2011年12月30日 (金)

2011年の備忘録

2011年が暮れようとしています。今年は何といっても311日の大震災と、それに続く福島原発事故に大きな衝撃を受けました。とりわけ原発問題は、プラント技術者のはしくれとして、また70年代から多くの警鐘に触発されていたにも拘わらず、事故を現実化させてしまったことに慚愧の念に堪えません。同時に、私たちが都会での快適な電化生活を享受する一方で、いかに地域に危険と災禍を押し付けてきたのかを強く認識させられました。かくなる上は、核廃棄物という将来世代への負の遺産を少しでも減らすためにも、また、利権に群がる「原子力ムラ」と呼ばれる悪しき特権集団を民主主義の名において駆逐するためにも、一日も早い原発ゼロ社会の実現を願うに至りました。来年早々、定期点検で停止中の原発の再稼働を巡って大きなせめぎ合いが開始されようとしています。「原子力資料情報室」や「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」、新NPOAPAST」、「プラント技術者の会」などの仲間たちと共に、微力ながら「原発のない春」、「原発のない夏」の実現への一翼を担いたいと思っています。

さて、下記は恒例の、自分のための2011年「備忘録」です。本はやはり原発モノが中心となりました。あとは気楽な歴史と推理作品です。気晴らしはもっぱら音楽とスタジアムでのサッカー観戦ですが、後者では逆にフラストレーションが溜まる試合が続きました(その分、なでしこの活躍が救ってくれましたが)。8番と30番は失いましたが(神戸に移籍)、来シーズンはDF山村の加入、MF本田(拓)の復活、MF柴崎の成長、FW興梠と大迫の奮起、等々楽しみも沢山あります。

さて来年・、あ、もう少し仕事もせねば・・・。

2011年に読んだ本>

「原発のウソ」 小出裕章 扶桑社新書

「隠される原子力 - 核の真実」 小出裕章 創史社

「原発を終わらせる」 石橋克彦編 岩波新書

「内部被曝の脅威」 肥田舜太郎/鎌仲ひとみ ちくま新書

「原発をつくった私が原発に反対する理由」 菊池洋一 角川書店

「恐怖の放射性廃棄物」 広瀬隆 集英社文庫

「福島原発事故 どうする日本の原発政策」 安斎育郎 かもがわ出版

「原発のどこが危険か」 桜井淳 朝日新聞出版

「福島の原発事故をめぐって」 山本義隆 みすず書房

「まるで原発などないかのように」 原発老朽化問題研究会 現代書館

「原子力発電の危険性」 技術と人間(1976

「原子炉崩壊の日」 バージル・ジャクソン 朝日新聞社

「エージェント6」上下巻 トム・ロブ・スミス 新潮文庫

「楊令伝」1-6巻 北方謙三 集英社文庫

「三国志」7-13巻 北方謙三 集英社文庫

「草莽枯れ行く」上下巻 北方謙三 集英社文庫

「黒龍の棺」上下巻 北方健三 幻冬舎

「杖下に死す」 北方健三 文春文庫

「独り群せず」 北方健三 文春文庫

「一刀斎夢録」 浅田次郎 文芸春秋社

「メトロに乗って」 浅田次郎 講談社文庫

「壬生義士伝」上下巻 浅田次郎 文春文庫

「輪違屋糸里」上下巻 浅田次郎 文春文庫

「維新の暗号」 加治将一 祥伝社文庫

「空白の桶狭間」 加藤廣 新潮文庫

「ひまわりの祝祭」 藤原伊織 講談社文庫

「新撰組・幕末の青嵐」 木内昇 集英社文庫

「原子炉の蟹」 長井彬 講談社文庫

「笑う警官」 佐々木譲 ハルキ文庫

はじめての指輪」 山本太一 音楽の友社

2011年の観劇・コンサート>

モスクワ交響楽団(D・ユロフスキー指揮) ロシアシンフォニーホール(Moscow

ロシアナショナル管弦楽団(U・スリバコフ指揮)チャイコフスキーホール(Moscow

チェコナショナル交響楽団 コロンニュイホール(Moscow

「サロメ」新国立劇場

六月大歌舞伎(新橋演舞場

2011年の美術館・博物館>

ホキ美術館(千葉市土気、写実絵画専門の新美術館)

トレチャコフ美術館(Moscow

プーシキン美術館(Moscow

成川美術館(元箱根)

2011年のスポーツ観戦>

J13節 鹿島アントラーズ vs. アルビレックス新潟戦 1-2

J115節 鹿島アントラーズ vs. ヴァンフォーレ甲府戦 (0-1)

J120節 鹿島アントラーズ vs. モンテディオ山形戦 (3-1)

