堅実な国民性にもたびたび感銘を受けました。省エネ・電力事業の先進国であり、何よりも「エネルギー供給に関する倫理委員会」の提言によって原発ゼロの方向性が決めたこの国の叡智には多くのことが学べそうです。この映画もその一端を私たちに教えてくれます。お奨めです。

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2014年3月 2日 (日)

今年もJ1開幕!

気が付いたら、1年以上も更新を怠っていました。公私ともにかなり多忙であったとはいえ、あまりにも手抜きの放置プレイもほどほどにせねばと、たまには気楽に書き込んでみますか・・・。

異常な寒さと降雪に見舞われた今冬も急に温(ぬる)くなってきました。季節は必ず巡ってくるものなのですね。情緒的には不思議と言えば不思議、科学的には当たり前といえば当たり前です。

で、春といえばJ1の開幕です。アントラーズは開幕戦で甲府に4-0で勝利しました。FW大迫のドイツ移籍、補強の失敗、若手の伸び悩み、プレシーズンマッチでの不調、等々により今シーズンの前評価は低く、サッカー誌エル・ゴラッソの各チーム番記者たち(18名)による平均評価は11位です(しかも降格候補に挙げていた記者が3名!)。確かに、広島、浦和、柏、C大阪などの優勝候補に比べれば特に期待できるようなインパクトがありませんね。

さて、そんな低評価のアントラーズが開幕戦に勝利しました。録画観戦でしたが、まだまだ選手間の連携は悪く、ミスが目立ち、押し込まれることも多く、流れからの得点チャンスは少なかったですが、それでも、若手主体で臨んでの勝利の意義は大きいです。先発のMF土井(21)、MF豊川(19)、DF昌子(21)、DF伊東(20)、途中出場のDF植田(19)らにとっては大きな実践経験と勝利体験となったことでしょう。更にベンチにはFW赤崎(22)、MF梅鉢(21)が控えます。DF西や今シーズンの活躍が期待されているDF前野、MF中村(充)らさえもベンチ外に追いやってしまう若手選手層の厚みは大きな潜在力であり、競争原理が働くことで、今後、いっそうの強さと活気をチームにもたらすことでしょう。

まだ一試合終わっただけですが、前評判を覆す勝利の積み重ねを期待しています。

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2013年1月26日 (土)

実に残念で悲しいアルジェリア事件

Imagesca7tfhjj 日揮(株)のプラントサイトが襲われ、外国人スタッフを含め、16名が死亡、1名がいまだに行方不明とのことです(125日現在)。同じプラント建設業界に身を置くものとして、また、かつて一年半にわたってアルジェリアの建設サイトに滞在したものとして他人事ではありません。

宿舎への襲撃は早朝の540分頃であったとのことです。朝の早い建設現場では、第一陣が朝食を終えて、バスに乗り込む頃です。遅い組は洗面と着替えを終え、そろそろ食堂に向かおうとしていた時間だったのでしょう。そこが最初に運命を分けたように思えます。部屋内に潜んだまま留まることのできた人は幸運でした。

プラント建設会社は、建設現場の工事安全のみならず、通常、治安への対策も怠りません。民間のセキュリティ会社との契約のみならず、アルジェリアのような特別の配慮の必要なサイトは軍が駐留することもしばしばです。戦争や内乱の勃発による国外脱出劇も珍しいことではありません(イラン・イラク戦争勃発時など)。私がウズベキスタンに滞在していた時には9.11の報復として、多国籍軍のアフガン攻撃が始まり(2001年)、いざという時の数百名規模の脱出計画を策定しました。すなわち、アフガンとは逆方向のカザフ国境に向けた交通手段の確保とカザフビザの手配です。幸い、発動に至ることはありませんでしたが、危機管理は海外サイト運営の基本の一つです。今回、事件に遭った日揮は、日本の企業の中では最も危機管理意識の強かった企業であったと思います。それでも、今回のような意図的な大規模攻撃は避けようがありません。

私が石油化学プラントの建設でアルジェリアに滞在していたのは1978-1979年にかけてですから、随分と昔になります。まだ独立の気概に溢れ、治安も良く、人々は実に友好的でした。スキクダという、地中海に面した街で、当時から砂漠の奥に建設地を抱えていた日揮とは環境も大きく異なりました。

その後、イスラム原理主義の台頭と、軍政権の発足により治安は一挙に悪化し、殆どの日本企業は撤退しましたが、日揮だけは残り、受注を継続していました。この10年ほどは、ようやく治安の改善もみられ、日本企業による肥料工場や高速道路建設のプロジェクトも新たに開始されていました。

一方で、米国を中心とした多国籍軍によるアフガンやイラクでの力での抑え込みは結局、アルカイダをはじめとする原理主義勢力の拡散という結果だけをもたらしたように思えます。いまや、世界のどこにでも大規模テロが起こってもおかしくありませんし、事実、ロンドン、モスクワ、バリ、ムンバイ、新疆と、宗教や民族の矛盾を抱えるあらゆる場所でテロ事件は起こっています。今回は、マリへの仏軍の介入が切っ掛けと言われています。しかし、襲撃への準備期間を考えると、かなり以前から周到に計画されていたようです(無差別か身代金目的かは分かりませんが)。

日本人に対する見方も変わってきたように感じます。12年前にイラクで人質になった高遠菜穂子さんや安田純平さんの場合は、彼らのイラクの人々への想いも含めて「日本人」であったことが一定程度安全側に働いたように思えます(身代金の件は不明ですが)。しかし、今回の事件では、そのような配慮は全くありませんでした。日本は米国を中心とした多国籍軍の一翼とみなされているのでは思われます。政府の「罪のない技術者が犠牲になった」という言いかたには抵抗を感じます。ひょっとして「罪を作っている」のは集団的自衛権の行使をめざしながら、ますます米国への追従を強めようとしている日本国政府なのではないでしょうか。

テロの根絶に軍事力の報復が全く逆効果になることは、パレスチナ、アフガン、イラク等々、多くの地域で学んでいる筈です。私たちはもっと賢くなる必要があるのではないでしょうか。

今回の事件の犠牲者とそのご家族、同僚の方々に心からの哀悼の意を奉げたいと思います。

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