J127節 鹿島アントラーズ vs. 浦和レッズ戦 (0-0)

2011年の映画館>

METライブビューイング「オリー伯爵」

METライブビューイング「カプリッチョ」

METライブビューイング「ワルキューレ」

METライブビューイング「ドン・ジョヴァンニ」

METライブビューイング「ジーグフリート」

METライブビューイング「サティアグラハ」

「ソーシャル・ネットワーク」

Super 8

「素敵な金縛り」

「ミツバチの羽音と地球の回転」

では皆さま、良いお年をお迎え下さい。

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2011年12月18日 (日)

『サティアグラハ』@METライブビューイング

111212 米国の作曲家、フィリップ・グラスによる現代オペラ、「サティアグラハ」は何とも不思議な作品でした。「サティアグラハ」というのはサンスクリット語で「非暴力、不服従」を意味するとのことです。20世紀初頭の南アフリカを舞台に、インド移民たちへの差別に対する抵抗運動を繰り広げるガンジーの前半生を描いています。歌詞は「ヴァガヴァット・ギーター」というサンスクリット語で書かれたヒンドゥーの聖典から採られたとのことですが、舞台上の出来事とは一致していないそうです(字幕もなく、意味も分からないので、「だそうです」を鵜吞みにするしかありません)。これは歌詞を音として体感しなさいというのが作曲者の意図とのことでした。

ミニマル・ミュージックと言うそうですが、いつまでも単純に反復される断片的なリズム、メロディーと歌詞(音感)に最初は戸惑いましたが、次第に心地よさに包まれていくという不思議な感覚を味わいます。最初はまるでバッハみたいだとも感じたのですが、サンスクリットの音感と合わさると、むしろ経に近いことが分かります。心地よさと安心感の源はそこだったのですね。

一方、舞台演出、特に美術は斬新かつ刺激的でした。ガンジーは新聞発行を抵抗運動の柱に据えたということで、新聞紙を使った巨大な操り人形や、様々の演出が現れます。それらの形、色彩、動きに目を奪われます。特に第二幕は秀逸でした。

主役のガンジーを演じたリチャード・クロフトは、聖典の表現に相応しく、抑制を効かせながらも澄み切ったテノールを聞かせてくれました。助演者たちも、それぞれの役割をきちんと果たしています。舞台上では、計算された集団振り付けの中に個々の動きは埋没され、歌手たちに特に演技は求められません。ただ、Schlesenという同志を演じたラシェル・ダーキンというソプラノの存在感が際立っていました。全体に平坦な音楽劇の中で、意図的なアクセントの付加が計算されていたのでしょうか。尚、舞台は3幕に分かれ、それぞれの場面における共感の対象として、トルストイ、タゴール、キング牧師が常に舞台の背景に登場します。多少のこじつけ感があります。

米国生まれの現代オペラと言いながらも、古代サンスクリットの空気やバロック要素を感じさせる不思議な音楽体験でした。

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2011年12月16日 (金)

ストレステスト評価による危険な再稼働への道

111215st 全国54基の原発のうち、今日現在で稼働しているのは8基となりました。年内には更に定期点検対象が増え、6基となります。いよいよ実質的な脱原発社会が近づいています。一方で、ストレステストを巡る動きが慌ただしくなっています。事業者からの評価報告書は1028日の関西電力大飯3号機を皮切りに、今日までに7冊の報告書が提出されています(全て三菱重工製のPWR型)。

そもそも、ストレステストはフクシマの事故を受けて、EU理事会が傘下の14か国、143基の原発を対象として実施要請をしたことに始まります。それが日本では、一次評価を停止中原発の再稼働の条件としたことで矛盾や混乱が生じています。ストレストテストによる評価は、プラントの弱点の把握や改善のためのツールのひとつとして利用することは出来ても、所詮は机上のシミュレーションです。その結果は絶対的な安全評価結果を導くものではなく、それを稼働条件とすること自体に無理があります。

今回のテストはいわば、原発プラント破壊のシミュレーションを机上で行おうとするものですが、私たちは福島で大規模実物破壊を目の当たりにしたばかりです。その破壊の諸データを収集、解析、診断し、設計・製作の手法を検証することこそが優先されるべきです。特に、福島事故では津波による全電源喪失以前に地震動による破損が冷却材喪失事故に至ったという指摘があります(東電は否定していますが)。このことは、現行の耐震設計審査基準への疑問を投げかけると共に、その指針に基づく全原発の耐震安全性に疑義を生じさせるものです。地震列島上に存在する全原発の耐震バックチェックの厳重な見直しこそが優先されるべきだと思います。

現在、専門家による「ストレステストに係る意見聴取会」が開催されています(写真、今日までに4回開催)。保安院による筋書きの下、電力事業者の作成した報告書を原子力ムラの学者たちが補完して客観性を装うというお馴染みの仕組みですが、今回は井野博満氏(東大名誉教授)と後藤政志氏(元原子力技術者)という二人の市民派委員が参加していることにより様相が異なってきています。聴取会の場で多くの批判的意見が出され、テストを再稼働条件のひとつとすることへの不当性を明らかにする試みが続けられています。

審査の技術評価作業を担っている独立行政法人・原子力安全基盤機構(JNES)には多くの主建設契約者OBが勤務しています。大飯、伊方の評価作業においても主契約者であった三菱重工のOBが実務に携わり、かつ複数名が陪席者として意見聴取会にも出席しています。これでは公正さの欠如と利益相反が疑われても仕方がありません。129日に総務省「政策評価・独立行政法人評価委員会」から経産相に提出された「勧告の方向性」によると、JNESは「原子力事業者の出身者を多数採用しており、検査の中立性・公正性に疑念がある」、「検査対象を、出身元と関わりのない施設に限るべきである」と厳しく弾劾されています。彼らにテスト結果を審査する資格はありません。併せて、意見聴取会各委員についても電力業界からの寄付金、補助金等の受け取り有無について利益相反の視点より確認・公表すべきです。これらの意見、疑問に対する保安院からの回答は、これまでの審査の枠組みや姿勢を超えるものではなく、現時点では対立点を残したまま議論が続いています。

今後、推進側は他の原発の報告書を続々と提出することによって再稼働に向けた攻勢をますます強めてくるでしょう。意見聴取会で追及されている、ストレステストの欠陥や不当性を各市民団体や原発地域の人々と共有化することによって、再稼働阻止の運動が更に確固としたものになっていくことを願うばかりです。

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2011年12月 3日 (土)

『ジークフリート』@METライブビューイング

111203 ワーグナーのリング・サイクルも三作目を迎えました。タイトル・ロールが急遽、代役のジェイ・ハンター(T)に変わったということで話題になっていました。若手(といっても40才?)で経験も少なく、不安視されていたようですが、よく伸びる美声と溌溂とした思い切りの良い演技は、純粋無垢、単純で恐れを知らないジークフリード役にぴったりでとても好感が持てました。

この作品はどうも前半が苦手なのです。話がくどく(対話による過去の筋書き説明が多い)、音楽も様々な動機が断片的に繰り返されることで追いきれません。ミーメとさすらい人の対話のあたりではしばし意識朦朧となりました。それでも、ジークフリートのノートゥングを撃つ音に飛び起きます。迫力に満ちた反復とエネルギッシュな音楽は第一幕のハイライトですね。

第二幕の「森のささやき」の場面は、このおどろおどろしくも壮大な権力闘争と殺し合い、裏切り、愛憎劇の中で数少ない、牧歌的な味わいを与えてくれるシーンです。大蛇ファーフナーを倒した後に澄み切った声で小鳥のさえずりを歌ったモイツァ・エルドマン(S)がカーテンコールと幕間のインタビューに登場しました。つい先週、ツェルリーナを達者に演じていたばかりの美形の若手ソプラノです。これから人気者になっていくのでしょうか?

第三幕でブリュンヒルデが登場し、やっと期待通りの高揚感を得ることが出来ます。愛を歌う二重唱は指輪全体を通じても、ここと「神々の黄昏」の第一幕でしか聞くことは出来ず(ワルキューレでのジークムントとジークリンデは対話式)、フツーの(?)オペラに慣れた耳を安心させてくれます。

R・ルパージュの巨大な板を使った演出にもすっかり慣れて、違和感はないものの、あまり新鮮味を感じることはなくなりました。多くの場面で音楽が難解で、説明と理屈満載のこの音楽劇に長時間(正味約4時間)真正面から付き合うのはちょっと辛い気もしますが、聴きどころでは繰り返し感動を味わいたい作品ですね。

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2011年11月28日 (月)

『ドン・ジョヴァンニ』@METライブビューイング

111123 2011-2012シーズンのMETライブビューイングが始まっています。2作目の「ドン・ジョヴァンニ」を見てきました(@東劇、先週)。さすがMETということで、実に立派で重量級のオケ、舞台、そして配役陣です。時代設定に忠実なオーソドックスな演出で、この作品に真正面から向き合っています。

この作品の持つ数々の美しいアリアを味わうには余計な装飾や奇をてらう演出が邪魔になることは、すでに多くの読み替え演出や現代演出で実証済みです(例えば、2006年のザルツブルグ音楽祭)。今回のようなオーソドックスな演出は作品そのものを味わうのにはとても相応しいものと言えるでしょう。

しかし、一方で新鮮味に欠けることも事実です。現代の聴衆や視聴者にとっての「ドン・ジョヴァンニ」は、物語そのものや登場人物たちの生き方などを正面から受け止めるためのものではなく、あくまでもモーツァルトの音楽を聴くための台本であり、舞台であると思います。そこで欲しいのが、読み替えや別解釈などには至らない、モーツァルトの音楽を損なわない程度の小さな洒落や遊び心なのです。例えば、2008年の新国立劇場での、背景をベネチアに移した演出、思わず笑みがこぼれるコミカルなエルヴィラ次女の登場、2001年チューリッヒ歌劇場映像盤でのそこここに見られる洒落た味付けとスピーディな展開、などが音楽の洒脱さを一層引き立ててくれました。

出演者たちに不満は全くありません特にBフリットーリ(S)をはじめ女声陣は、自分の役割を熟知しながら各人に与えられたアリアを堂々とかつ美しく、丁寧に歌いこんでいました。ドナ・アンナ役のM・レベッカ(S)の声の美しさ、ツェルリーナ役のM・エルドマンの初々しさも印象的でした。

男声陣とオーケストラには迫力を感じます。とにかく、真正面から挑んでくるようなで立派過ぎるドン・ジョヴァンニに、満足よりも満腹感を感じてしまった私は若干疲れ気味?

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2011年11月25日 (金)

映画 『ミツバチの羽音と地球の回転』

111122 全国各地で自主上映会が開催されている鎌仲ひとみ監督の作品を見てきました。瀬戸内海に浮かぶ小さな島、山口県、祝島の住民たちの日常と上関原発に対する闘い、そしてスウェーデンの小さな村における持続可能エネルギー自給への取り組みが淡々と描かれます。

最初は起伏の感じられない映像に若干の苛立ちを感じましたが、次第に、その感じ方って逆に僕らの生活の異常さの投影であることに気付かされます。

祝島の人々は、この上関原発の話が持ち上がった時から、すでに28年間にわたって反対と抗議活動を続けています。この映画は、ついに対岸での造成工事や海上ブイの設置が始まったにも拘わらず、これまでと変わらずに続けられていく人々の暮らしと、その一部となった抗議活動の記録映像です。島の作物、農業、漁業、生物の多様性などの様子が語られ、映像化されています。気負いや押しつけがましさを感じさせない、しかし紛れもない反原発映画です。

上関原発は311日の福島事故を受けて、は事実上の凍結状態に入っています。山口県知事は埋立て許可申請の延長は認めない方針ですが、しかし、中国電力はまだ建設を断念していません。フクシマ以降、これだけ原発に対する不信と不安が増長されているなかで、また、国全体で持続可能エネルギーへの転換が図られようとしている時に、今さら原発の新規建設というのは時代錯誤もいいところです。

この映画の姉妹編として「ぶんぶん通信」というビデオレターが市販されていて、これも各地で小さな上映会が開催されています。以前にNo.2No.3が地元で上映されていたので、すでに上関や祝島の風景はお馴染みのものとなっていました。併せてご覧になることをお勧めします。

フクシマ以後、多くのことを学ぶにつけ、核の危険とゴミを遠くの人々に押し付けながら、便利さのために電気を使い放題という私たち都会人の無責任さを改めて痛感します。

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2011年10月26日 (水)

フクシマ事故はどのように起こったのか?@議員会館

Dsc_0045 檀上に並んだ方々をご存じでしょうか?向かって左から田中三彦氏、渡辺敦雄氏、後藤政志氏の3名で、かつて原発機器製造メーカーに勤務し、実際に格納容器の設計に携わった技術者の皆さんです。すでに著書や雑誌掲載記事、TV出演等でご存じの方も多いかと思われます。この御三方が本日(1026日)、衆院議員会館にて『政府・東電の福島第一原発事故批判 何故地震の可能性を排除するのか』という報告会を行いました(主催者は民主党の川内博史議員)。

それぞれ、「地震動による冷却材喪失事故の可能性検討」、「原子炉格納容器における水力学的動荷重」、「地震で圧力抑制機能が失われる可能性」という何やら学会発表のようなタイトルが並びましたが、図表やシミュレーション映像などを駆使し、出席された議員や多くの市民参加者にとっても実に分かり易い丁寧な説明でした。

要は、政府・東電が主張する「フクシマは津波でやられたのだから、防波堤などの津波対策を強化すれば他の原発は安全だ」という見解に大きく疑問を投げかけるものです。とりわけ、地震動による配管破損と冷却材の喪失の可能性、福島等の初期原発に採用されているMark-I型の欠陥、低周波地震動による圧力抑制室プールのスロッシングによる破壊の可能性などは、地震列島に建設された原発の宿命として徹底的に検証されねばならない問題です。本来ならば破損したフクシマのそれらの部材の診断と検査が必要ですが、恐らく10年以上にわたって近づくことも出来ないでしょう。事故の真の原因はまだ闇の中なのです。

今、各事業者からストレステストの結果が提出されようとしています(報道によれば最初は大飯3号機?)。後藤氏曰く、「もし、ストレステストを311日以前に実施していたらフクシマ事故を防ぐことは出来たのでしょうか?」。勿論、絶対に「否!」です。ストレステストは原発の安全性を確かめるものでも、ましてや高めるものでは全くありません。そのことをもっての停止中原発の再開に技術的根拠を見出すことはどうしても出来ません。

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2011年10月18日 (火)

真紅の丘@ひたち海浜公園

111017cochia 丘一面を真紅に染めているものが何ものかをご存知でしょうか?

これは茨城県の国立ひたち海浜公園で見ごろを迎えているコキア群生の紅葉です。空の青さ、麓のコスモスと共に見事な秋の風景を造りだしています。

コキアというのはこれまで馴染みはありませんでしたが、別名ホウキ草と呼ばれる一年草とのことです。そういえば道端などでもたまに見かけることはありますが、ここまで大規模に植栽され、それが一斉に紅葉する姿は圧巻です。

公園には平日だというのに年配者や家族連れを中心に多くの人々が訪れていました。15千平方メートルの敷地に約3万本のコキアが植えられていて、勿論日本一の規模とのことです。見ごろは週末頃までとのことです。良いものを見ました。

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2011年10月12日 (水)

R・シュトラウス『サロメ』@新国立劇場

111009 久しぶりのオペラはR・シュトラウスの「サロメ」です(109@新国立劇場)。この作品については過去にも書いています(「サロメ・驚異の音楽劇」、「オスカー・ワイルドの戯曲サロメ」)。これまで、CDDVDなどではすっかりお馴染みの大好きな作品ですが実演を見るは初めてのことでした。

舞台はバイエルン州立歌劇場から移設された奇をてらうことのないオーソドックスな演出ということで安心して音楽劇に集中できました。しかし、細かいところでは、顔を青く塗りたくったブルーマンのような奴隷(?)や銃を抱えた兵士、小賢しい演技をする脇役などのように凝り過ぎて逆効果の場面も見られます。不気味な満月の下で展開する前半が濃紺、退廃を帯びた宴の中で展開する後半がピンクという舞台色は鮮やかで分かり易い対比でした。

タイトルロールのエリカ・ズンネガルド(S)はこの役で定評があるということでしたが、たびたび声がオケの中に埋もれていました。もともと、このサロメというのは至難の役柄です。R・シュトラウスは劇的効果のためにドラマティック・ソプラノをこの役にあてがい、演出上では七つのベールの踊りをこなし、しかも16歳の王女の高貴、自尊心、好奇心、執着心、そして狂気を演じねばならないのです。ズンデガルドは年令の壁はいかんともし難いとしても演技力や身のこなしは観客を十分に満足させるものでした。しかし、ドラマティック・ソプラノと呼ぶにはあきらかに声量が不足していました。一方で当夜の東フィルがあまりにも元気が良すぎたことによりそのことが一層目立ってしまったのかもしれません。

その他の主演者ではS・マックアリスター(T)は道化役としてのヘロデを見事に歌い、演じきっていました。ヨハナーン役のJ・ウェーグナー(Br)は少し不安定だったような気がします。ズンデガルドの出来、オケとのバランスなども含めて初日独特の瑕疵だったのかもしれません。

これで、新国のR・シュトラウスは「ばらの騎士」、「アラベラ」に続き3本目になりますが、前2作の絢爛と洗練、洒落の世界とは全く別の、若きシュトラウスのほとばしるような音楽の力に圧倒されます。これからも舞台や映像で何度も体験を重ねたい作品です。

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2011年9月19日 (月)

「さようなら原発大集会」@明治公園

110919 本日、919日、大江健三郎氏らの呼びかけによる「さようなら原発大集会」が東京・明治公園で開催されました。JR千駄ヶ谷駅のプラットフォームから改札出口まで30分以上を要するという、会場にとても入りきれない人、人、人で周辺は埋まりました(主催者発表6万人)。代々木、新宿等3方面に分かれたデモもあまりの人数の多さにいつまでも出発できませんでした。家族連れや若者も多く、人々はそれぞれに工夫を凝らせたプラカード、ゼッケン等で反原発への想いをアピールしていました。この自発的で直接的な意思表明を行った多くの人々の願いを政治やマスコミは無視することがあってはならないと思います。(写真は明治公園を埋め尽くした参加者)

一方、先日(915日)、私たち「プラント技術者の会」は「原子力資料情報室(CNIC)」と共同で衆院議員会館にて「ストレステストの問題点」という院内学習会を開催しました。国会議員の出席は3名に留まりましたが、約70名の一般出席者の間では活発な議論が行われ、今、行われようとしている日本版ストレステストの多くの問題点が浮き彫りにされました。

当日使用された資料は以下のURLから見ることが出来ます。

http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1193

日本版ストレステスト計画は、EUのストレステスト仕様書をベースとしながらも多くの意図的かつ悪質な改ざんが随所に見られます(詳細は上記資料をご覧ください)。このことは、当局にフクシマ事故の当該国としての真摯な反省や危機感、そして国民に対する誠実さというものが全く欠如していることを示しています。この結果をもって原発の安全性を担保出来るもので全くはありません。ストレステストを巡っては、これから当局とのせめぎ合いが始まります。私たちは技術的側面から、その不備や不当性をいっそう明らかにしていきたいと思っています。

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2011年9月 9日 (金)

新潟~柏崎~安曇野

110909 前回の書き込みから1ケ月も遠ざかってしまいました。この間、反原発関連で結構忙しかったのです。加えて、TVでのなでしこ応援(^^;)。どちらも「にわか」と言われてしまうと反論の余地はありませんが、かつて70年代には「技術と人間」で高木仁三郎氏(学習会に招聘したこともありました)や武谷三男氏の著作を読んだものです。数十年にわたる原発への慣れと諦め、実質的な容認が3月11日をもって打ち砕かれました。「なでしこ」については勿論アントラーズには及びませんが、男子A代表よりは遥かに応援のし甲斐があるというものです。

先日は新潟に行ってきました。「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」と現地の運動との合同合宿会でした。2日間にわたって柏崎刈羽の現状(何と7基もの原発が密集配置され、2基が稼働中)、福島事故の真の原因追究、行われようとしているストレステストの問題点等々について真剣な報告と議論が行われました。反原発の著作で活躍されている石橋克彦氏(地震学)、田中三彦氏、井野博満氏、山口幸夫らも参加し、稔り多い議論が交わされました。とりわけ、当局が想定外の津波のせいにしようとしている電源喪失とそれに続く炉心溶融のシナリオに対して、地震の際の配管破損と冷却材喪失(LOCA)によって炉心溶融が起こったという事実が明らかになりつつあります。このことは、各地の原発の耐震設計基準の見直しにより再開がおぼつかなくなってしまうことを恐れる当局の見解と真っ向から対立するものです。事実の究明こそが、いかなるストレステストよりも優先されるべきことの筈です。

さて、帰路は柏崎原発の脇を抜けてきました。丘陵と林に囲まれて施設全体を一望することは出来ませんでしたが写真のように海岸線から東側の一部を見ることが出来ます。沖合に巡視船が監視を続けている姿に、ここは日本海側であることの緊張を感じました。周囲は平和な田園地帯です。これが、福島のような事故がいったん起こるとまさに「死のまち」と化してしまうのです。鉢呂経産相の発言が問題となっていますが、非難は筋違いであり、撤回も謝罪も必要ありません。福島原発の周辺市町村は文字通り「死のまち」となりました。そうさせた東電と保安院、認可した当局、御用学者などこそが謝罪すべきなのです。

更に車で信州安曇野を経由してきました。前にこのブログでも紹介した「大竹工房」があり、ぜひ一度訪ねてみたかったのです。木工所見学と大竹夫妻との楽しい歓談に心を癒されて帰路につきました。

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2011年8月 6日 (土)

ヒロシマと東海村

110731pp 66年前の今日はヒロシマに原爆を落とされた日です。以来、核廃絶は、国籍やその所有の有無を超えて、地球上の全ての人類にとっての悲願だと思います。

ところで・・・・、

“Nuclear Weapon”といえば「核兵器」ですが、”Nuclear Power Plant”といえば「原子力発電所」・・・・。これって、同じ”Nuclear”なのに、意図的に使い分けられていませんか?日本で原子力発電所を導入する際に「核発電所」では抵抗が大きいことが予想され、見事な「意訳」が行われました。しかし、実際に核分裂反応を利用する原理は全く同じです。元はといえば発電目的ではなく、原爆材料を作り出すために核開発は始まりました。米国のオークリッジ(テネシー州)のウラン濃縮工場で大量の濃縮ウランが製造されてヒロシマ型原爆が製造され、ハンフォード(ワシントン州)の原子炉と再処理工場では大量のプルトニウム型原爆が製造されてナガサキに落とされました。一方、世界で初の実用原子力発電所は1954年にソ連で完成されたと言われています(米国では1957年)。

肥田舜太郎/鎌仲ひとみ両氏の共著による「内部被曝の脅威」(ちくま新書)によると、ハンフォード(現在は閉鎖)では25,000発分の核弾頭をまかなえるプルトニウムが生産され、周辺に放出された放射性物質の総量はスリーマイル事故の一万倍に相当するとのことです(1987年米国政府報告書)。またアリゾナ州で行われた大気圏内核実験は1945年以降、実に1,200回に及び、広範囲の放射能汚染を引き起こしました。広瀬隆氏の名著「ジョン・ウェインはなぜ死んだか?」(1982年)という本には当時の多くの西部劇映画の撮影がネヴァダやユタの汚染地域で行われていたこととの因果関係が語られています。

こうして、米国はすでに核開発を進めた時から世界で最初の被曝大国となっていたのです。1945年以降、1989年までの世界での核関連の研究者や労働者、周辺住民の被曝死亡者はICRPでは117万人、ECRRでは内部被曝を考慮して実に6,160万人と算出しています。その後も米国は、イラク住民や米国兵士に劣化ウラン弾での被曝犠牲者を続出させています。このことに米国民はもっと気付くべきです。また、原発と核問題の関連性がもっと語られて良いと思います。

ところで、先週の日曜日に茨城県東海村に出かけ、「アトムワールド」、「東海テラパーク」、「原子力科学館」の3つのPR館を巡ってきました。やはり「百聞は一見にしかず」ですね。基本的には子供だまし的な施設群ですが、実寸の燃料棒、キャスクやガラス固化模型、JCO事故の装置、放射線医療原理などを興味深く眺め、分かり易い解説が掲載されている無料配布の各種パンフレットはそれなりに勉強になりました。相手の懐に飛び込み、安全神話の虚構を内側から観察することも無駄ではありませんでした。

上の写真は敷地に隣接しているテラパークから撮った東海第一、第二発電所です。向こう側の第一は1998年に運転が終了し廃炉手続き中です。燃料棒は搬出したものの、2013年度まで監視管理(要は作業が可能になるまでの放射能減衰期間)を続けてから解体作業に入るとのことです。運転終了後20年間をかけた長期工事となるのです。正常に終焉した原発でさえ20年間ですからフクシマ解体にはどの位の期間がかかるのでしょうか?50年?100年?その間、周辺汚染と被曝労働が継続するということです。事故の後遺症の重みを改めて感じさせます。

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2011年7月26日 (火)

ストレステスト

110724stress_test_3 玄海原発の再開を巡ってストレステストの導入が言われてからすでに数週間が経過しようとしていますが、いったい、誰が、どのように、何を実施するのか、また、どのように評価し、公開されるのか、相変わらずその手順と中身は曖昧なままです。このままではストレステストが却って玄海等再開の補完手段として使われるのではと強く懸念されます。そんな時、先行しているEUにおけるストレステスト手順が掲載された以下のURLを仲間から紹介されました。

http://ec.europa.eu/energy/nuclear/safety/doc/20110525_eu_stress_tests_specifications.pdf

日本におけるストレステスト手法が全く闇の中という状況の中で、このヨーロッパ(EU)の手順書は定性的とはいえ、技術的には広範囲を網羅し、手順に関してもかなり具体的なイメージを与えてくれます。要はSevere Accident時(Consequentialな各種機能損失も含む)に、設計条件(想定条件)を超えてどの位のSafety Marginがあるかを検証しなさい、またそれに付随する前提や対応環境を明確にしなさいということですが、特に強調されているのが、透明性(Transparency)と公開性(Openness)の原則です。

ここでは、LicenseePlant Owner)によるReport10/Eまで)、各国のAuthorityによるReport12/Eまで)、EU専門家によるPeer Review(来年4/Eまで)という3段階のプロセスが設定されていますが、透明性と公開性の導入によってこそ、レポートの信頼性(Credibility)と説得性(Accountability)が得られるという考え方です。

日本の場合、このままでは当局によって都合の良い手順が決められ、シュミレーション条件を勝手にいじられ、原子力安全・保安院や原子力安全委員会の筋書き通りのレポートになりかねません。本EUの手順書もすでに525日に公開されていますが、日本の当局者は勿論のこと、のマスコミによってもその内容が具体的に採り上げられたという形跡がありません。マスコミにとって最も重要な透明性と公開性の問題を孕んでいるにも拘わらずです。これでは、怠慢と言われても仕方がないでしょう。あるいは意図的なものが働いているのでしょうか?

皆さんにも一読していただき(英文でちょっと面倒ですが)、日本で行われようとしているストレステストを形式化、形骸化させないためにも、最低限、ヨーロッパに倣った透明性と公開義務の確保を求めていきましょう。

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2011年7月13日 (水)

「脱原発依存」の表明 by菅首相

110713 梅雨の季節から続く猛暑を言い訳にblogの更新もすっかり怠っていました。フクシマと原発関連の記事だけは辛うじて追いかけています。

今日は菅首相の「脱原発依存」会見がありました。ん?「反原発」でも「脱原発」でもなく、「脱原発依存」というヌルさは感じますが、今の首相の置かれている状況を考えれば精一杯の発言なのかもしれません。多くの提案や行動が後手に回り、それぞれが余計な憶測や政治の混乱を招きながらも、浜岡を止め、玄海の再稼働をストップさせ、世論の後追いとはいえ、為政者の代表として「脱原発」を宣言した菅首相の功績は評価したいと思います。

ただし一方で、浜岡は津波対策を条件とし、玄海はストレステストを条件とし、今回の脱原発発言の実現時期や工程は見えないままです。3.11を契機に日本社会全体が脱原発の方向に大きく舵を切り替えようとはしているものの、そのことはまだ端緒に過ぎず、現実に、日本列島の上には稼働中、停止中、試運転中も含めて54基の原発と、2基の高速増殖炉、2か所の燃料再処理設備、1か所の高レベル廃棄物処理設備と貯蔵設備を抱えており、これらを一つづつ確実に葬り去るまでには、大きな努力と労力を必要とします。加えて、フクシマ一つをとってみても安全な収束への見込みがついたものとはとても言えず、被災地からの避難や現場での被曝労働は今後も数十年にわたって続くことになります。

更に今後は「原子力村」や既得権益団体、人間の生存権よりも経済効率を優先する産業界、政局のみで動く反対派等々からの揺り戻しが考えられる中、今回の首相発言等に一喜一憂することなく、着実な世論と運動の形成を図っていく必要があります。

私事になりますが、長らく関わってきたプラントエンジニアリングを共通基盤とした脱原発運動体を作ろうとしています。私たちが関わってきたのは原発ではなく、主にエネルギーや化学プラントですが原発との共通点も多く、知見、経験をベースにしたメッセージの発信と共に、一市民としての責務も果たしていければと考えています。この分野での賛同者がいらっしゃいましたらメールにてご連絡下さい。

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2011年6月25日 (土)

『六月大歌舞伎』 @新橋演舞場

110625 この齢になって初めて「歌舞伎」を観ました。新橋演舞場での六月公演「夜の部」は『吹雪峠』、『夏祭浪速鑑』、『色彩間苅豆・かさね』の3本立てです。幕開けと同時、効果音と共にいきなり現れた吹雪場面にまず驚かされました。背景は宵闇とはいえ鮮やかな色彩をもった舞台美術です。そこで繰り広げられた愛憎劇は台詞も含めて現代劇と変わりません。歌舞伎というものが、こんなにもモダンな装いであるとは知りませんでした。

二つ目の『夏祭浪速鑑』は約2時間にわたる人情劇でしたが全く退屈することはありませんでした。物語の展開が一方通行(初体験者にとっては起承転結が理解できない)であることと、台詞が聞き取りにくいことに若干の難点はありましたが、明るい舞台色彩と衣装、コミカルな振り付け、簾の奥の雅楽などを楽しみました。そして何よりもあちこちで切られる見得への客席からの合いの手に、延亨2年(1745)と言われる初演以来、受け継がれてきた伝統というものを感じました。子役(市川染五郎の長男、松本金太郎)の「あい~」という台詞には会場から暖かいどよめきが伝わってきました。客席との一体感が歌舞伎の魅力の一つなのですね。TVに頻繁に登場する市川染五郎だけではなく、中村吉右衛門や片岡仁左衛門、中村歌六といった出演者たちへの予備知識や事前体験があればもっと楽しめるのでしょうね。

三つ目の『色彩間苅豆・かさね』は利根川沿い(我が家からも遠くない下総の木下)を舞台にした男女間のどろどろとした怨念と殺人劇を描きます。ここでも利根川流域の寂れた雰囲気を舞台美術が見事に醸し出します。市川染五郎と中村時蔵による艶麗な身のこなしがこの劇の怪奇性を一層増します。歌舞伎というのはあくまでも市井の、そして生身の人間たちを描くのですね。

三つの作品とも、この季節に実に相応しい作品でした。客席はほとんど常連で埋まっているような雰囲気で、幕間にはあちこちで弁当を広げる姿が見られました。私たちは2階の食堂で前もって予約した豪華な深川弁当とちらし弁当を美味しく戴きました。

なお、この場をお借りして、こうして思わぬ初体験の機会を提供してくれた友人のMさんに改めてお礼を申し上げます。

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